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評㉙チャリT企画『絶対に怒ってはいけない!?』@下北沢駅前劇場プレ3000円

 劇団チャリT企画#34『絶対に怒ってはいけない!?』@下北沢・駅前劇場、5/18~5/22(配信予定あり)。初日プレビュー料金3000円で観る。前売3900円、当日4400円(全席指定)。上演時間約100分、休憩無し。
 ※5/23一部追加(下記)

ブラックボックス駅前劇場

 所戻って下北沢。本多劇場グループの「駅前劇場」(約160席)。まさに駅出て道路渡って真ん前、マック横のガストが2階にあるビルの3階。同じフロアにやはり本多グループ「OFF・OFFシアター」(約80席)もある。あまり深く考えずにやってきて「思ったより広いな」と感じたのは、前にここで見た時はOFF・OFFだったからそれと間違えたか。

 少し後ろの方の席に座ったので、全体が見渡せたからかも広く感じたのかもしれない。横に広い?、最大230は入るザ・スズナリよりだだーーんと広がっているというか。横に20席前後×9段程度か。後ろの方は、銀色に包まれた配管がデーンと出て、ブラックボックスさまである。まー、前に「品のいい」中野ザ・ポケットにころりとやられたが、このむきだしの芝居小屋風も、それはそれで「ざわざわ下北沢」に来た的な興奮を感じて、悪くない。

※以下、完全ネタバレあり

男性客多し、プレビューはほぼ満員ぎっちり

 自分が行った時はパイプ椅子だった。トイレは女子個室3つ
 開演時間より少し前に来て座る。ざわざわ人が客が入ってくる。ひとり客が多いようだ。男女比は、気持ち男性が多めか、5.5割が男性世代は20代から60代くらいか、結構ばらけてる(遠くに70代の知人も発見)。おっと、ぎちぎち詰まってきた、プレビュー3000円の安さもあるが、ほぼ満員かな?

 平日夜19:30開演だが、背広姿の会社員はあまり見当たらず、Tシャツやトレーナー姿系多し。その辺で顔を合わせて「やあ」とか言ってるので、劇団員同士やその知り合いが多そうなノリ。「社会派演劇」なので、そういう系好みもいそう。

「ふざけた社会派」チャリT企画

 そう、前に観たのが『それは秘密です。』という特定秘密保護法をモチーフにしたコメディだった。劇団HPには「結成当初から一貫しているのは、鋭い人間観察とシニカルな社会批評の視線であり、時事ネタや社会問題などのシリアスな題材を、独特なセンスで軽妙に笑い飛ばす風刺と批評性に富んだその希有なスタイルは「ふざけた社会派」として小劇場の中でもひときわ異彩を放っています」(※太字は自分)とあるので、まあ、そんな劇団かな、と興味。自分の好み路線である。

舞台は劇団事務所、テーマは劇団内のパワハラ!

 ちなみに劇団メンバーは、作・演出の楢原拓除くと役者3人しか現時点でHPに出ていない(他に3人「休団中)。前々から、他から客演を呼ぶユニット制で上演してきているらしい。で、今回はその、
 「外の血」を入れるユニット制が功を奏したのではないか、と思う。
 なんせ、舞台は劇団事務所、メーンテーマは劇団内のハラスメントだった。単一劇団でないユニット(寄せ集め)で小劇団の問題を描いたわけだ。
 ウクライナ侵攻の話もタイムリー
に入れていたが、メーンテーマはやはり「劇団内のパワハラ」。狭い演劇業界でこれをやるには、勇気が要ったか否か。

「地点」三浦基氏の「パワハラ問題」

 演劇界でパワハラ、セクハラ、モラハラは残念ながら珍しくないかもしれないが、とにもかくにも、今回のネタは、その中でも明確に表面化した「地点」の問題がきっかけなのは間違いないだろう(以下、ネット検索の範囲)。

 京都拠点の劇団「地点」の主宰者・三浦基(もとい)氏が、元劇団員(2017~18に地点所属)から、パワハラと不当解雇(退職強要)の被害を受けたとされた問題
 元劇団員は労働組合に所属し、この件で2019年から団体交渉。2020年1月、京都市が「ロームシアター京都館長に三浦氏が就任予定」と公表したことで、元劇団員の訴えが表面化し、平田オリザをはじめとした演劇関係者らが、館長選出経緯の説明を求める公開質問状を京都市に送る。三浦氏の館長就任はまず一年延期、その後取りやめ(別の人物に変更)。合同会社地点は2021年6月、元劇団員に和解契約存在確認等訴訟を起こしている(既に和解済みのはず、その内容を守ってくださいという趣旨)。とりあえずネットで確認したのはここまで。

 地点の芝居は、京都のアトリエ・アンダースローと神奈川KAATなど計3回ほど観たし、三浦の著書『おもしろければOKか?ー現代演劇考』(五柳書院、2010初版・2016増補版、2200円∔税)も買ったし、多少は触れる資格もあろう。
 著書名が「おもしろければOKか?」なのは、自分の芝居を「おもしろくない」「わからない」という人への防御線かな、とも思った。まあ、そう思われること前提のタイトルだと思う。

三浦基『おもしろければOKか?ー現代演劇考』(五柳書院、2010初版・2016増補版、2200円∔税)。ユニクロの上に乗せたのに他意はない

安部聡子さんが手足を突っ張って叫んでいた

 いわゆる「前衛」系。実験的演劇。そう、よくわかりません。寝落ちしかけた。看板女優の安部聡子さん(平田オリザの青年団から移籍)が手や足を突っ張って、何か必死に叫んでいるのが、でも自分的にはツボだったが。

 わからないので、『おもしろければ~』を買ったわけでが、今回をしっかり読み返す(読み通したっけ?)余裕はない(そもそも本題ではない)。
 同書には「舞台において、俳優の主体性が保留されながら発話すること」(15p)、「戯曲以外の形式で書かれた言葉を舞台の上にのせることができないのだろうか」(55p)、「発語の対象となるテクストとして、演説の原稿、小説、詩、戯曲のト書き、歌詞、料理のレシピ、作家の手紙、論文など、さまざまな言葉を実際の舞台で引用してきた」「舞台における言葉の持ちようを探る」(64p)などとある。いわゆる新劇に代表されるような「普通の演劇」(おそらく「作家の言葉を客に届ける」ような)に飽き足らない系である。鈴木忠志に似ている気もするが、よくわからないな。
 
 素人私見だが、「戯曲の分解」系だろうか。台詞の順番を変えて。チェーホフをよく上演するが、ロシア人が観て面白いらしい。それは当然で元の戯曲を子どもの時かた知ってるから、「分解」しても理解できるから、新しい感覚になるのではないかと。
 なら、日本人は、「桃太郎」を分解すると面白いのかな。。すみません。

 ちなみに、安部聡子さんは近年、テレビや映画(『ドライブ・マイ・カー』にも)に頻繁に出演し始めている。

 で、地点の説明がやたら長くなったが、「普通の劇団」の芝居とちょっと違うので、「普通の劇団」にもまして、「被告を用いた演出が困難」「演技の方向性の違い」(いずれも、地点HPで公開された地点側の訴状にある)で「やめたほうがいいのでは」の話し合いもありかもしれないと思った次第。ただ、どちらの言い分が正しいがもちろん、自分にはわからない。

「何でもかんでもパワハラと言われたら、何もできない」

 このパワハラ報道、その後、少なくとも2人の“きっと大御所的演出家”がこれに関し「何でもかんでもパワハラと言われたら、演出も何もできない」とやや批判的に話したことを知っている。へー、そうなんだ。ふーん。と思った。
 現場では、作品を一定の方向でまとめ作りあげるために、演出家はある程度の「力」を発揮せざるを得ない。大概役者は大勢いるし、それは事実だろう。その「指示」「指導」を「恫喝」「強要」ととられたら……そんなところに彼ら彼女らも、びくびくしながら存在しているのかもしれない。

劇団内恋愛(=職場恋愛)は多い

 なお、強要かどうかは別として劇団内や演劇界で「恋愛」が生じやすいのは周知。職場恋愛でもある。こちらで少し考察を書いた(演劇界だが)。
前置き・評㉗文春砲直撃の蓬莱竜太『広島ジャンゴ2022』を観るまで、演劇界考(2022年4月27日)
 今回の芝居でも、「劇団内恋愛禁止」と言いながら、劇団女優とできて結婚した劇団代表の話が出てくるが、有名人でもよく聞く話。また、「劇団の女優に手を出しまくった」と言われている人がいるのも事実(これもネタで出た)。

テンポよく(時事)ネタをどんどんぶっこんていく軽妙さ

 さて、やっと本題『絶対に怒ってはいけない!?』の話だ。
 舞台は、ある小劇団の事務所を模し、事務机と応接ソファがある。上手に玄関ドア、真ん中よりやや上手側にキッチントイレへの出入口、下手に稽古場への出入口と3か所の出はけ。場所設定・大道具は全く変わらず、音楽が流れて暗転することで、時系列を変えていく。

 開演前に場内に流れていた昭和歌謡が消え、芝居が始まる。「劇団プッチンはプーチンじゃありません!」という軽いネタから始まり、どんどん劇団員が現れ、軽口の会話で「劇団の日常」を表す芝居が進んでいく。
 高齢者困るよな問題。金がない補助金もらえない貧乏劇団運営の大変さ。昭和の刑事ドラマ。客が呼べない劇団員(やはり客呼んでなんぼ、大勢呼べる人は偉い)。スマホで字を入力する新入事務員遅刻なのにマックに寄る新入劇団員。そのうち「朝ドラ、大河に出たい」。この辺、肩に力の入らない軽妙なやりとりでテンポがいい

ウクライナ侵攻にイラク戦争でバランス

 さてこの劇中劇団プッチンの次回公演は、ウクライナ問題を訴えるリーディングで収益は寄附、この辺にウクライナをぶっこむ
 芝居中盤には、イラク戦争(2003)にも触れ、「(リーディング台本では)不要じゃないか」との声に、「アメリカがイラクに攻め込んで、結局大量破壊兵器は見つからなかったのに。なぜ、ロシアのウクライナ侵攻を問題視して、アメリカのイラク侵攻の時は問題視しなかったのか」「いや私はその時も物言った、干された」的な話もして、一応米露両陣営のバランスもちゃんととっている

パワハラが他人事から自分事へ、うまいメディアの使い方

 最初の軽妙な会話の途中で、そのうち、「劇団〇〇〇〇でパワハラ問題起きた」話題が出てきて……その時は「他人事」なのだ。「よく聞く話だけど」と言いながら、みんな他人事。そして、どうやら劇団内恋愛があって。そして、「元劇団員の死(自死)」から話が一挙に「自分事」に転換していく。
 この際も、ファクス(壊れてすぐ届かない)、手紙(もともと遅め)、メール(迷惑メールに分類され見つけるのに時間がかかった)と3つのメディアの特色をうまく利用し、亡くなった人からのメッセージが遅れて届くさまを表現した。 

「え、あれがパワハラなの????」

 そして、肝は、パワハラをしたとされる当人(=劇中劇団プッチン主宰者)が、「え、あれがパワハラなの????」という反応で、全く自分で気づいておらず、びっくりすることだ。
 これは、どこの劇団でも、そしてどこの会社でも、よくあること。

 直接には、失恋した人に「早く童貞捨てろ、風俗にでも行け」と言ったこと。それ以外にも、平気で大声で怒鳴るとか、呼び捨てにするとか、女性だけ下の名前で呼ぶとか、女性の前で平気でズボン脱いで着替えるとか……。昔なら「多少はOK(?)」でもその多くはアウト、という話。もはや劇団というより、一般社会の話。
 チャリT主宰・作・演出の楢原はもともと企業のパワハラを書こうとしていたので、どんどん普遍化した話になって当然だが。

「100%悪役」は世にいない、愚かで弱い人間を描く演劇

 ※5/23追加 もちろん、パワハラ加害者が「わかったうえで」「意識して」パワハラを行う場合もあるだろう。追い詰められた被害者から見れば、人間の心を持っていないサイコパス。そう、被害者から見れば加害者が故意だろうと無意識だろうと、相手は非情な無情なサイコパス。
 ただ、被害者以外の人が加害者を見た場合、必ずしもサイコパスでない(見えない)ことも少なくなかろう。“忖度”して言えば「(他人の気持ちに)鈍感なだけで悪気はない」というやつ。これが厄介。今回舞台の“加害者”はこちらの一見悪くない人タイプを採用した。その方が、観客の心に「自分ももしかしてハラスメント加害者か?」という感情を芽生えさせる効果を生じて正解だろう。

 さらに、完全非情なサイコパスは、役者が生身の身体をさらし、人間の弱さがどうしてもポロポロ漏れてしまう性質の舞台で表現しにくい気がする。ところどころ表情を切り取り、謎の人間的演出が最後まで可能な映像ならともかく。
 「100%悪役」を作って舞台上に出してしまうと、「国家=悪」「犯人=悪」、みたいな一方的プロパガンダに近くなりそう。

 人間は愚かで弱い。失敗を繰り返し、互いに傷つけあう動物。
 
もちろん、ハラスメントで死や病に追い込まれた人から、加害者への恨みは尽きないだろうが(自分もパワハラで体調を崩したことはあり、相手を赦してはいない)、その弱くて愚かな人間を描き続けていくのが演劇なのだと思う。
 ~※5/23追加ここまで

業界内パワハラをとりあげる勇気と覚悟?

 業界内で話題になったパワハラをとりあげるには、それなりの勇気と覚悟もいったのではないか?
 楢原がこの題材を取り上げる際、当然、自らの行いも客観視したはず、もし楢原が「お前が言うか」と言われる存在だったら、この作品は世に問えない。それも、下北沢だ。演劇仲間が大勢集う場所だ。彼には、「お前が言うか」と言われない自信があったのだろう、と想像する。

(苦)笑いで知るパワハラ、受け止め方の多様性

 コメディタッチにすることで、客も(苦)笑いしながら、パワハラ問題の本質(本人は軽い気持ちで簡単に他人を傷つける)に、ちょっとひりひりしながら触れることができたのかも、と思う。
 また、新入劇団員が「中学高校と体育会系でしごかれたので、ここ(劇団)のパラハラなんてちょろいちょろい」などと舌ペロリ的に言ってたのも、なかなかリアルでよかった。一方的にパワハラ加害者が悪い、と決めつけない、受け止め方も人それぞれ、というのが表現できていた。

多様性を確保しつつ、全員でその世界をきちんと作っていた

 で、最後に、役者さんたちの演技ですが。

 そうそう、やっと直前のワンツーワークス、社会派演劇との比較だが、あちらは、なんというか「強かった」。力強いつくりだったように、今は感じる。政治がらみでもあり台詞の内容が硬めで力強く、転換が強く、複合場面進行も違和感を持たせて「強い」。照明も音楽も手伝って。ストップモーションもあって、「緊張」と共に魅入られていく感じ。
 
 比して、こちらは、あくまで、日常的な会話、台詞の中から、驚き、失望、主張が生まれ、「あるある」の感覚から、その世界に自然と心が入っていくようだった。日常的でない幽霊もいたようですが。。
 そんな構成を表現するために、誰一人として突出することなく、通常の語り口でちゃんと台詞が客席まで届き(当然ですが)、各自の多様性を確保しつつ、全員でその世界をきちんと作っているように見えた。普通の演技がきちんとできていたように思う。
 ユニットながら? ユニットだから?
 
 お見事でした。ありがとう。

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