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夏の終わり

ようやく殺人的な暑さの片鱗もうすれて来ました。この異常気象は紛れもなく人間の仕業と思うとどこか怒りがこみ上げ、加えて戦争の情報やコロナとあまりにストレスフルで身体も疲れ、心も荒んでしまっていました。

それでも朝夕には虫の音が聞こえ、空を見上げれば地上に近い入道雲は堂々と、羊雲はぽっかりと浮かんでいます。

まさに夏は秋に変わろうとしています。季節の変わり目なので趣味、思考も少し変わります。

きのうはごぼう、にんじん、しめじ、油揚げを入れた炊き込みご飯を作りました。ネットなどにのっているレシピの調味料はいつも半分にします。2合のご飯に大さじ2の醤油は多過ぎるので大1に、みりんとありましたがこれはいれません。我が家では玄米をその場で食べるだけ精米します。すると水の分量が難しいのですが、さっぱりとして美味しい炊き込みご飯が出来ました。

こうなるとこのご飯に合うのは秋刀魚だなと勝手にイメージが湧きます。でも大根おろしがないとです。大根は先週種を蒔いたばかりです。収穫は11月頃になります。

食べ物だけでなくようやく落ち着いて本を読む気になり、図書館に行って本を借りて来ました。

・「池澤夏樹の旅地図」池澤夏樹
・「名づけられた葉なのだから」新川和江
・「遠い唇」北村薫
・「星野道夫と見た風景」星野道夫 星野直子

新川和江さんの本を借りたくて行きましたが、ネット検索に慣れ切っている脳には小さな試練でした。書棚にずらりと並んでいる本を著者名あいうえお順に追うのも疲れますし、本の背表紙はあまりにもデザインもフォントもまちまちで視認性がとても悪い。新川の読みは「アラカワ」ではなく「シンカワ」だと調べ直してわかり、気をとりなおして シ の棚を探しましたが全然ありません。とおとお職員にたずねると詩の本は別のコーナーにありました。

パソコンの操作というのはとてもスピーディーで便利ですが、脳のカロリーを全然使わないんだなとつくづく思います。すべてのものごとは(つまり生きるってこと)はアナログですから、パソコンのようにすいすいとは行きません。脳内で覚えてしまったスピードと現実のスピードはあまりに差があるので、こういうところがイライラの原因にもなるのかなとふと思いました。

本はだいたい午前中に読んでいます。何の知識もなく目の前にあったので借りた北村薫さんの本が面白くてラッキーでした。(高村薫さんと間違えたむきはありますが…)ミステリー作家さんの短編集でした。

今は以下の詩に曲をつけているところです。

Nobody knows(仮)

奇妙な絵を見たあとのような
ときあかせない数学のような
語り明かしてもまだもの足りない
きっとそれが My Life

月が動いて家の灯りがまたたく頃
身体のどこかが泣けてくるの
おかえりなさいの声をまだ待っている

温かいミルク なめらかな手ざわりの毛布
けだるそうなネコ
私をつつむものはいつもそこにある
だけど私はこれからどこへ行くというの
それくらい人生って不確かなのよ
誰にもわからないの
Nobody knows

今日は少し暑くてだるそうな近所のノラ

先日見た映画「コーダ」の中で主人公ルビー・ロッシが歌ったジョニー・ミッチェル「Both side now」にすごく感動して感化されて作りました。

ただしこれは1番なのか2番なのかわかりません。コピー用紙の裏にわ~っと書きましたが、もう片われの一枚は行方不明になってしまいました。譜面のどこかに紛れてしまったのでしょうか。そのうち出て来るのを期待して。

風にそよぐようなイメージの曲にして、みんなで一緒に味わえる歌にしたいです。

野に咲く花のように

フランス版原作「エール」主人公ポーラ・ベリエの唄もすごくいいです。


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