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呑み鉄は夜更けから

 知人の三藤さんが仕事でドイツへ行くついでに、二泊三日でイスタンブールに寄るのだという。その話を聞いてから、羨ましくて猫の額ほどもない書斎でのたうちまわっていると、ガンと膝をぶつけた机の引き出しの肥やしとして早すぎる余生を過ごしているİstanbulkart(イスタンブールカード)があった。
 埼玉にSuicaがあり、札幌にはKitacaがあるように、イスタンブールにはイスタンブールカードがある。二年前トルコへ行った際に使ったものの、次にいつ使う日が来るか。あまりに見えない未来に思わずメルカリにて売らんとして、しかし、それが不倶戴天の宿敵鹿島アントラーズの補強費用となるのも癪なので、眠らせていたのだ。せめて、イスタンブールカードに我が魂を託し、三藤さんに無理やりに貸すこととなった。地平線の遥か先まで心の広い三藤さんは「大目にチャージしときますよ。」とおっしゃっていたが、我が使える日はいつになるか。そもそも私がイスタンブールへ行ける時まで、トルコリラの価値が今と変わらないとはとても思えない。

 月曜日の仕事帰りに三藤さんの経営しているお店に向かう。少し遅い待ち合わせだったのでのんびりバスで向かう。タイヤの上の高い座席に座ったために、いやでも目に入る一段低い、前の席に座る若い女性のスマホ画面。食事会をしたであろう写真を、自分の顔だけ何度も色調補正を入念に施した後に友人に共有するのを目にしながら、丁度良い時間にお店に着く。
 三藤さんは接客中だった。店内でしばらく待つ。三藤さんの扱う商材の単価は高く、しかし、それを大人買いできる人がいる。趣味に投じられる財力と奥さんに有無を言わせぬ権力を保持した大人と己の現実を対比していると、接客を終えた三藤さんが口を開いた。
「もしよかったら、これから電車に乗りに行きませんか。電車の中で呑みましょう。昨日一昨日と本当に忙しくて、今日は朝から無性に電車に乗りたかったんですよ。」
「これからですか。もう二十時ですよ。しかし、すごくいいですね。」
 三藤さんが昼からずっと考えていたというプランは以下の三つであった。
 一つ目。これから浅草駅へタクシーで向かい、東武特急スペーシアで栃木へ。両毛線に乗り換えて、小山へ行き、新幹線で戻る。
 二つ目。日暮里から、京成イブニングライナーに乗り、成田空港へ。スカイライナーで折り返す。
 三つ目。上野から上野東京ラインのグリーン車で横浜へ。相鉄で西谷へ行き、新しく開業したばかりの相鉄・JR直通線で都内へ戻る。
 そういうわけでいそいそとと店を閉めた三藤さんと私を乗せたタクシーは、空いた下町の幹線道路を疾走していた。タクシーの中で妻に「今日の飲みだけど、呑み鉄となり、これから栃木へ行く」とLINEすると、すぐに一言の返信がきた。「六角精児か!」※
 青白く屹立した東京スカイツリーが迫ってくると、もう浅草である。

 特急券を買い、お酒とつまみを調達せねばならない。浅草の夜は早く、松屋のデパ地下はすでに閉まっていた。ファーストフードは味気ない。東武浅草駅の向かいの新仲見世通りに入ったところに、ケバブ屋「The Kebab Factroy」があった。

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 己が三藤さんにイスタンブールカードを渡して、イスタンブールについて浅い知識をひけらかすことが今日の目的である。トルコ料理ほど格好のつまみはあろうかと。キョフテというトルコハンバーグをテイクアウトすることにする。キョフテが焼き上がる十分くらいの間に、三藤さんはコンビニでビールを調達する。

 21:00発の特急スペーシアけごん51号東武日光行き。
 言うまでもなく、これは帰りの電車ではなく、行きの電車である。この時間から、我々は栃木へ行くのだ。わずかな仕事帰りのサラリーマンを乗せた空いたスペーシアは、静かに浅草駅を離れ、隅田川の鉄橋をゆっくりと渡る。街灯の反射した暗い隅田川鉄橋を渡り、北へ向けて走り始めた。
 バブル時代に設計された特急電車だけに、座席は新幹線のグリーン車並みに豪勢である。深く腰を沈め、靴を脱ぎ、フットレストに足を伸ばす。そしてテーブルを引き出し、ビールとキョフテを並べる。

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 我々はプシュッと缶ビールを開けて乾杯し、ゴクリと飲んだ。ビールの充足感と小旅行の高揚感をもって、キョフテを食べ始めると、美味すぎるのである。ハンバーグにエスニックのスパイスはよく効き、絶妙なソースと絡めて食べると、ここは東武線ではなく、トルコ鉄道に乗った気分である。窓の外はアナトリアの乾いた大地……。現実は仕事帰りの人々でごった返す北千住駅のホームである。北千住駅で満席となった。

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 この呑み鉄小旅行は賭けでもあった。大半の乗客の降りた春日部駅を過ぎ、杉戸高野台駅のホームを離れると、私たちは覚悟を決めなければならなかった。
「いいんですか?折り返すなら、今ですよ。」
 三藤さんは杉戸高野台駅に着くまで、何度も確認する。
「いいんです。覚悟を決めて、もう行っちゃいましょう。なるようになります。」
 栃木駅着予定22:11。乗り換え予定の両毛線小山行きは22:15発。乗り継ぎ時間はわずか四分。そして、我々のけごん51号は二分遅れていた。浅草方面へ折り返す列車はもうなく、両毛線は最終でないものの、次の電車は1時間後であった。この電車に乗って小山に着いたところで、もう東京方面へ戻る電車はもうない。つまり、栃木駅で22:15発の両毛線に乗り遅れると、我々は帰れないのである。
 それならば、もうこのまま破れかぶれで東武日光まで行き、人一人いない山間の駅前で茫然と立ち尽くすのも、長い人生において決して忘れることのない思い出となる。翌日妻にこっぴどく叱られるのも、またスパイスだ、このキョフテよりだいぶ辛いスパイスだが。

 二缶目のビールを見ながら、車窓からは光が少なくなった。利根川を渡り、群馬県をかすり、栃木県へ入った。二十二時を回った。繰り返すが、これはまだ往路なのである。そして23:13に二分遅れのまま、けごん51号は栃木駅の高架ホームに滑り込んだ。隣のホームには、すでに23:15発の両毛線小山行きが止まっていた。
 ドアが開くやいなや、我々はもうダッシュした。想定外の栃木残留。やはり、避けたいのである。ビールで真っ赤な顔をした韋駄天は階段を駆け下り、東武線の改札を抜け、コンコースを走り、小さなJR線改札を抜け、階段を駆け上がった。
 列車はまだ止まっていたが、ドアは全て閉まっていた。何故だ。間に合わなかったのか。ドアの開閉は手動なのであった。なんと遠いところまで来てしまったのか。乗った車両には栃木のサラリーマングループ三人と若い男一人しか乗っていなかった。

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 三藤さんにとって、ボタンを押して開閉するドアが新鮮なのか、私をモデルに写真を撮る。四分接続の賭けに勝った我々は安堵していた。しかし、最大の難関は小山駅であった。
 小山駅には時間通り22:27に着いた。最終の東北新幹線なすの284号東京行きは22:37発。十分接続は余裕だと思っていたら、両毛線ホームと新幹線改札は想定外に離れており、辿り着くのに数分かかる。そして、新幹線の切符購入に手こずるのである。自動券売機で特急券を買おうとすると、私のモバイルSuicaではうまく買えないのである。全てスマホ内で購入しなければならないらしい。そして、三藤さんのSuicaでは新幹線に乗れないのである。乗り方を問う三藤さんに小山駅の駅員は「次回からは事前にちゃんと切符をお求めください。」と言う。
 新幹線ホームへの階段を上がっている途中には、もう到着を知らせる放送が流れていた。

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 三藤さんは上野まで、私は大宮まで、最後の呑み鉄である。缶ビールは飲み干し、小山駅で調達する時間もなかったが、浅草駅ホーム上の売店で購入した小さなワインがあった。付けてくれた小さなプラスチックカップにて乾杯し、チビチビ舐めれば、もう大宮であった。たったの十八分。随分遠くまで行ったと思ったのに、やはり新幹線は速い。

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 三藤さんは既にドイツで、もうすぐイスタンブールへ行く。にわかに暗雲の立ち込めていた中東情勢は、アメリカとイランは、互いに池乃めだかのごとく「よっしゃ、今日はこれぐらいにしといたるわ」と一旦は矛を収めた結果、小康状態となった。トルコ行きに不安はない。
 やはりイスタンブールを現地案内してほしいと三藤さんに懇願されたらどうしようと妄想し、格安チケットを念のため探し、ヘソクリを夜な夜な数えたものの、そもそもパスポートの有効期限すら昨年で切れていた。
あぁ、遥かなるイスタンブール。せめて、この曲でイスタンブールの雰囲気を味わい、慰めたい。

NHK「六角精児の呑み鉄本線・日本旅」
最近この番組がたまらなく好きなのは、己の嗜好が中高年に入った証だろう。

サポートしてもらって飲む酒は美味いか。美味いです。