解説!日本維新代表選#3 「松井前代表も懸念した“骨肉の争い”」
日本維新の会の代表選は足立康史氏、馬場伸幸氏、梅村みずほ氏の「三つどもえ」の争いになりましたが、この構図が固まるまでに、立候補に至らなかった人もいました。
そのうちの1人が東徹参議院議員。大阪府議会議員出身で、2010年に地域政党「大阪維新の会」が発足した時から参加するベテランメンバーの1人です。大阪では東氏を慕う地方議員も多く、一時は「立候補する意向を固めた」「有力な候補の一人」と報じられていました。
代表選の解説3回目となる今回のnoteでは、一度は立候補を決意した東氏が出馬を取りやめた理由、そしてそれまでに水面下で繰り広げられたやり取りを振り返ります。(大阪社会部・木村直登)
「解説!日本維新代表選」前回までの記事はコチラ↓
■ 府議団と連携できる候補を…
東氏の出馬が話題に上るまでに、どのような動きがあったのでしょうか。
関係者の話をまとめると、大阪選出の一部の国会議員グループの中で「大阪府議会の議員団と関係の深い候補者を擁立しよう」という動きがあったようです。
これまで国政政党「日本維新の会」の中核となってきたのは地域政党「大阪維新の会」であり、その大阪維新で大きな存在感を示してきたのが「大阪府議会の議員団」です。府議会議員団としっかり連携できる人に代表になってほしい。それがこのグループの願いでした。
当初は「若い世代から」ということで、知名度の高い吉村洋文大阪府知事(当時副代表)や、別の大阪府議の名前も上がりましたが、本人たちの了承が得られませんでした。
そこで、このグループが頼ったのが東氏です。府議会の先輩である東氏なら議員団もまとまることができるはず。そう考えた彼らは、東氏本人に立候補を要請したり、府議会議員団と連絡を取り合ったりしながら、代表選に向けた準備を着々と進めていました。
■ 「立候補の意向」明言した翌日に…
8月3日には、東氏本人が報道陣の取材に「大阪で実現した行財政改革を全国に広げたい」と話し、自ら立候補する意向を明言しました。
しかし、その翌日。
党のトップである松井一郎代表(当時)が、自ら「馬場氏を支援する」と表明し、東氏ら他の候補者について「立候補の理由が分からない」とけん制したのです。
党内では事実上の「馬場氏に対する後継指名」と受け止められました。馬場氏を応援する議員らが、東氏を支援するグループに激しい切り崩し工作を展開していたこともあり、東氏は直後に方針転換し、出馬断念を表明しました。
問題は、なぜ松井氏が東氏の立候補を阻んだのかです。
松井氏はかねてから「後継指名はしない」と公言していました。「事実上の後継指名」は従来の方針を変えたとも言える発言で、党内からも外部からも批判されるリスクがありました。そのリスクをとってでも、口を出さざるを得なかった理由は何か。
松井氏が真相を明かさない以上、断定はできませんが、複数の維新関係者は「松井家」と「東家」という家族ぐるみの関係性から背景を読み解きます。
■ 兄弟みたいな関係、だからこそ
代表選の一部始終をまとめた記事では、松井氏と東氏の「特別な関係」について、次のように紹介しました。
記事で紹介した東氏の父・武氏が初めて国政に挑戦したのは、1988年に実施された参議院大阪選挙区の補欠選挙でした。
その時に選対本部長として支えたのが松井氏の父・良夫氏で、選挙カーの運転手を務めたのが当時24歳だった松井氏。
候補者の息子である東氏は当時21歳でした。自民党の府議会議員を父に持つ2人は、同じ選挙を戦う同世代の仲間でもありました。
さらにその15年後、2人は互いに親の地盤を引き継ぐ形で府議会議員となり、自分たちの政治人生をスタートさせます。
政治家にとって「当選同期」というのは特別な存在のようで、与党と野党で日ごろ対立している関係でも、深いところでは気心が知れている…なんてこともよくあります。
まして、20代の頃からずっと一緒に活動してきた東氏は、松井氏にとって戦友であり、弟のような存在と言っても過言ではないでしょう。
■ 同じ「政治の師」の下で
東氏にはもう1人、古い時代からゆかりのある維新の幹部がいます。それは代表選の最有力候補だった馬場氏本人です。
2人は20代の頃、同じ政治家のもとで秘書をしていました。馬場氏が「政治の師」と仰ぎ、たびたび名前を出す、中山太郎元外務大臣です。中山事務所での勤務歴は馬場氏の方が古く、東氏は後輩に当たります。
松井一郎、馬場伸幸、東徹。
「政治家のタマゴ」だった時代から続く3人の濃密な付き合いは、約35年に及びます。そんな間柄でも「熾烈な権力闘争」(松井氏)で相対すれば、負けた方が大きな政治的ダメージを受けることは避けられません。
「もし馬場ちゃんと戦って、徹が負けたら…」。
松井氏は気心が知れた「身内」同士の対決と、大阪維新全体を巻き込んだ泥沼の戦い、そして、その先で待つ「弟」の厳しい前途を案じたのかもしれません。
東氏の出馬断念を巡る経緯をまとめた記事はコチラ↓
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