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小説「生きている人魚」➀

 めずらしいものを見つけた、と電話があった。
 大学時代の友人、坂田からである。だが、最初はそうとわからなかった。
 六月のとある日の、昼休み。その電話は僕の勤め先にかかってきて、
『……中川さん、いらっしゃいますか』
 名乗りもせずにいきなりそう言った。受話器に耳を押しつけないと聞き取れないほどに暗く、低い声。つい不審感もあらわに、中川は自分だがどちら様でしょうか、と問い返していた。
『あ、ナカ? 良かった、俺だよ』
「……もしかして、坂田か?」
 少しためらってから、聞き返した。僕のことを「ナカ」と呼ぶのは、坂田だけだった。ああ、と返事が返ってきたが、その陰気な声は聞き慣れた明るい彼の声とはどうしても一致しない。
「ほんまに、坂田か?」
 念を押すと、電話越しに苦笑する気配が伝わってきた。
『そうやで、本人確認でもするか? 下の名前は健一、生年月日は……あ、俺の生年月日なんて覚えてないか。はは』
 声がやや明るくなり、軽口も出た。だがそれでも、いつも溌剌としていた彼だとはとても思えなかった。まさか病気にでも、という不安が胸をよぎった。
「悪い、あんまり久しぶりやったから……何かあったか? えらい急に、しかも会社にかけてきて」
『すまんな……あ、私用でしゃべってたら、まずいか?』
「いや、大丈夫やけど。昼休みやし」
 うちは小さな会社で、同じ事務室のすぐそばに社長がいるが、細かいことにはこだわらない人だ。自席でのんびりと昼食後のスポーツ新聞を楽しんでおり、こちらの声は耳に届いているだろうけれど特に気にする風はない。
「でもほら、携帯じゃなく会社になんて初めてやから。どうかしたんか」
『うん……実は携帯失くして、お前の番号わからんようになってしもて。でも会社の名前は覚えてたから番号案内で調べてかけたんや』
「なんやそれ、あほやなぁ」
 そう笑って応じながらも、その実、さらに不安になっていた。かつての彼は、うっかり携帯電話を失くすような男ではなかった。
「でも、電話番号のバックアップくらいあるやろうに」
『うん、まあ、家にはあるんやけど……』
 語尾が弱々しく途切れた。思わず受話器をぐっと握りしめ、もはや心配を隠さずに尋ねたた。
「どうしたんや、そんなに急用やったんか? 仕事終わるまで待てんような」
『いや……あのな……』
 坂田の返事は歯切れが悪い。沈黙が下りた。電話の向こうはひどく静かで、僕は気付いた。仕事中ではないのだ。職場か、その近辺からかけているなら、こんなに静かなはずがない。
「なあ、今どこから?」
『うん……実は、駅前の公衆電話からなんやけどな』
「駅前? それ、どこの」
 聞き返そうとする僕の言葉を遮って、ふいに語気を強めて坂田が言った。
『ナカ、今から言う住所、メモしてくれ』
「え?」
『言うで。滋賀県の――』
 戸惑いながらも、手近のメモ用紙にペンを走らせた。
『今、そこの家にいてるんや。めずらしいものを見つけてな。明日、来てくれんか?』
「明日? なあ、ちょっと」
『お前にも見せたいんや。待ってるから、来てくれ。今言った住所の、高橋さんという家や』
 僕は、タカハシ、とメモに書き殴った。
『ほんまにめずらしいものやで。あのな、――……から、お前も見に来い』
 そう言い残して、がちゃりと電話は切れた。
 しばらく、ツーツー、という機械音を呆然と聞いていた。我に返って受話器を置いた時、社長と目が合った。
「何や、今の電話。もしかして葬式の知らせか?」
「あ、その……」
 僕は口ごもった。確かに、はたで聞いていたらそういう風に聞こえなくもなかっただろう。
「知り合いでも亡くなったんか? かまわんで、一日くらい休んでも」
 早とちりの社長は席を立って僕のメモをのぞき込み、
「そうか、滋賀県か。実家におる頃の友達かいな?」
 と勝手にうなずいている。今日がお通夜か、香典袋は持ってるか、などと矢継ぎ早に問いかけてくる。結局、その早とちりに便乗してしまうことにした。
「申し訳ありません。明日一日、休ませてください」
 そう申し出ると、社長は少しも疑わず、
「友達いうたら、中川君と同い年か? 三十ちょっと出たくらいで、気の毒やなぁ」
 などと同情してくれている。後ろめたさを感じながらも、こうせざるを得なかったのだ、と自分に言い聞かせた。
 だって言えるわけがない。坂田が最後に口にした、一言。
『生きている人魚を見つけたから、お前も見に来い』
 そんなものを見に行くだなんて、言えるわけがない。

 大学で同じ民俗学研究室に所属していた坂田とは、学生時代にはしばしば「フィールドワーク」と称して小旅行に出かけていた仲であり、卒業後も、年に何度か酒を飲む付き合いが続いていた。その席ではいつも学生時代の思い出話で盛り上がり、しめくくりには「お互い、大学で勉強してたことが何の役にも立ってない仕事をしてるな」と笑い合うのが常だった。
 しかし三年前に坂田が東京本社に栄転してからは――彼は大手の食品メーカーで営業職をしている――、年賀状とメールのやりとりくらいしか付き合いが無くなっていた。 
 僕は、社員が十人にも満たない、京都の小さな会社に勤めている。卒業後すぐ働き始めて、もう十年目になる。大学四年の頃、進路に迷っていたせいで就職活動に出遅れてしまった。とにかくどこか働き口をと研究室の先輩のつてを頼り、先輩の父親の知人が社長をしているこの会社に拾ってもらったのだった。
 戦前から続く和装小物の製作・卸売の会社なのだが、昨今は半襟や草履、巾着といった和装小物ばかりでなく、和柄の布地を用いた日用雑貨も製作して土産物屋や雑貨店に卸している。数年前に服飾関係の専門学校出の女性が入社して以来、そちらの売り上げが伸びてきている。彼女のデザインした化粧ポーチや携帯ケースが「レトロで可愛い」と好評なのだ。
 僕はといえば、そんなデザインセンスもなければ、商品を売り込みに行く営業手腕も持ち合わせていない。もっぱら経理・総務といった事務仕事を受け持っており、日中、ほかの社員が得意先回りをしたり製品を発注している町工場へ出かけたり、あるいは別室で商品のデザインをしている中、日がな一日、事務室でパソコンを叩いている。他には社長が残っているだけのことが多い。そういうわけで、昼休みの坂田からの電話も上手く僕が取ることができたのだが、それにしても妙な話だった。
 夜、帰宅してから、坂田の携帯電話にかけてみた。しかし「おかけになった電話番号は、現在電波の届かないところに――」というアナウンスが繰り返されるばかりだ。
 パソコンを立ち上げ、坂田の告げた「高橋」という家の住所をインターネットの地図で調べてみた。
 琵琶湖を中心に抱える滋賀県では、「湖」に東西南北をつけて地域を現す言い方があるが、その住所は「湖北(こほく)」にある小さな町のものだった。僕の実家も滋賀県だが「湖南」のほうなので、この辺りへは行ったことがない。JRの在来線に乗れば京都から約一時間半で着く駅があり、そこで降りるのが一番近いようだ。坂田が「駅前の公衆電話で」と言っていたのも、この駅かと思われた。駅から高橋家へは少し距離があるようで道順もよくわからないが、タクシーにでも乗れば何とかなるだろう。
 もう一度、坂田に連絡を取れないか試みようとして、東京の自宅にかけてみることを思いついた。三十過ぎても独り身で学生時代と同じ安アパートに住んでいる僕とは違い、坂田は就職四年目に結婚しており、二歳になる娘もいた。今年もらった年賀状の写真の中で、坂田は可愛くてたまらない、という風に娘に頬ずりしていて、隣では美人の奥さんが微笑んでいた。奥さんと話せれば、坂田がなぜ急に妙な電話をかけてきたのか、何かわかるかもしれない。
 が、携帯電話に自宅の番号は登録されていなかった。いつも連絡を取り合うのは携帯同士だからその必要がなかったのだ。確か、研究室の同窓会名簿に載っていたはずだ。
 名簿はどこだろう。二年に一回送られてくるが、使うことはほぼないから本棚に突っ込んでそれっきりだ。壁一面を占めている本棚は、何年も整理整頓などしたことがない。隙間なく本が詰まり、手前にもあふれた本や雑誌が積み上がっている。
 思わずため息が出たが、探し始めた。秩序立った収納はしていないが、本の並びにはそれなりの法則性がある。左下の方に、大学時代の教科書や研究書、当時のレポートや論文のコピーなどが詰め込まれていた。おそらく名簿もこのあたりのはずだ。
 背表紙を指でたどっていく。ふと、一冊の文庫本で手が止まった。
 柳田国男の『遠野物語』。
 僕は無意識のうちにその本を抜き出していた。中学生の頃に買ったそれは、何度も読み返して手擦れしている。ぱらぱらとめくると、面白いと思ったページの角は折られ、本文中にも鉛筆で線が引かれている。
 ――懐かしいな……。
 思わず顔がほころんでしまう。が、今は思い出に浸るより先にやるべきことがある。 
 『遠野物語』を床に置き、さらに探す。しばし後、卒業アルバムの横に薄い冊子が押し込んであるのを見つけた。一番新しい年度の同窓会名簿で、坂田の自宅の電話番号もちゃんと載っている。
 早速かけてみたが、いつまでも呼び出し音が鳴るばかりで応答がない。嫌な気分になる。まさか坂田一人だけでなく、奥さんや娘さんにも何かあったのだろうか。
 簡単に夕食を済ませたあと、もう一度電話をかけてみた。今度は数回の呼び出し音で応答があった。
『はい……坂田ですが』
 ぶっきらぼうな調子だった。奥さんの声だとは思ったが、違和感を覚えて戸惑う。彼女とは結婚披露宴も含めて何度か会ったことがあり、坂田とお似合いの、笑顔が可愛らしくて優しい女性、という印象だったのだが。
 戸惑いながら名乗ると、さすがに「お久しぶりです」と懐かしそうな声を上げてくれた。 が、すぐに低い声音に戻り、
『健一さんのことですよね?』
 と、向こうから切り出してきた。
『あの人、ここにはいませんよ。もう、戻ってこないと思います』
 切り捨てる口調で、そんなことを言う。僕はひるんだが、とにかく少しでも事情を聞いておきたい。
「実は今日、坂田から電話をもらったんです。今、滋賀県にいて僕に会いに来てほしいと言ってたんですが、突然の話だし、ちょっとおかしな様子だったので心配で……何かあったんでしょうか」
『何か、というか……』
 奥さんは言葉を詰まらせ、ふいに泣き声に変わった。
『私にも、何が何だか、さっぱりわからなくて……』
 内心慌てたが、「落ち着いて」「いったい何があったんですか」となだめるうち、奥さんは少しずつ、言葉を選ぶようにしながら話してくれた。
 坂田は、半年前から心の病気で休職していたのだそうだ。初めて聞く話だった。
 考えてみれば、坂田と最後に話したのはいつだったろう? 思い返してもはっきりしない。学生の頃は仲の良かった彼といつのまにかそんなにも疎遠になってしまっていたこと、そして明るく元気だった坂田が心の病気になっていたこと……その二つの事実が、重たくのしかかってきた。
「仕事が、つらかったんでしょうか?」
『たぶんそうだと思います。去年の四月に新しい部署に移って……』
 異動してから多忙になり、残業続きで帰りはいつも終電だったという。新しく上司となった人とも反りが合わなかったようで、少しずつ摩耗していったらしい。
 家での様子もおかしくなっていった。それまで家庭では滅多に愚痴をこぼさなかったのに、「疲れた」「忙しすぎる」などと弱音を吐くことが多くなった。「食欲がないから」と食事を残し、酒ばかり飲むようになった。夜もよく眠れないらしく、いつも目の下に隈を作り、些細なことで苛々したり落ち込んだりするようになった。
 そしてある朝、出勤の支度をして玄関先まで行ったものの、靴を履いたところで急に座り込み、「もう無理だ」と涙を流し始めた。
 それまでも奥さんは心配し、病院へ行くよう勧めたことがあった。しかし坂田は強がっていたのか、「誰だって調子の悪い時くらいあるよ。俺は病気なんかじゃない」と助言を聞き入れなかったそうだ。が、さすがにそんな状態になって、自分が尋常ではないと自覚したのだろう。おとなしく心療内科を受診した。すぐにうつ病の診断が出て、休職することになった。
 休職して最初の一、二か月は一日中布団をかぶって寝てばかりいたが、やがて服薬の効果が現れてきたのか、やや調子が良くなってきた。押入れの奥から大学時代の民俗学の本を引っ張り出してきて、読みふけっていたという。
「俺、こういうのが大好きやったんや。今からでも、民俗学に関係した仕事につけたらいいのにな」
 時にはそんなことを口にするようになった。奥さんは本気とは受け取らず、前向きな思考を取り戻してきたのだ、と単純に喜んでいた。
 それからさらに二か月もすると、通院以外は家から一歩も出ようとしなかったのが、近所に散歩に出かけられるまでに回復した。近くの商店街に、今時珍しい、古風な構えの骨董品店があった。古い物に興味を覚えてのぞくうちに、そこの初老の店主と親しくなったらしく、毎日のように出かけては話し込むようになった。
『あの人、そこで妙な話を聞いて、それに取り憑かれてしまったみたいで……』
「妙な話、といいますと?」
『それが、なんていうか……』
 奥さんはためらいながらその言葉を口にした。
『人魚、の話なんです』
「え……」
『おかしいでしょう、人魚なんて。その骨董品店のご主人が、京都の同業者から聞いた話らしいんですけれどね。滋賀県の旧家で、人魚を守り神としてまつっているお宅があるんですって。その家の方が、お金に困っているのか、最近よく骨董品を京都のお店に売りに来ている、という話でした。あの人、何とかしてその家に行きたい、人魚を見たい、って毎日そればかり言ってました。本当に、怖いくらいに……』
「それで、その家に?」
『骨董品店のご主人から京都のお店の電話番号を聞き出して、どこの何という家か教えてくれ、って毎日電話をかけてました。でも、向こうにしたらお客さんの個人情報でしょう? 教えるわけにはいかないって突っぱねられて。それでとうとう……』
 電話では埒があかないと思ったのか、坂田は単身、京都へ発ったのだそうだ。それが一か月ほど前のことだという。
『朝起きたら、あの人の姿がなくて。京都へ行ってくる、って書き置きだけ残ってて。古いリュックに身の回りの品だけ詰めて、出て行っちゃったみたいでした……』
 携帯電話にかけて帰ってくるように説得したが、「人魚を見るまでは絶対に帰らない」の一点張りで話にならなかった。
 小さな子供がいるので、気軽に後を追って連れ戻すこともできない。それに、坂田は自分がどこにいるのか教えてくれなかった。京都か滋賀県のどこかだろうが、それだけでは探しようもない。結局、一日一回必ず連絡を入れることを条件に帰りを待つことにした。幸いその約束は守られて、電話のたびに「少しずつ情報をつかみ始めている」「もうちょっとで人魚を拝めそうだ」などと話していたが、具体的には何も教えてくれなかったという。
『心配でしたけど、ほとぼりが冷めて帰ってくるのを待つしかないか、と諦めて……』
 ところが二週間前の夜、いつもとは異なる様子の電話がかかってきた。それはとても遠いところからかかってきた感じがした、という。
 ――悪いんやけど、もう家には帰らないから。
 坂田は淡々とそう告げた。「残してきたものはみんな君にあげる。さようなら」と言い残して、電話は切れた。
 人魚が見つかったのかどうかは口にしなかった。また、可愛がっていた娘のことにも一言も触れなかった。それまでは人魚のことで頭がいっぱいの様子であっても、電話の終わりにはいつも「元気にしてる? 今日は何してた?」などと娘のことを気にかけていたのだが……。
 それを最後に連絡は途絶えた、という。
『本当におかしな話でしょう。それに、ひどいですよね。でもその最後の電話が切れた時、私、妙に納得してしまって。わけがわからないことには変わりないんですけど、でも、この人はもう私たちのところへは戻ってこないんだ、って不思議なくらいすうっと理解できちゃって……』
 翌日には会社から連絡があり、坂田が退職願を郵送してきたことを聞かされた。会社からの勧めもあって、警察に失踪届は出したが、本気で探す気になれなかったそうだ。
『あの人の実家に連絡したのも、つい最近で。向こうのお義父(とう)さんやお義母(かあ)さんには驚かれるし、私に落ち度があったから出て行ったんじゃないか、みたいに言われるし。ひどいですよねぇ』
 話すうちに落ち着いてきたのか、彼女の声はいくらか明るくなってきていた。
『近いうち、ここを出るんです。夫の同僚の方が良くしてくださって普通の依願退職の扱いになって退職金も出たんですけど、そんなに蓄えもないし、ここは家賃が高くていつまでもいられませんから。今日お電話くださって良かったです。中川さんとお話ができて、私も助かりました』
 助かった、という言葉に一瞬首を傾げるが、ああそうか、と思った。
 おそらく、人魚云々という話はまともに相手にされないだろうと、ほかの人間には詳しく話していなかったのだろう。昔から坂田と親しく、同じく民俗学を学んでいた僕にならわかってもらえるはず、と初めてすべて打ち明けられたのではないだろうか。いくらかでも心が軽くなったのなら良かった、と思った。
「実家に帰られるんですか?」
 彼女も坂田と同じ、大阪出身だったはずだ。
『そうですね、いったんは戻りますけど……』
 奥さんは言葉尻を濁した。わけのわからない失踪をした夫のせいで、幼い子を連れて実家に帰らねばならない……というのは、かなり居心地が悪い状況に違いない。こういう時に、失踪した夫の友人としては何と言うべきなのか。
「坂田に会ったら、必ずそちらに連絡させますから」
 そう言ってみたが、電話の向こうでため息がもれるのがわかった。
『ええ……ありがとうございます、よろしくお願いします』
 ほとんど期待していない口調だった。その声の底にひそんでいる硬いものに、僕は思わずひやりとした。彼女はもう、夫のことを諦めてしまっている。
 電話の向こうから「ママー」と子供の甲高い声が響いてきた。そろそろ切り時のようだった。
 最後に、坂田が探していた旧家は「高橋」という名前だったか、と尋ねてみたが、奥さんは知らないようだった。だが、坂田が告げた高橋家がその「人魚を守り神としてまつっている家」であることはまず間違いないだろう、と思った。
 電話を切り、殴り書きしたメモに目を落とす。湖北の片田舎の住所。
(坂田、お前、いったい何をしてるんや――……)
 古いリュックサック一つ背負って、遠い田舎町の、茫漠とした風景の中をさまよう坂田の後ろ姿が頭に浮かんだ。僕は今からそれを追いかけようとしているのだが、はたして追いつけるだろうか。
 ――なあ、坂田……。
 頭の中で呼びかけてみる。すると振り向く彼は、大手企業の社員としてぱりっとスーツを着こなしている姿ではなく、今しがた奥さんから聞かされたうつ病に苦しむ姿でもなく、学生時代の頃の彼だ。よく日焼けした顔。Tシャツに色褪せたジーンズ、スニーカー。
 ――ナカ。
 あの頃の坂田が、屈託なく笑いながら、今の僕に応える。その声も、昼間の電話で聞いた別人のように暗い声ではなく、うるさいくらいに元気が良かった、あの頃の声だ。
 ――待ってるから、来てくれよ。
(そうか……待ってるんか、おまえ)
 それならば、何としてでも行ってやらねばならない。たった一人の大事な旧友が、待っていると言うのなら。僕はそう思った。

(②につづく)


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