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試すことを恐れてはいけない #71

1日1つは何か新しいことを試しているだろうか?
もしかしたら毎日がマンネリ化していていないだろうか。
マンネリ化していたらきっと退屈だろうし刺激もない。
少々哲学的なことを言うと、今日という日は今の連続であって、明日というものは日付の問題であり、今の連続であることに変わりはない。
明日という時間を有意義なものにしていくためには、「今」この瞬間に何をしているのか、どれだけ機嫌よく過ごせているかによる。決して時が来たら何か良くなることがあるかと言われるとそうではないと思う。
よく運勢が良い悪いなどによって深く考える人もいるが、日常から何もしなければ可もなく不可もなくだ。運勢の上下が左右するのは動いている人間にだけ共通するものである。

かくいう私は、今日日課のゴミ拾いですれ違う知らない人に挨拶をしてみた。返事がある人もない人も様々だが、実際は相手から返事があるかはどうでも良い。きちんと自分自身が言えるかどうかが重要である。
案外、挨拶しようと身構えてしまうとなかなかできなくなってしまう。なんでも良いから一言「おはようございます」と発してしまえば次からはなんとも思わなくなる。こうやって一つずつ試していくと経験が増えていくのだろうと思う。付き合わされる方はたまったものじゃないが(笑)
全ての選択肢は自分にあると思う。
・あいさつをするもしないも
・早起きするしないも
・勉強する、努力する
全てを決めるのは自分だ。
たまにはいつもと違う道を通ってみたら、お昼が同じなら変えてみたりと試せることは山ほどある。他人が関与することは別としても、自分のみで完結する行動の選択肢は自分だ。
明日にしようかな・・・・と明日にするのも自分だし、今取り掛かってみるのも自分だ。
私の今年のテーマは「律」だ。
自分の行動を律する。
やると決めたことについては優先的に取り組むルールにした。
今までは明日でいいや、また今度などと先送りしていた。
まだ来ていない未来に期待してしまっていた。まだ時間は十分にあるからできるだろう。数ヵ月先なら問題なく達成できるであろう。そうやって気づかないうちに未来に期待していて、本来やるべきことをたくさん先延ばしにしてきた。未来は今の連続の少し先にあるだけでそんな遠くにはない。
おそらく人間は慣れと同時に律することがだんだんできなくなってくるのだと思う。
律するの反対側は「怠ける」などの意味になる。まさに未来に期待して今やるべきことを先送りにしていた自分に該当する。
一年後の自分に期待するのでなく、今自分ができることを自分を律し粛々とおこなっていく毎日にする。この過程は自分の財産になると信じて。

さいごまでご覧くださりありがとうございます。私は5児の父親で父親歴10年を超えた35歳です。自分の父親と祖父が早くに亡くなった経験から子どもたちに自分の経験や人生論、学んだことのすべてを書き記す、遺言ブログになります。本気で書いています。ぜひフォローいただき今後もお付き合いくださいませ。



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