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YouTube大学、「安いニッポン」を見て思うこと・2

ところで、帰国後の話をする前に、シンガポールでの生活について、もう少し、触れてみたいと思う。

本題とはずれるし、読まれていて、”なんだこれ?”と、不快に思われる方もいるかもしれない。

けれど、中には、移住に関心を持たれたり、外国での暮らしがどんなものか、興味のある方もいらっしゃると思うので、少しだけ。

もちろん、過ごし方には個人差があるし、あくまでも、私のケースということでご了承頂ければ幸いです。

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白状すると、シンガポール時代は、かなり遊び回っていた。

元々、気が小さいので、周りの目が、すぐ気になってしまう。


だから、日本ではできなかったこともたくさんあったけど、シンガポールに来て、「世間体」という言葉と、無縁になったことを皮切りに、まるで、抑えていた衝動が弾けたかのように、やりたいことに、次から次へと手を付けた。

最初は、ダイビング。隣国マレーシアの島で、ライセンスを取った。

その海の美しさはと言うと、日本にいた時に、コンピューターのスクリーンセーバーに貼っていた、タイの海さながらで、”この世には、こんな綺麗な場所があるんだ。”と心から感激した。

ちなみに、日本で最後に働いた職場は、半地下にあり、なんだか自分がもぐらになったような気がして、せめてもと、スクリーンセーバーを、海に変えたのだった。その美しい海が、今は、一泊二日で行ける地理条件にある。

全ての整った、シンガポールとは異なり、マレーシアは、人も、のんびりと優しくて、風景は、どこまでも長閑。

それまで、がむしゃらに日本で働いていたことが、幻であるかのように、魚と戯れた。

ダイビングのライセンス取得後は、しばらく、あちこち潜りに行ったけれど、次第に興味はハイキングに移り、仲間と連れ立ち、ジャングルの中を歩いて回ったり、キャンプに行ったり、トレーニングして、東マレーシアのキナバルという、標高4,095mの山まで登りに行った。ロッククライミングにも挑戦した。

そのうちモンスーン(雨季)の時期が来て、今度は、かねてからやってみたかったサーフィンを初めた。

そして、週末の度、マレーシアまで出かけ、乾季が来ると、今度は月に1度、バリまで出掛けて波を追った。そして、シンガポールの都会と対極に、マレーシアでも、バリでも、私が長い間忘れていたことを、一つずつ、取り戻して行った。

それは、自分に取って大切なことは、自然との触れ合い、素朴さ、優しさ、誰かと何かを分かち合うことで、物質の所有が全てではない、ということ。

昔の日本を彷彿とさせるような、素朴な風景の中、小さなワルン(食堂)で、イブ(おばさん)のよそってくれたご飯を食べながら、よく、そんなことを考えた。

一方、周りの友人は、それぞれに、自分のやりたいことに興じていた。

皆、驚くほどに正直かつストレートで、稼ぎたい人は稼ぎ、パーティで遊びたい人はパーティに行き、勉強したい人は勉強し、そんな中、私は月曜から木曜日までは猛烈に働き、金曜が来ると、服の下にビキニを着て出勤し、同僚に揶揄われながらも、時間が来ると、誰よりも先に、”Happy Friday!"と言い残して、フェリー乗り場に向かう日常だった。

オフィスの入った、大きなガラス張りの窓から見渡せる、明るい南国の風景は美しく、お昼に外に出れば、ホーカー(屋台)のおばさんが、忙しく働いく、活気付いた空間の中、勢いよく ”これとこれ!Eat Here!(ここで食べます!)”と大声で叫び、支払いを済ませた後は、夏風に吹かれながら、中華麺などを啜る。

アジアのハブと言われるだけあって、街のホーカー(屋台)には、中華、インディアン料理、マレー料理に始まり、韓国、ベトナム、タイと、アジアの食べ物が勢揃いし、食事とは別に、スィーツの店も、数多く揃っていて、毎日何にするか考えるのは、ちょっとした楽しみの一つでもあった。

東南アジアは、それぞれ国がコンパクトで、行き来がしやすいから、同僚の中には、毎月のように、格安航空を使って、バンコクまで遊びに行く人もいれば、ちょっと散歩にと、フィリピンまで、行き来する人もいる一方、インドア派は、ハイティに、スパに、中国語を習いに、インド街で、ヘナを施して貰いに出掛けた。嗜好によって、やることは五万とあり、加えて、やれフェスだの、クラブでパーティだのと、まさに、毎週末がお祭り騒ぎだった。

シンガポールと言えば、物価の高いイメージが、定着しているようだけど、少なくとも私がいた時代には、家賃や食費の他、移動費以外に掛ることはあまりなく、年中夏服で過ごせ、無料で入れる公園は、美しく整備され、海を見ながら、サイクリングをしたり、駐車場でスケボーをしたり、誰かの家のプールで遊んだりと、お金をかけずにできることはたくさんあった。

また間借りの空間も、狭いとは言いながらも、もちろん日本よりは、ずっと天井も空間も広いコンドミニアムで、しょっちゅう仲間に誘われては、彼らの持っているボートや、お家で、過ごしていたので、困るようなことや、惨めに感じることなど殆どなかったし、今振り返れば、人生のゴールデンタイムだったように思う。

逆に、あまりにも沸き立った感じに、少し飽食してしまった、というのが、正直な気持ちだったのかもしれない。それ位に、私は、シンガポール生活を満喫した。

(続く)


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