見出し画像

『パラサイト 半地下の家族』ストーリー解析③ 復讐と悲劇のヒロイン

ギジョン、兄が一人、ソウル市街の半地下居住、予備校に通えない美大志望の浪人生────
まぎれもない、『パラサイト 半地下の家族』におけるヒロインの一人です。

ヒロインは元来ヒーロー(英雄)の女性形としての単語ですが、本稿においては主人公(プロタゴニスト)が物語を通じて強く(手に入れよう、救おうと)欲する対象であると定義して使用していきます。

他人の物を平然と盗むモラルの低さ、したたかな策謀家、そして作中唯一の喫煙者
通常ならばヒロインとしてはマイナスとなる要素ばかりを付与されているギジョンですが、それでも彼女はしっかりと物語上で機能しているように感じられます。

画面上でどのような描写がなされ、その意図するところが何であったのか、一つ一つを確認してみましょう。

※ 以下ネタバレを含みますのでご注意ください。




属性や態度から垣間見える憤懣

ギジョンの持つ個性のうち最も目につき、ストーリー上でも重要な役割を果たしているのが「美大志望の浪人生」という属性です。

フォトショップを駆使した在学証明書の偽造絵画制作に関する知識(絵画療法についてはネット情報の付け焼き刃ではあるが)は、兄ギウと彼女自身がパク家に入り込む大きな足掛かりとなっています。

しかしその高い技術力にもかかわらず、ギウと同様、ギジョンもまた志望の美術大学に合格することができてはいません。
その理由が、キム家の根本的な問題────一家の低い経済力にあるのは疑いようのないところでしょう。

まず大前提として、ちょっと絵が上手い、手先が器用といった程度の才能のみで美大に合格することはほぼ不可能です。
他を圧するような明白な天才でないのであれば、予備校に通うかプロの教師に個人教授してもらうかで、受験に適したノウハウやテクニックを身につける必要があります。

画像14

さらに美大志望であれば当然、練習するにも画材等の消耗品に費用がかかります。
自分で資金を稼ぐとしてもアルバイトの口を見つけることは困難、仮に見つけられたとしても練習時間は減り、最初から恵まれた環境を用意できる富裕層の志望学生たちからはどんどんと差をつけられてしまいます。

画像13

ギジョンの視点からすれば、これは間違いなく不公平な競争です。

自分より遥かに才能で見劣りしていたはずの連中が、「経済力」という下駄を履かされて悠々と合格してしまう。
生まれもまた才能なのだ、と富裕層の学生や第三者は言うかもしれません。
しかし理不尽な逆境に置かれた当の本人であるギジョンからすれば、到底納得できる話ではないでしょう。

彼女が抱える富裕層への憤懣は、作中においてはしばしばパク家の(家政婦ムングァンや運転手ユンを含む)人々の騙されやすさへの侮蔑の態度として噴出しています。

画像9

ギジョンの思いとしては、高い下駄を履いて得意になっている連中の足下を蹴っ飛ばしたところで何を悪びれる必要があるのか、といったところでしょうか。
つまり彼女の侮蔑的な態度は富裕層への復讐であり、そうした攻撃的な態度が彼女の全般的な道徳基準を大いに引き下げ、禁煙のネットカフェで平然と喫煙する、店先から何気なく桃を万引きするといった道義心の感じられない行動に繋がっています。

画像15

そして彼女が強く求めるものは、この救いようのない逆境────貧困の臭いに満ちた半地下から抜け出し、より良い空気を吸う生活へと繋がるチャンスを掴むことなのです。


「脱臭」の欲求と煙草

パク邸においてダソンが、運転手ギテク、家政婦チュンスク、そして自らの絵画教師であるギジョンに共通な「臭い」について言及したのち、ギジョンはそれが洗剤や柔軟剤でごまかすことのできない「半地下の臭い」であることを指摘しています。

作品テーマに関わる、この重要な「臭い」という要素に最初から自覚的なのはギジョンただ一人でした。
実際に彼女は普段から自らの発する「臭い」に対して敏感になっており、そうであることを観客の無意識下に擦り込ませるようなさりげない描写が、様々な場面の端々に配置されています。

まずオープニングでの初登場時、彼女はキム宅のトイレ兼風呂場から姿を現します。

画像1


濡れた髪をタオルで拭いていることから、シャワーを浴びていたのだとわかります。(キム宅の風呂場にはバスタブが無い)

また、主が不在となったパク邸でキム一家が羽を伸ばすシークエンスにおいても、ギジョンは美容番組を観ながら入浴を楽しんでいます。(今度はバスタブで、しかも泡風呂。間違いなく彼女の憧れ)

画像2

作中で入浴するのはギジョンの他にはパク社長のみで、そのパク社長の入浴シーン自体もギジョンの入浴シーンとの完全な対比であり、制作陣が「ギジョン=入浴」のイメージを観客の無意識下・意識下に埋め込もうとしている意図が見えてきます。(念押しに、後の場面でギウがギジョンの入浴について言及する)

画像3

画像4

小さな手掛かりとしてさらにもう一つ、エンディング近く、ギウとチュンスクが半地下の自宅に戻ってからの場面を見てみます。

画像5

チュンスクが掃除をしているこの部屋は生前のギジョンのものであり、映るのは数秒だけですが、洋服やイーゼル、スケッチブックといったものからそれがわかるようになっています。
この家の中では珍しく小洒落た感じの化粧台の上、手前の目立つところに置かれているのは消臭剤のスプレーです。(独特なボトルの形状からすると、ほぼ確実に「ファブリーズ」)

こうした小さな手掛かりを制作陣が執拗に配置し続けているのは、観客のもつギジョンのイメージに「脱臭」をさりげなく結びつけようとしているからに他なりません。
「脱臭」こそがギジョンの欲求であり、夢なのです。

この欲求が見えてくると、第二幕終盤の洪水の場面で、なぜギジョンが風呂場の天井裏から煙草を取り出し喫煙したのか、その心情が理解できるようになります。

画像6

天井裏にあった煙草のパッケージに括り付けられているのはウォン紙幣のように見えます。
この場面、父ギテクは妻チュンスクの栄光を表すメダルを、兄ギウは自らの力を内包する水石を、つまりはそれぞれが最も大切にしている「宝物」を真っ先に持ち出そうとしています。
ギジョンにとっての「宝物」は少しずつ蓄えていたへそくりと、それを括り付けている煙草の箱でした。

苦しい生活の中でどうにか自分の金を工面できたとき、ギジョンは一人で風呂場に行き、天井裏から煙草の箱を取り出す。
金をしっかり括り付け、煙草を一本だけ引き抜くと便座に腰掛けて火をつける。
鼻腔と肺の中に、自分にまとわりつく貧困の臭いを忘れさせてくれる、独特の香りが満ちる。
いつか必ず、自分はこの半地下から抜け出せる────

画像7

ギジョンが天井裏に隠していたものは彼女のであり、上流の香りへの憧れです。


家族の愛情、兄ギウとの絆

キム一家が経済的苦境にあるのは父ギテクの相次ぐ事業失敗が直接的な主たる原因ですが、日常の場面でギジョンがギテクを責めることはありません。
不器用で失敗ばかりの父親を歯がゆく思っているのは間違いありませんが、彼女は説明不要の愛情で結びついた「家族」だけがこの逆境における味方であることを十分に理解しています。

ギジョンはキム一家の中でも、特別に可愛がられている存在です。
それは彼女一人が半地下の家の中で個室を与えられていることから、容易に推察できます。(ギテクとチュンスクは部屋を共用、ギウは小窓のあるダイニング兼リビングが自室代わり)

自らに与えられる愛情への対価として、ギジョンはその一見して小生意気で不遜な態度とは裏腹に、家族に対しては献身的です。(焼肉シーンでも切り分け役を務めている)
特にギウとは言葉を交わす必要もないほどに信頼し合っていることが、作中随所から窺えます。

序盤、「ピザ時代」の箱折りバイトではギウとともにギテクの失敗をカバーし、逆にバイト面接の約束を取り付けることに成功します。
この場面で見られたようにギウとギジョンは互いのやりたいことを完全に理解し合っていて、無言の連携をとります。

画像16

それはパク家に使用人としてギウ→ギジョン→ギテク→チュンスクの順で浸透していく際にも遺憾なく発揮され、ギウはギジョンのためにとっさに「ジェシカ」をでっち上げ、ギジョンはギテクのためにユン運転手を陥れる罠を一瞬のうちに仕掛けています。

画像8

ギウとギジョンは「半地下の生活から抜け出したい」という欲求をともに抱えた仲間であり、それを互いに理解しているからこその「テレパシー」のような無言の連携なのです。
(実際には二人の欲求には微妙な差異が存在する。ギウは家族からの尊敬を得ることも動機の一つだが、ギジョンはそうではない)


大いなる復讐と敗北

ギウが突然もたらした「パク邸への浸透計画」は、ギジョンにとって「大いなる復讐」のチャンスです。
「経済力」という一点のみで彼女の才能を足蹴にしてきた連中から、技術と機転で富をかすめ取る────それは富裕層を敵視していたギジョンにとって、まさに天啓ともいうべきものだったことでしょう。

自分に与えられてしかるべきだったものを取り返しに行く。
パク邸の玄関前に初めて立ったとき、一連の計画は彼女にとっての領有権の主張であり、だからこそギジョンは「独島は我が領土」の替え歌に乗せて「ジェシカ」のプロフィールを歌いだすのです。

画像10

そしてこの「紛争」は、前任家政婦ムングァンの来訪とパク一家の突然の帰宅により、一時の勝利に酔いしれていたキム一家が完全に打ちのめされるかたちでほぼ決着してしまいます。

この夜の時点では、キム一家の素性はパク一家に暴露されているわけではありません。
しかし彼らは自分たちの抱いていた「夢」を語り合ったその夜に、パク一家に対する自分たちの存在があくまでも「虫」に過ぎないことを思い知らされており、その精神的な挫折こそがキム一家の最大の敗北となっているのです。

ギジョンもまたこの夜、自身の残した下着を「安物」と嘲られ、それはせいぜいパク夫婦の性生活にちょっとした刺激を加える性玩具程度のものでしかないと、思いもよらぬかたちで意図せぬ侮辱を受けています。
これは上流への憧れを抱き続けていたギジョンには、内面の深い部分を抉る言葉であったことでしょう。


悲劇における、ヒロインの必然

「なぜギジョンが殺されなければならないのか」という問いがあります。
もちろんこれはチュンスクに妻を殺されたオ・グンセの動機を尋ねる質問ではなく、あくまでも物語上の必然性を問うものでしょう。

ポン・ジュノ監督はこの問いに対し「(ギウではなくギジョンが死ぬほうが)皮肉的で、悲劇だ」と、極めて誠実な答えを返しています。(参考:GQインタビュー

『パラサイト 半地下の家族』は明白に悲劇であり、それは主人公であるギウが、彼にとって最悪の不幸を体験しなければならないことを意味しています。

ギウにとって最悪の不幸────それは、「自身が抱き、執着した夢と計画によって最愛の家族が失われ、その事実そのものをギウは現実感をもって認識できなくなってしまう」というものでした。

ギジョンが死ななければいけない理由は彼女が悲劇におけるヒロインだからであり、彼女の死がギウに途轍もない孤独をもたらすことになるからです。
オープニングとエンディング直前の、半地下の風呂場兼トイレでスマートフォンを見つめるギウを捉えた二つのカットを見比べれば一目瞭然です。

画像11

画像12

ギジョンの死を招くことになったのは、ギウが自身の夢と計画に彼女を誘惑したためであり、彼女の死を防ぐことができなかったのは、ギウ自身が無力であったからだと言えます。
そしてさらなる不幸は、自身が失ったものの大きさをギウが認識できず、ただただ孤独になってしまったという、そのこと自体なのです。




以上、ヒロインとしてのギジョンに対する考察でした。
本作の素晴らしいところは、こうした深いキャラクター性をほとんど説明することなく、台詞の交換と物語の進行、そしてさりげない構図によって観客へと伝えきっていることだと思います。

ご意見やご感想など、いかなるものでも大歓迎ですのでぜひお寄せください。

次回の『パラサイト 半地下の家族』ストーリー解析は、今回取り上げることのできなかったもう一人のヒロイン的存在のキャラクターと、キム一家の敗北について詳しく見ていこうかと考えています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?