オンライン稽古やってみた件
どうも、岡田です
先日、初めて書いたミュージカル「大人になったピノッキオ」が無事に幕を開け、降ろしました
色々なチャレンジが多くあった中での創作活動でしたが、その中でも特にzoomを用いたオンライン稽古は演劇という媒体に対してどこまで向くのかしら?と思いながらやっておりました
たぶん、もっと使いこなしてる人もたくさんいるし、その作品ごとに合う合わないはあるとは思うのですけども、今回やってみて感じたことを岡田なりに書いてみようかなぁと思います
1 環境にめっちゃ左右されるなぁ
オンラインでの稽古は各自が自分の持つデバイスでインターネットに接続して行います
そこで発生する問題の一つが環境格差でした
家にインターネットの環境があるか?接続する機器はパソコンなのかスマホなのかタブレットなのか?
それぞれのマイク、スピーカーはどういうものを使っているのか?
今、いる場所(部屋)は声を出すことに適しているのか?
周りの騒音(工事、空調、猫、家族など)
対面の稽古のように一箇所に集まる場合には創作においてあまり気にする必要のないことが一つ、心配しなくてはいけないこととしてあった印象です
また、今回ミュージカルであったこともあって歌があったのですがタイムラグを防ぐために歌う本人が自分でカラオケを再生して歌ってもらっていました
こうなってくると、稽古に接続するデバイスとはまた別に音を出すデバイスが必要になってしまいます
僕はガジェットがわりと好きな人間なのでどうとでもなる部分がありましたが、全員がそうではないのでやはりできることには限界がありました
また、家からの参加になるケースがどうしても多いので色々な要因によって稽古が中断したり、流れが止まってしまうケースがありました
通信が途切れてしまうなどはその典型的な例だと思います
ここらへんは、そういうものであると共通で認識があれば稽古をするだけなら問題はないなという印象です
2 身体性のある稽古はできない
当たり前なんですけど、みんな違う場所にいます
なので身体的な表現についての稽古は不可能でした
ダンスも結局は相手のいる環境に左右されるため、実際に劇場で行う演目の稽古としてはあまり向かないと感じました
僕の場合はそこはもう完全に無理と割り切っていたのでオンラインでは行いませんでした
3 踏み込んだ話をするのがとても難しい
オンラインは同じ場所に体をおいていません
その結果としてですが、通常の対面稽古と同じようにコミュニケーションをとることはとても難しいと思いました
僕は作品においてかなり扱いが難しいテーマを選ぶ傾向にあります
今回であれば、不妊についての話だったこともあり、生殖やセックスにおけるコミュニケーションが不妊治療によってどのように変容し、それがパートナーとの関係にどのような影響を与えるのか?
またそれによる精神的なダメージとはどういうものなのか?などについて話す必要がありました
普段の稽古では同じ場所に人間がいるので、コミュニケーションにおいて相手の「承認を得る」ということがやりやすい部分があります
しかし、オンラインでの稽古の場合、この「承認を得る」ための情報がどうしても限定されてしまう上に、それぞれに若干のタイムラグが発生することから効果的に説明することの難しさがありました
情報を伝えるということはある程度まで可能ですが、それをより普段の暮らしレベルまで落とし込んで話す、「例え話」や「違った視点から見た話」など話すタイミングや状況を選ぶものを使うことがとても難しかったのです
しかし、これらは演出家と俳優の稽古におけるコミュニケーションにおいて重要な役割を担うことも多いのです
4 情報を詰め込むのには向いている
ある意味でさっきの話と繋がっている部分なのですが、単純な意味で情報を詰め込むということをしたい場合にはオンライン稽古は向いてるなと感じました
前提としてですが、僕の演出のスタイルとして「俳優に情報を詰め込む」というのがあります
これは僕が扱うテーマが非常に実際的なものが多いからです
俳優は演じる方法については演出家よりもはるかによくわかっています
であるなら、俳優が演技を生み出すために必要な情報を提供することは単純に演技の幅を広げ、変更を容易にします
今回、事前に10ページに渡る作品が取り扱っていることについての情報をまとめた資料を配りましたが、それとは別にオンラインの稽古において個々のキャラクターが知っておいて欲しいことについてはオンラインで俳優と議論をしました
この議論に必要な情報の補足はオンラインはやりやすい部分があったように思います
逆に対面の稽古場でそこまで時間をかけて情報を伝えることができる状況を作るのが難しいからです
残念ながら、劇団や学校など帰属意識の強い場所にいない俳優は必ずしも「すべての演技」に興味を持たないのです
ある意味で「仕事」として演技をやる以上はそれを求めることは難しいのだと思います
だからこそですが、限定的なメンバーでしっかりと時間をかけて議論をするにはオンライン稽古は向いていると感じました
5 間の質を高めるという稽古は意外とできる
演技には「間」というものがあります
多くの場合、セリフとセリフの間にある無音のことを指しますが、この無音には二種類あります
一つは単純に音がなっていないという状態
そして、もう一つは言葉がコミュニケーションの奔流ではない時です
演技においてはこの「無音」が時として「音」以上に物語を強く語る瞬間があるのですが、これを作るということが意外にもできてしまいました
もちろん、俳優の技量や舞台の内容によっても変わる可能性がありますが、僕のようにほぼディレクションをせず、情報と議論によって俳優の演技が自ずと変容することを求める稽古スタイルでは効果的な間を生み出すということができました
この稽古はのちの対面稽古においてもかなり効果を発揮していたように思います
シーン後の俳優の言葉を借りるなら「すぐ隣にいるように感じた」を創るぐらいはできます
6 とはいえ、関係性を完璧に作ることはできない
今回、3組のカップルが出てくる演目でした
その関係性を創るということは作品においても非常に重要な部分でした
本物のカップルが持つ「ケミストリー」を生み出す時、重要なのは心理的安全性と性的繋がりだと言われています
結論で言えば、オンラインの稽古では二つのうちどちらも生み出すことはできませんでした
いえ、正確には完璧には創り出せないという方が正しいかもしれません
実際にこの心理的安全性や性的繋がりについて稽古をした時、俳優の演技は変化を起こしました
ただ、やはりそこに必要な「強い繋がり」がオンラインの稽古では不十分だったのです
演技は劇的に変化したし、作品が求める「間」も生まれました
しかし、やはりそれはあくまでも画面越しの成立でしかなく、実際の対面稽古になった時にはどちらも不十分な繋がりしかありませんでした
結果的にそれは対面の稽古の中で解消しましたが、やはり同時に同じ空間を共有するということが「ケミストリー」を生み出すには必要であるということを思い知らされたように思います
7 ケアが難しい
オンラインの稽古は対面の稽古と違って終了と同時に関係の接続が切れます
そのため、対面の稽古ならできる稽古後の個々へのケアがほとんどできませんでした
演劇の稽古は体と脳と心を極限まで使う行為です
また、物語がその登場人物が人間であるかどうか?に関係なく全ては「人間の生活」を描いている以上、そこには常にトラウマに触れるという危険性が潜んでいます
対面の稽古であれば、感じることができる違和感、その後のケアがオンラインでは行うことがとても難しいのです
また、自分自身が感じましたが、オンラインの稽古は終わった後の孤独感が対面の稽古よりも強くなりやすいように感じました
これも個人差があると思いますが、それは同時「助けを必要とする人が出てくる可能性」を示しています
演目の内容や俳優次第ではこのケアが絶対的に必要になるタイミングが出てくるだろうなと感じました
長々と書いてきましたが、オンラインでの稽古はそれはそれで新しい可能性があると感じました
実際に今回は対面の稽古は7日間しか行えませんでしたが、それでも作品は高い完成度を保っており、俳優からも今回の作品が多くの学びになったという言葉をもらうこともできました
また、オンラインから対面になったからこそ発見できた問題と、それを解消するための演技ワークを実験的に生み出し、試すこともできました
完璧でなかったとしても、そこには試すだけの可能性があるというのが今回の印象です
これがどこかで誰かの助けになることを願って
あ、大人になったピノッキオは上演は終了しましたが、4月ごろに配信を予定しておりますので、よければぜひご覧ください
また詳細は書かせていただきます
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