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【生かさせて頂いている】が口癖じゃった、おじいちゃんの話

おはようございます。
今日は栗原正宗として、個人的忘備録として書いておこうかと思っております。

この場を借りて、【忘れたくない出来事】を書いてみます。
宜しくお願い申し上げます🙇‍♂️

先日、妻の祖父が亡くなられました。
98歳+1週間でした。

おじぃちゃんとは、年に2回から3回くらいしかお会いしていなかったけれど、会って、話を聞くのは楽しかった。
それは、僕の知らない過去の経験談を良くしてくれていたから。
自分のじぃちゃんとばぁちゃんが居なくなってからは、そんな話を知っている人も少なくなり、話をただただ聞くだけでも勉強になるから楽しかった。

何よりも、TVや映画で聞く、戦争の話とは違ってリアルだった。

そんなおじぃちゃんの回想誌を読ませて貰った。


70歳から80歳の時に書かれていたようだ。

幼少期から始まり、徴兵、戦争、抑留などの話が細かく書いてあった。
描写もリアルで、100ページにも満たないのだが、あっという間に読めた。

超絶安っぽい言葉になってしまうけど、おじぃちゃん苦労されたんだな。と言うのが率直な感想。

けれど今,僕らが俗に使う、『苦労』と言う言葉とは、まるで意味が違う。

満州へ行き、ロシアで抑留されていたおじいちゃん。

この回想誌、どんな思いで青春時代を振り返ったんだろう。
仲間が目の前で殺されていく姿を沢山見てきたんだな。
ロシア人数名に囲まれて銃を突きつけられるってどんな感覚なんだろう。



など、色んな妄想をしながら、現代の世の中に当てはめた事を想像してみた時に、色んな感情が芽生えてきました。

全く想像がつかん…

悲しみとか、恐怖とも違って、ただ単に体験している事としていない事の「差」というんでしょうか。

体験と想像の差はデカいすよね。

もう一つ、こういう話を伝えてくれる人が、一次情報から二次情報となり、どんどん、濃度が薄れていくんだろうな。というのも思いました。

#これが忘れられていくという事なのでしょうか。

仏間に米の値段が訳分からん上がり方してる年表もありました。

先日チロルチョコが50円になってて、俺はバビリましたが、価値が数年で、うん十倍になっていってる最中ってどんな感覚なんだろうか。
おじいちゃんの生まれた大正13年が15円30銭
→僕の生まれた昭和55年は17,786円

当時のおじいちゃんの回想誌に書いてあったので言うと、雪の世界に慣れる為に、氷に手を当てて、カチンコチンになってても、いざと言う時に、指をすぐ動かせるよう、雪で暖めると言う訓練をやってたと書いてあったけど、意味が分からない世界です。

今思うとビックリすることばかりですが、当時、当たり前に起こっていたであろう、目の前の事を、善も悪もなく、一生懸命にやって生きてきた事が、時代や考え方や文明の進化によって、現在地から過去を振り返った時に、初めて、価値観の差になってるんでしょうが。

そう考えたら、小さい時から色んな人の話をただ単に意思を持たずに聞いていた当時の自分には、勿体ない事をしてたんだなって思います。

右から左へただ耳を通過していただけで、昔話のように聞いていました。

が、おじいちゃんと言うリアルな存在の回顧録を読んだ時は、自分の知っている地名や地元での出来事の話が出てきて、より鮮明になり、自分の脳内で景色や絵や図にしながら読んでいました。

今の年齢になったからか、自分の生活と重ね合わせながら、人の話を聞いてたら、今まで勿体ない事をしていたな。って思います。

今のこの感じを学んだ。と言う事で、コレからは気を付けて生きていこうと思うのであります。

今日はそんな感じで、ただツラツラと書いて、終わります。

では、共栄の皆さん


11月です。
年末がすぐきます。
そしてありがたいことに、11月も来客があるのと何個かイベントにもお誘い頂いております。

全て全力で向かって参りましょう!

今は『自分が出来る事をやる』基本に忠実に『当たり前の事を当たり前にやる』を大切にしていきたいと思います。

では、今週も皆さま、よろしくお願い申し上げます。


共栄のリンク集で御座います

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