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馬場正尊×滝澤恭平×渋谷健太郎「ランドスケープから見るエリアデザイン」で話したこと

2019年8月2日CITY LABO TOKYOで行われたハビタ・ランドスケープ出版記念トークイベント「ランドスケープから見るエリアデザイン」で公共R不動産の馬場正尊さんと、『ハビタ・ランドスケープ』著者・滝澤恭平が話した内容を以下にまとめました。

馬場さんとの出会い

筆者の滝澤と馬場さんの出会いは、2004年のCET(Central East Tokyo)という神田、日本橋エリアをリノベーションで熱くするアートイベントの頃。
日本にリノベが広がる初源期だった。

馬場さん:
「当時神田の裏通りに駐車場をリノベした小さな事務所を初めたばかりだった。
ガラスが高価で入れなくて、ビニルカーテンをファサードに使っていた。
そのカーテンををふらりと開けた男が滝澤くんだった。
”角川の編集者ですが”と飛び込んできた。
そこにいたのは、僕と当時作家デビュー前の原田マハさん。
”実は建築や都市に興味があって”と。目をキラキラさせた彼と話が盛り上がった。そのあと、彼は、編集者をやめて建築の大学に行った。
ああ、おれが滝澤くんの人生を狂わしてしまった思っていたので(笑)、
本が出てめちゃくちゃ安心しました」

あのときの出会いがなかったら、この本はなかったかもしれない。
私は建築学科を卒業した後、ランドスケープデザイン事務所で働き、独立。その後、ミズベリング・プロジェクトのディレクターを務めることになり、馬場さんはミズベリングのアドバイザーとして再会した。

馬場さんがデザインした最初の神田オフィス

馬場さんが読んだハビタ・ランドスケープの感想

馬場:
「ハビタ・ランドスケープという本を出すということは一年ぐらい前に聞いた。めちゃくちゃいい言葉をみつけやがったなと思った。
ばらばらな何かがこの言葉によってつながるようになった。
その断片のジャンルは、次のようなものだった:

①ランドスケープデザイン
ランドスケープデザインって、自然の中に線を引くと思われてきた。
人為的な何かを自然の中に埋め込むのがデザインなのか?
いまは新しいランドスケープのデザインを探している時代。

②民俗学
柳田国男や和辻哲郎がやっていたような。
民俗学って、人間の営みがつくる風景の話で、それってランドスケープだよなと。

③考現学
今和次郎が始めた考現学は、現代の人の営みを観察しようというジャンル。
R不動産はすごく影響を受けた。R不動産では、観察する先が物件だったと言っている。

④生態学
生態学からデザインを立ち上げてもいい。
建築には、メタボリズムがあったけど、それは、生態学をファッションや造形から捉えてデザインすることに終わっていた。

そのあたりのばらばらにあったのものを、
ハビタランドスケープという言葉が編集した
それぐらい飛距離があるいい言葉だなと。
実際の足で歩いて、その思想の体系の入り口を検証した一冊なのではないかと。」

フィールドワークへ

ハビタ・ランドスケープで訪れた場所の写真をスライドしながら、トーク。

対馬の和多都美神社。干潟の奥にそっと佇む。カニが往来している。川の石と、神社の石垣、社殿が、連続的というよりは、同列の原理でできているかのようだ。

馬場:
「ハビタランドスケープに通底するテーマは、
人間も生息する生物のうちの一部でしかないといような。
カニと人間の営みがパラレルで、人間をぐっと俯瞰して見る視点がある。」

干潟の奥には、照葉樹林があり、豊玉姫の石碑がある。ちょうど、ここからは森という、陸と海の境界線の場所だ。もともとはここが拝殿だった。

豊玉姫は、日本神話では、海神(ワタツミ)の娘で、海から亀のようにやってきて上陸して出産した女神だ。

馬場:「九州には、豊玉姫がたくさんあって、かならず水と陸の境界のあたりにある。また豊玉姫かというぐらいよく出会うんだよね。

豊玉姫は、海岸でウブヤフキアエズノミコトという神を産んだ。産屋のふきあえず=掘っ立て小屋みたいな建築を海岸に建てた。

馬場:「ここしかないよねという、そこに建てる必然性がある。
土地の文脈を無視して建ててももろくなことない。場所を選ぶのがデザインの原初だよね」

京都の東山では、琵琶湖疏水が市中に細かいネットワークを形成し、流下する。
馬場:「水のネットワークの話、面白いよね。これまで文学には『街道を行く』とか、道を中心に語っていく本はあるけど、疎水や水路を中心に語っていく文学はあるのかな? とても可能性を感じるね」

宮城県気仙沼市小泉での高さ20m幅150mの防潮堤計画に対して、住民と研究者で代替案を検討した話。

馬場:「東北の被災地せつない思いがある。大多数はここまで強烈な土木構造物を望んでいない。人口も減っている中で。
でも、安全を掲げられると、ノーっていえない構造がある。
東北芸術工科大学の卒業制作で、防潮堤を乗り越えて建築を海側に張り出させたいという作品がよくでてくる」

東北には合意形成の問題があり、集落にヒエラルキーシステムがあって、防潮堤に疑問符を抱けない構造があった。何か意見を言うと、復興に反対するのかと地域の長に言われたりする。その点、九州の方が、災害も多いけど、復興や河川計画に対してあれこれ意見を言う文化もあって、多自然川づくりも進んでいるのでないか。

馬場:「明治維新が九州から起こっているということと無関係でない。
新しいシステムを組み上げてもいいという。
でも、東北には、羽黒山とかに、人間と自然が対話しながらつくったんじゃないかという建築がある。自然の力を東北は生かしてきた。
若いときには民俗学あまり入ってこなかった。
今のほうが、人間が近代以前の自然とつきあいながらつくった技術が、民俗学に書かれてきたと感じる。
そっちを中心にまちや風景をつくったほうがいい。」

ハビタ・ランドスケープとは

馬場:
「この図はハビタ・ランドスケープの言葉から受けた感覚に近い。
国連のハビタ計画は、圧倒的に人間中心主義だった。
近代を支えているのはヒューマニズム。
ヒューマニズムで都市や風景がつくられていった。
僕らは今、ヒューマニズムは人間のおごりだったんでないかと感じることはあるんじゃないか。
もうすこし中心になることは多元的にあって、自然だったり、他の生物だったり、それらをフラットに考えた中の人間というバランス感覚をもったほうがいい。人間中心に考えた風景に価値があるのか」

馬場:「東北芸術工科大学にいた広瀬俊介先生が『風景資本論』という本を出している。風景自体が資本なのではないか、ちゃんした風景を残すことが、資本という意味でも価値をもつことでないかと言っている。風景をのこすことは、資本主義の論理から見ても正しい」

馬場:「近代のヒューマニズムがもってきた風景やデザインを超える論理を、僕らは、考えないといけないと思っていた。
ハビタ・ランドスケープという言葉と目線は、俺のそんなもやもやしているところを捕まえるところがあって、はっとした」

NYブルックリンのGOWANUS CHANNEL CONSERVANCYが進める、アメリカで一番汚い運河を再生して、ブラウンフィールドにジェントリフィケーションが起こっているビジョンを紹介。滝澤が一昨年、昨年と現地調査を行っている。ハビタットと都市デザインが融合するジャンルだ。そういう本を作りたいと馬場さんに提案。それは、アーバンネイチャーのデザインの本だ。
人も生き物も喜べるし、ずっと持続的に使えるアーバンデザインについての本。

馬場:「都市のデザイン論でいうと、
”都市は自然化したがっている”と思う。
ここ百年は、人間は都市を都市っぽくしたかった。
ガラスとコンクリートと鉄で。
次の百年、自分たちの都市を自然にようにしたがると思う。
ノスタルジックな自然回帰でなくて、自然浄化システム、グリーンインフラだったり、すごい水準の高いテクノロジーに支えることによって、
都市の中で自然を復活させる方向に猛進するような気がしてしかたがない」

馬場:「現在は都市の緑被率低いが、これからとてつもなく上がっていくのでは。シンガポールの植物園にように、都市の中に緑がある。
あれが、次のスタイル。それは、土木のリノベーションでないか。
僕らでやっちゃおうか。風景とか地表とか表に出てこないデザインかもしれない」

ロンドンのエコプールを紹介。これは雨水を使って、塩素がフリーで水草が生えているプール。ここで泳ぐのがラグジュアリーと言われている。

馬場:「結局人間はストイックにはいかない、快楽の方にしかいかない生物。快楽に向けて自然とデザインする方向にいくと間違えない気がするよね。この百年は、自然の中にコンクリートをいれるのが好きだった。
次の百年は、都市を自然化する。そのキワキワをデザインしたい」

というわけで、馬場さんと、ハビタランドスケープトークは非常に盛り上がり、お互いに編集出身で、都市や建築を始めたということで、やはり本をつくろうという話しになった。「ハビタ的なるもの」を流行らせたいと言ってくれた馬場さん。馬場さんとハビタ・ランドスケープのコラボレーション何か始めたいと思います。

<終わり>


馬場さんとの会話でキーワードにもなった、「アーバン・ネイチャー」を深めるべく、ハビタ・ランドスケープ出版記念トークセッション第二弾として、ポートランド市開発局におられた『ポートランド 世界で一番すみたいまちをつくる』の山崎満広さんと9/2に話します。こちらも是非お越しください。


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