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幼稚園で習うこと

職場の人に、
「師長は、凄いと思う。そういうところ尊敬します。」
と言われました。

私は、海外の選手にレッスンを受けてきたお陰で、
自己主張が出来るようになりました。
海外では自分の意見を言う、表現するということが当然の文化です。
日本人は、人にどう思われるか、言われるかということを気にしやすい人種のように思います。

私は、子供のころ、気が弱く、人に気を遣い、自己主張出来ない人間でした。今思うと、家だけが自分らしくいられる場所で、外で受けたストレスを
家で発散していて、両親や兄弟にはとても迷惑な存在だったと思います。
八つ当たりばかりしていたからです。

そんな私も、今はダンスに出会ったことで、感情の排泄が「踊る」ということで出来るようになりました。
自分の意見を言うことが悪いことではないと言うことを知り、自己主張が当然のように出来るようになっています。
それに、ずっと強くなりたい、強くなりたいと思い続け、
強くなることを決めて、いつも意識し、
強い人の思考と行動を自分に刷り込んだ結果、
今は、「強い」とか「男前」「男らしい」「男性的」「男っぽい」「かっこいい」などと言われるようになりました。
女性なのにね。

でも、自立女子、自律女子を目指してきた私にとってこの評価、表現、私のイメージはとても好ましいのです。
基本的に誰にどう思われようと関係ない、私は私というスタンスです。
一歩間違えば我が儘、頑固なのですが、周りが解ってくれているのでしょう。
私は、ノンストレスで生きていけています。

職場の人が私言った、「そういうところ」という「そういう」の意味は、
間違っていると思うことを相手が誰であろうと口にするところなのだと思います。

職場の人間関係は、不思議です。
誰が上司になるかで病棟の雰囲気は変わるし、
誰が意見を主張するかによって方向性が変わります。
中身、内容ではないことが多い。
そして、管理職の人間、上の立場の人間が「この職員はダメだ」という態度を取れば、その態度、雰囲気が伝染し、周りも同じような振る舞いをとってしまうのです。
この現象は、生物学的にみれば、当然かもしれません。
ボスに従っておけば、自分の身が安全になる、守られるという生きるための生き物の本能のように見えます。

人に合わせて生きる、振る舞いを変えるということで身を守るという方法が社会に定着しているということです。
自分で考えず、周りに合わせる。
おかしなことです。

自分の人生なのにね。

私は、幼稚園で習ったことを大切にしています。
「清く、正しく、美しく」です。
私は、理不尽な扱いや正しい看護が出来ないこと、プロ意識が足りないということには納得がいきません。
心が貧しい人、頭が悪い人、品格がない人が嫌い。
頭が悪いというのは、学歴がないということではありません。
相手の気持ちが解らなかったり、考えられない、感じない人ということです。思いやり、愛のない人が嫌いです。

看護師は後輩や部下を育てるべきであるということは看護倫理綱領にも記されています。

人を育てるというのには知識も技術も必要です。
私も、どれだけ指導法を工夫しても全く相手に伝わらずにイライラした時期もありました。でも、相手は変えられないということや、一人ひとり成長過程やスピードが違うということを認識するように努めて、こちらの指導方法を変えるということで相手の反応を確認しながら物事を進めていくようにしています。私も完璧ではありませんが、お互いに歩み寄ればなんとかなるものです。

患者さんの看護をするという共通の認識さえあれば良いと思っています。

ある職員が成長しないという理由から、役割や業務などの負担がかけられているという現状がありました。出来ない人に、出来ない量の業務が割当てられているように見えました。
さらに、上司がその部下のことを「出来ない」というレッテルで見てしまうため、言動の全てに揚げ足を取っているように見えました。

出来ない職員は、何故自分だけ負担がかけられるのか、業務量と指摘量に納得がいかないという気持ちになり、何が出来ていないのかということを自覚出来ずに不満だけが溜まっていっていました。

私は、指導者の言動と態度、指導方法に問題があると感じ、
負担を軽くして、一つ一つ覚える、出来るようにしたいということを発信しましたし、職員のことを皆の前で悪く言うのは止めるよう指示しました。

病棟のこの雰囲気はおかしいということを大声で叫んだ形です。
出来ない者に出来ない要求をするというのは、もはや「いじめ」です。
どのように指導し、どのような反応があり、どう指導法を変えたのかを文書化するように求めるようにしたりもしましたし、私の上司にもこの状況を説明、報告するということもしました。

何年も成長しないのはおかしい、困るといった反応を私の上司がしたので、それにもがっかりしましたが、私は自分が間違っているとは思えなかったので、自分を押し通しています。

おかしなことはおかしいと主張し続けています。

指導する側にも指導される側にも問題があります。
どこを調整して適正化するかということに目を向けて、対処するしかありません。
おかしいと思っていても口をつぐむ、雰囲気に流される周りの人間(その他の職員)にも問題があるように思います。

私たちは看護師です。
患者さんの看護がきちんと提供されるということが最も大切です。
そのための業務であり、役割でなければなりません。
そのベースがしっかりあれば、迷うことなどないはずなのです。
病棟の雰囲気は患者対応、患者看護、心理へ影響するのではないでしょうか。看護の質を下げてしまいます。

おかしいと思うことをおかしいと言う。
たったそれだけのことが、尊敬に値するのでしょうか。
なかなか出来ないことだというのでしょうか。
私の職場では出来ない人が多いということなのです。
とても恥ずかしいことだと思います。
私のしていること、言っていることは、幼稚園で習うことだからです。

弱いものをいじめてはいけません。
出来ない人は助けましょう。
出来ない人は、出来るように手を貸しましょう。
困っている人は助けましょう。
私は幼稚園でこれを教わりました。
私は、出来る範囲で出来ることをしているだけです。

大人になっても、これは大切だと思っているので続けています。
ただ、それだけです。

自分を見失わずにお仕事をする、一人の人間として生きていく。
ただ、それだけ。

尊敬してくれて「ありがとうございます。」と言いました。
私は、私が正しいと思うことをして良いのだと確認出来ました。
もっともっと成長したいと思います。

患者さんへ質の高い看護を提供する。
そこはぶれてはいけない。
上しか見ない。
上を目指す。
自分を常に成長させて、高いところに行きたい。
頑張ります。

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