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誰と一緒にいる時の「あなた」が好きですか?

平野啓一郎 著『私とは何か 「個人」から「分人」へ』、読了。

●印象に残った言葉

好きな分人が一つでも二つでもあれば、そこを足場に生きていけばいい。(本文より)

優しくて、しなやかに心を支えてくれる言葉です。

人間関係において、わたしたちは相手次第で自然と様々な自分になります。
本書の「分人」とは、対人関係の中で生じるその複数の人格のことです。

家庭で、パートナーや子ども、両親、きょうだいと接する時の自分。
学校で、友達や先生と接する時の自分。
職場で、上司や同僚と接する時の自分。
地域で、ご近所さんやコミュニティの仲間と接する時の自分…etc。

様々な環境で、様々な人がいれば、それだけ人間関係の問題が生じたり、生きづらさを感じることもあります。
その苦しい感覚から抜け出す方法の一つが、分人の考え方。
分かりやすいのが、以下の例です。

学校でいじめられている人は、自分が本質的にいじめられる人間だなどと考える必要はない。それはあくまで、いじめる人間との関係の問題だ。放課後、サッカーチームで練習したり、自宅で両親と過ごしたりしている時には、快活で、楽しい自分になれると感じるならば、その分人こそを足場として、生きる道を考えるべきである。(本文より)

そもそも人間関係とは、「自分」と「相手」という「対一人」の問題。
あるひとりの人からいじめられたからといって、あなたが誰からもいじめられるような人間ではないということ。
他の環境で、別の誰かと一緒にいる時が楽しいと思えるなら、その場所、その人との関係を深めればいい。
そこが、「生きるための足場」となる。

分人の考え方を理解すると、複数のコミュニティに参加することの有効性・重要性も理解できます。
一つの場所に居て、もしつらいならば、別の場所へ行ってもいい。
新たな場所で居心地がいいと感じたら、そこで別の分人を育てればいい。
自分という「個人」の中に、自分が好きな「分人」の割合を増やしていく。
それが、自己肯定感や心の安定、生きやすさにつながります。

愛とは、「その人といる時の自分の分人が好き」という状態の事である。(本文より)


あなたは、誰と一緒にいる時の自分が好きですか?

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