穴井新監督が語る「サムライ」の現在地、ロス五輪へ向け新たなスタート(ホッケー男子日本代表)
今年1月、ホッケーのパリ五輪最終予選。6大会連続出場を決めた日本女子代表「さくらジャパン」に対し、明暗を分けた男子代表は米ロサンゼルスで開催される4年後の五輪に向け、再スタートを切った。3月に穴井監督が就任すると、5月にマレーシアで行われた「アズランシャー・カップ」で優勝。パキスタンとの決勝では2―2からのシュートアウト(SO)戦を制し、ニュージーランドなど6カ国が参加した国際大会を無敗で終えた。
元日本代表選手で天理大男子の指導をしてきた穴井監督は、伸び盛りの24歳で現役を退いて指導者の道を選択。最初の大会で成果を出した新監督に、五輪出場に懸ける思いなどを聞いた。(聞き手=大阪運動部・伊藤貴生)
◆ 選手の意識変えて好結果に
―3月に就任が発表され、すぐ優勝と最高の滑り出しになりました。
「ここまでの結果は求めていなかったので、驚いているところが大きいです。前回(パリ五輪予選)からメンバーが半分ぐらい残り、初キャップの選手も連れていき、ベテランと若手がうまく融合しました」
―短い準備期間で、考え方や戦術をどう浸透させたのでしょうか。
「実際にやりたいホッケーは全然できていないですし、大会に行く前の合宿は佐賀県で3日間。今までのスタイルを生かしつつ、問題点を直すことしかやっていません」
―具体的な修正点は。
「自陣でのリスクのコントロールです。これまでの日本は、ボール保持やパス回しがうまくいかなくて、相手にボールを奪われる可能性があるプレーを選択して失点につながることが多いと考えていました。今大会は準決勝までの5試合はいずれも1失点。リスク管理を重点的にやったことが勝因の一つです。技術は時間をかけないと伸びていかないけど、考え方や意識はすぐにでも変えることができ、チーム力が伸びていくものです」
―今後に向けた課題はどのあたりでしょうか。
「やるべきことはたくさんあります。世界ランキング上位国に勝っていくには得点も必要になります。相手が一枚も二枚も上のレベルになった時に味方のサポートや、戦術での対応が必要。ここはとても大事で、時間もかかることです」
―選手、指導者としてキャリアを積まれてきた穴井監督が、いつか日本代表を率いるイメージを周囲は持っていたと思います。
「迷ってはいたのですが、やると決めるまでは早かったです。東京オリンピックが終わった後に代表の仕事を退き、少し無責任だったかも、何かしら関わっておくべきだったな、という思いが出ました。積み上げたことが、結果的になくなってしまったな、と思う部分もあったので。自分の経験をいつか形にしないといけないとは考えていました」
◆ 「ロスに行ってくれ」
―任期や、日本ホッケー協会との交渉などはどうだったのでしょうか。
「協会からは、ロサンゼルスに行ってくれ、という言葉に尽きます。就任するにあたり、僕からは継続性の話をしました。4年周期で監督が変わるのは仕方ないけど、全体として長期の一貫性を持った指導体制を維持してほしい、ということです。僕が4年で終わったとしても、今のコーチングスタッフでバージョンアップできる状況になって、次のチーム、次の時代に引き継いでいけるような継承を意識しています」
―21歳以下の男子日本代表の指導も託されました。強化、育成の手腕に期待がかかります。
「若手の指導は僕の考えと合致するところがあります。決断する時に悩んだ点はビジョンです。勝つために、いろんなシミュレーションをしました。どのくらい合宿、海外遠征を行えるか。強化にはどうしてもお金がかかります。昔は年間300日合宿とか言われて、廃校にみんなで寝泊まりして自炊して練習漬けということもありました。お金がなくて合宿ができない、というようなケースもあるでしょうし、そこをどう乗り越えていくかが大事になります」
―近年は環境が改善してきたとはいえ、他競技と比べて資金面で十分ではない状況が続いています。強化に専念すること以外の課題にも向き合うことになります。
「今回も合宿なしでマレーシアの大会に行くだけの予定でしたが、天理大OBの先輩が佐賀にいて、支援してくれて合宿が可能になりました。今後も各地で合宿地に手を挙げていただいています。いろんな人が日本代表に力を貸してくれますし、選手もその思いを感じてくれています。ホッケー教室などの交流も普及といった面で本当に助かっています」
―これまではアジア大会優勝チームに五輪出場枠が与えられています。2026年には日本で愛知・名古屋アジア大会を迎えます。
「アジアの一番になることが一つの目標で、五輪出場への最大のチャンスだと考えています。対戦相手も分かっていますし、2年準備できます。世界最終予選に回ると対戦相手が分からない状況が続きます。2年後のアジア大会には、マレーシアの大会に参加しなかった強国インドが出てきます。ここを倒すために力をつけていく必要があります」
◆ 指導者が変わることでホッケー界も変わる
―選手時代は2008年北京大会予選でドイツ、2012年ロンドン大会予選で南アフリカに、いずれも最終戦で敗れ、あと一歩で五輪切符を逃しました。
「勝てば五輪出場というところで悔しい思いをしました。正直、北京の予選では、五輪本番で金メダルを獲得したドイツとは実力差があり、そこが相手で運が悪かったと思えたのですが、ロンドン五輪予選は勝たないといけない相手でした。大事なところで勝ちきれないことが続き、率直に言えば、うんざりした部分がありました」
―2012年に24歳で現役引退し、指導者を目指す決断をされました。
「2008年の時にドイツとの差を体感しました。何が駄目か、どうすればいいのか、を尋ねても誰にも分からない状況。当時は世界レベルを理論的に指導できる人が国内にいなかったように思います。根性が足りないとか、走り足りない、とか、そういう言葉を並べられることもありました。『陸上部かというぐらい走ったぞ』という思いもあったので、これを繰り返すのは無理だと思いました。指導者が変わることでホッケー界も変わっていくと考えたので、何の悔いもなく現役を辞められました」
―奈良教育大の大学院を受験しました。
「ここ一番で力を発揮できないことがすごく気になっていたので、アスリートのメンタリティーなど心理学を中心に勉強しました。卓球のトップ選手やプロ野球選手らをサポートしていた先生の下で学び、並行して天理大でホッケーを教えていました」
―指導にあたって大事にしていることは何でしょうか。
「代表選考会の時から選手に伝えたことがあります。全力でハードワークできる選手、絶対諦めない選手、勝つために全ての力を注げる選手ということです。試合で、この三つを忘れなければ戦えるという考えです。ホッケー以外の面では、人間関係がすごく大事。共存というか、僕らスタッフも選手とともにあって、風通しの良い空気感が必要です。最初の合宿も、チームビルディングにはすごく意識を向けました。みんなで集まってご飯を食べる、朝は誰かスピーチしよう、とかコミュニケーションを増やすよう心がけました。仲間を大切にしてチームの和をつくっていくことを重視しています」
―1968年メキシコ大会以来の出場だった東京五輪ではコーチを務めました。強豪との善戦もありましたが、1次リーグで1分け4敗。パリ五輪は出られず、どう巻き返すか注目されます。
「東京大会の時は、チームは出場することがゴールでした。一歩目としてはそれで良かった。ただ、継続していかなかったことがまずかった。出場は当たり前というスタンスにならないと、強豪国の仲間入りはできない。先の可能性を信じるかどうかが大事。明確な意識を持ってチャレンジできる組織をつくり、挑戦を続けていくことが、レガシー、継承へとつながっていくと思います」
―将来を担う世代に期待していること、伝えたいことはありますか。
「いろんな情報がいつでも手に入るようになった時代で、最新の技術や戦術も動画で目にできるようになり、みんなの力が平均的になってきて、足が速い、特定の技術だけは誰にも負けない、という特長を持つ子が少なくなっているように感じています。スペシャリストを育てる、もっと個性を磨く環境面に着目しています。実際に代表候補のストライカーだけを集めた合宿を行いました。教育の流れや少子化もあって、限られた枠組みでやっていかないといけない時代だからこそ、平均的では意味がない。子どもたちには何か武器を持ってチャレンジしてほしいですし、僕はそういう人を育てることを意識していきたいです」
◆ 山下学選手が見た監督
2021年東京五輪で男子代表の主将を務めるなど日本代表の中心として長く活躍するDF山下学選手(フリークス東京)に、穴井新監督の人柄などを聞いた。