『フィフティ・ピープル』チョン・セラン
わたし、この本好きだわ。いろんな意味で。韓国ソウル郊外を舞台に子供から老人、男女、色々な職業やライフスタイルの50人について、一人8ページくらいで綴られる。読み進めていくと、あの人とこの人が家族だったり、同僚だったり、同じ店に出入りしていたりすることがわかっていく。点が線になり、面になり、立体となっていく。暮らしや街の様子、時代が立ち上がってくる。
私は人の名前が致命的に覚えられないのと、洋風の文体や文化が文章としてすんなり入らないので(「ライスプディング・・・おいらそんなもの食べたことねえぞ!」とか)ので日本以外の本があんまり読めない。日本の話でも昔の名前が長い人の話などもついていけなくなる。でもこの本はするする読めた。友達もいるお隣の国だからなんとなく彼女を思い浮かべたし、旅行もしたから雰囲気になじみがあった。誰もフルネームをおぼえられなかったけれど、「“ポールダンスの看護師”ではいはい、あの人ね」とわかったし。
各自についての短いエピソードだけでも、ある人を好きだと思ったり、泣きそうになったりする。病院周りだけでも、医者はもちろん、検査技師、ドクターヘリのパイロット、治験アレンジ担当者、ベッドを推して移動させる人・・・と様々な人がいる。また患者として事故に遭って損なわれてしまった人、その夫や義母なども登場する。彼ら登場人物のエピソードにちょっと日本と違う文化や(家の借り方など)、韓国で生じる問題を垣間見る。ちょっと違う場所で、私のような普通の人たちが泣いたり怒ったり笑ったり喜んだりしながら生きている。
一人ひとりの話も、繋がって見えてくるものも、著者の伝え方も、とてもよく構成されていて、でも押しつけがましくなくて見事。小説というだけでなくて、アートのインスタレーションのようでもあると思った。
チョン・セランさんのあとがきも、翻訳の斎藤さんの補足付きあとがきもよかった。ところどころに盛り込まれている韓国で実際に起こった事件や問題の解説があったり、チョン・セランさんがどういった気持ちで描き始めたのかといったこと、韓国版とは違う日本版の工夫など、私だけでは読み解けないことがわかって面白い。
私の人生もこのようにちょっとは読みごたえのあるエピソードになるのかしら。私も東京のある街を舞台にした『フィフティ・ピープル』の一人で、誰かと繋がったり、時代を雰囲気を醸し出している一部だったとしたら。いつもと同じエスカレーターに乗りながら、目に映るものがちょっと変わった。
96 フィフティ・ピープル チョン・セラン