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ご近所物語



弟の障害がわかり、生活が一変

母の自分に対する熱量は100分の1になりました←父は元から0パーセント


小学二年までは担任が恐ろしく、勉強は何とかやっていた、いややらされていた、恐怖でしたが、今となっては感謝しています


三年になり、この先生が嫌な人でした

暴力もなかなかで、ビンタなんかはしょっちゅう。時には算数で教員が使う黒板用の大きな物差しで、容赦なく頭頂部を殴りつけていました


前年の担任より怖くなりましたが、愛情が全く感じられず、ちょっとメンタルも不安定だったんじゃないか?と思うほどくだらない事でキレていました

そのせいもあってか、勉強は全くやらなくなり、宿題も一切やらずでした

今考えると、学校では嫌な担任、家では弟を追いかける、両親の喧嘩、母の愚痴、祖父母、父の母に対する愚痴を聞かされて、相当メンタルが参っていたと思います



口やかましい母は、過干渉ではあるものの、教育ではなく、ストレスの捌け口としてしか自分を使わず、マナー等の教育はしなくなりました


おかげ様で食事、来客時のマナーは一切わからず、他所の家へお邪魔し、良く怒られていました



その時はうるさいな〜くらいに思うていたんですが、今になって非常に感謝しています

箸の持ち方

靴の揃え方

食事のしかたなどは全て同級生の保護者の方から
教えてもらいました


行事ごとには一切参加しない両親


いつも寂しかったのですが、支えてくれたのは同級生の保護者の方でした


地域のソフトボールの試合の差し入れ、誕生日会、お泊まり会、いつももらってばかりでお礼は言うけど、お返ししてなかったと思います


お母さん来てや!


と言っても


『弟行ってええなら行くわ』


連れてなんか来られたら、ソフトボールどころじゃありません笑


多分ワザと言ってたんじゃないかと


一度懇願して何かの行事に来たけど、弟が居なかったからか、ずーっと上の空でそれ以降頼む事はありませんでした



今、その頃の同級生の保護者の方と同い年くらいの年齢です


まだまだ自分の事で精一杯、嫁、子は居ませんが、ふと昔を振り返り、あれだけ嫌だった地元を思い出します


悪かった事だけでなく、良かった事


一人で育ったくらいに思ってたけど、本当にご近所に支えられて成長しました


きょうだい児支援と地域への恩返しはいつかやりたいと思う密かな自分の想いです


さぁ数十年ぶりに地元の連れの家巡りしてみよかな〜

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