見出し画像

プロヴァンスの夢

 さてヨーロッパの旅日記、最終回は何十年(?)ぶりかに足を伸ばした南フランス。フランス人にとって、定年退職後に住みたい地方の人気ナンバーワン。私がよく知っているのはマルセイユとニースなのだけれど、今回はプロヴァンス地方の小さな村に数日間滞在した。あちらではメインの移動手段であるバスに乗ると、窓から見えるのは見渡す限り広がっている葡萄畑だ。葡萄の収穫はまだ少し先なので、実の色は緑色ではないかと思う。
葡萄の畑を見ると、ここはどんな土壌なんだろう?何の品種かな?と、すぐに葡萄から造られる飲み物に考えが直結してしまうため、ついつい「ワイン畑」とか言ってしまう。

プロヴァンスでは、期待通りの生温かく優しい空気感が待っていた。空気が温ければ人々も温い。

どんな温度かと言えば、例えばスーパーのレジで30サンチーム足りなくて探していると、後ろで待っていた人が払ってくれた。

エクサンプロヴァンスに行く朝一番のバス(乗車時間1時間弱)に乗り込み、お金を払おうとすると「要らないよ。乗っていいよ。」と運転手に言われた。他の停留所から乗る人も無料にしてもらっていた。日本だったら土日早朝特別料金を取られるところだろうに。このユルユルしたおおらかな人たちに寛大な心をもらう。

バスにやや呆けたお爺さんが乗って来て、降りた途端に「90サンチームください」と、周辺の人達に頼み始めたら、その様子を見ていた不良っぽい若者が「ムッシュー、どうぞ」と言って、きっちり90サンチーム渡してあげていた。

ホテルで食べたパスタは、4回ぐらい茹でたかと疑うほどぐにゃぐにゃ、インゲンは色が変わるほどクタクタ、セミの応援合戦が止まないコンサート会場。そして写真には写らなかったけれど、満天の星空がきれいだった。おおらかな気持ちで、後一歩パーフェクトに届かない不完全さを愉しむ。そんなのんびりしとして、懐深い土地なのだ。

 プロヴァンスからTGVでパリに戻ってくると、ロワシー空港に常設されているラボでPCR検査を受けた。運良く陰性。普通は50ユーロだけれど20ユーロの追加料金を支払い、早く結果を出してもらうように頼んだところ、検査からたったの50分で結果と日本用フォーマットの証明書を出してもらえた。旅の途中からマスクのことはすっかり忘れて生活していたけれど、出発前の準備は万全で、高い旅行保険に入り、持参した抗原検査キットで数日ごとにチェック、毎日うがいして、万が一のために解熱剤など薬を大量に持ってきた。陰性証明さえもらえれば、この旅行は成功だったと言っていい。スリにも暴漢にも合わず、コロナに罹ることなく予定したことは全て実現し、奇跡的な楽しい時間を過ごした。
陰性証明を片手にすっかり緊張が解けた状態で空港からパリに戻り、思い出のある場所に行ったりして最後の1日を過ごし、翌日夕方には東京に向かうために再びロワシー空港へ。
JALのカウンターでスーツケースを預け、入国に必要なcovid 関連の書類に不備がないか確認してもらい、まだ時間があったので税関の目の前にあるカフェ&バーで赤ワインを飲んでいた。しばらくすると、出国手続きの列にみるみる間に人だかりができた。出国手続きは全てIT化されているのだけれど、何故か時間がかかっていて、その後のセキュリティチェックはもっと混んでいる様子。優雅にワインを飲んでいる場合ではなくなり、慌てて荷物を持って出国手続きの列に並んだ。夕方のラッシュだったのか予想以上に時間がかかり、出発ロビーに入れたのは出発時刻の20分前で、すでに搭乗手続きが始まっていた。急いで最後のお土産を買い、飛行機に乗り込んでから思い出した。

ワインのお金払って来なかった…

 グラスワイン代の12ユーロを踏み倒してしまい本当にごめんなさい。最後の最後で無銭飲食をするという大失態。プロヴァンスでヴァカンスモードに浸るうちに、おおらかを通りこしてうっかりに拍車がかかってしまった事態に自分でもビックリ。この借りは近いうちに必ず返しに戻って…来られるといいな。もうすでに次回に備えて、アプリを使ってユーロ貯金を始めている。フランス語の通訳学校には8月末から復帰する。世界情勢がどうなるか次第だけれど、きっとまたフランスには戻ってくるに違いないと、ちゃっかり次の計画を始めている。 

 《おまけ》
今回の旅行を決めたのは半年以上前なのだけれど、エアチケットを買った時から手帳にお守りのように30ユーロを入れて持って歩いていた(意識せず)。旅行中は円から換金したユーロにその30ユーロもプラスして財布に入れ、カードや現金で決済していわけだけれど、帰国して財布を確認したらぴったり30ユーロのお札が残っていた不思議…(不思議っていうか、半分は空港でのワイン代)というわけで、また来るね。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?