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新しい時代に向けて・移住という概念

私が2001年にシンガポールに移住した時、驚いたのは、実に色んな人が住んでいるなぁということ。

現地のシンガポール人(主に、中華系、マレー系、インド系で成り立つ)に加え、ホンキー(香港人)、インドネシアン・チャイニーズ、マレーシアン・チャイニーズ、メインランドチャイナ(大陸)からの移住者、アマさんと呼ばれる、住み込みお手伝いさんには、インドネシア人、フィリピン人、あとはマレーシアやタイの人なんかも多かった記憶がある。

ITを主とした、ビジネス展開をする為に、当時は、ヨーロッパ、アメリカ、オーストラリアの人も多く参入していたし、ラテンの人さえもいた。(現地のラテンの会というのがあって、一度遊びに行った)

当時私は、とあるグループに入ってスポーツをしていたのだが、そのクラブは、オーストラリア人主催のもので、仲が良かったのは、断然ドイツ人。

なぜかわからないが、何しろ馬があって、インターナショナルなクラブの中でも、いつも、数名のドイツ人と行動を共にしていた。

当時住んでたアパートには、交通の利便が良かったせいか、幾人かのモデルが住んでいて、世の中に、こんな美男美女がいていいのか?と、びっくりするようなハーレム状態だった。その中でも、仲が良かったのは、ルーマニア人の女の子。

すらりと長身で、エキゾチックな顔立ちの彼女が、「ルーマニアで、犬は、”ハムハム”って鳴くんだよ」と言うのを聞いて、腰を抜かしそうになったことも、今では懐かしい思い出だ。

2001年、今から20年前の段階で、世の中には、”移民”という概念が、こんなにも発達していて、こんなに、いとも簡単、国を跨いで、別の国に移り住むんだと感心したことを、今でもよく覚えてる。

ちなみに、シンガポール人はというと、当時は、オーストラリアに移住するのが、ちょっとした流行りだった。

小さな国土を出て、広くて、ビジネスチャンスのある、オーストラリアに移ろうと、私が通っていた歯医者さんも、仲良しのサーフィン仲間も、あの人も、この人も、あれよあれよという間に、移住を叶えて、かの地に発っていったいった。(もちろん、それは簡単にできるものでは無く、基準を満たさなければ、叶わない。)

当時、シンガポールライフに満足していた私は、どうして、彼らが、移住したがるのか、いささか不思議でもあり、好奇心もあった。あんまり皆が、オーストラリアというので、サーフトリップと掛け合わせて、視察にも行ってみた。

けれど、行ってみて、私が移住したい、と思ったかというと、実は、そうでもなかった。自然は素晴らしい。波も抜群に良い。そして何しろ広い!シドニーは、今まで訪れた都市の中で、最も美しく、「あんな素敵な家に住んでいるのは、どんな人で、どんな暮らしを送っているんだろう?」と思ったりもした。

けれど、そこに移住したいかというと、私には、ピンとこなかった。

この感覚は人に寄るだろうし、こればかりは自分の肌で確かめてみなければわからない。

けれど、たまたま入ったテイクアウトの店のオーナーが、シンガポールからの移住者で、(アクセントですぐわかる)嬉しくなって、”どう?オーストラリアライフは?!”と聞いてみたら、”シンガポールが恋しい。差別もあるし、もう帰りたい”と言っていた。多分それは、彼の本音であっただろうと思う。

サーフィン中に、ぶつかられて病院に駆け込んだ時、私の傷をみてくれたのも、(恐らく移民の)インド人ドクターだった。

現地に詳しい知人は、”彼で良かった。他の医者に比べて、断然腕がいいから。”とほっと肩を撫で下ろしていて、この国が、どれだけ移民で支えられているかを知ることにもなった。

時を同じくして、お隣の国、マレーシアでは、日本人を対象とした、リタイアメントプログラムによる海外移住が、小さなブームを起こしていた。

当時はサーフィンをする為に、シーズン中は毎週末、マレーシアに通っていたので、現地にもたくさん友達がいたのだけれど、その中の一人が、移民エージェントをはじめ、”日本語の単語、だいぶ覚えた。”と嬉しそうに言うので、”どう?ビジネスの方は”と聞くと、”お客さんが、たくさん増えた。”と喜ぶ一方、彼のところにしょっちゅう連絡しては、やれ、どこの床屋にいけばいいのか、買い物についてきて欲しい、どうやって1日を過ごせば良いかわからない、等々、言葉が出来ない為に陥りがちな、不便さや、孤独、新しい場所に、自分を適応させることが難しい人も、多いことが伺えた。

当然だけど、言葉ができないと言うのは、その場所では、ハンディキャップに他ならないので、その都度、誰かに頼らねばならず、もちろん、そうやって、少しずつ自分で身につけていく一方(人は、境地に立たされると、案外力を発揮する!)逆に、足元を見られて、悔しい思いをすることも、たくさんある。

つまり、お金を持って移住して、物価の安い国で、大きな家に住むことが出来たところで、コミュニケーション能力がなければ、ただ、そこにいるだけの人になってしまうのだ。

(続く)

*写真は、当時よく通ったお気に入りのカフェ。緑の中にうまく調和していて、居心地が良かった。



 


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