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『パラサイト 半地下の家族』ストーリー解析④ キム・ギテクの衝動 後編

前編からの続きです。

ギウの父ギテクが「あの行動」に走ることになった原因について、作中の描写から分析を試みています。

※ 以下ネタバレを含みますのでご注意ください。




完地下の男、オ・グンセ

前任家政婦ムングァンによって明かされた「完地下」に住む男、それがオ・グンセです。
このグンセというキャラクターの存在は、パク邸における「おこぼれ利権」の競合という葛藤をキム一家にもたらしただけでなく、ギテクの内面に対して非常に大きな脅威となりました。

グンセは、ギテクが最も恐れている、近い将来に自分がなりうる姿そのものです。(そして実際に、その恐れは現実となる)
ギテクとグンセの間には、それほどまでに類似点が多い。
その相似性により、グンセはパク社長よりも遥かにギテクの「シャドウ」として機能してくるのです。

まずグンセの初登場のシーンですが、ムングァンという事実上の命綱が断たれていたために完地下で飢えかけ、ベッドに横たわっていました。
グンセを抱き起こしたムングァンはまず、持ち込んだ哺乳瓶でミルクを、ついで柔らかく噛みやすいバナナを与えます。
まるで赤子に対する世話のようですが、これは文字通り「妻に食わせてもらう男」が、行き着くところまで行き着いた姿です。

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ギテクもオープニングでは横たわった姿で登場し、妻チュンスクに起こされたのち、食パンを頬張って空腹を満たしていました。
グンセとは異なり自分の足でダイニングへと向かう程度の尊厳は残っているようでしたが、そのパンを購入したのはかなり高い確率でチュンスクだったであろうと推察できます。

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そして非常にわかりやすい二人の類似点として、「台湾カステラ店」事業での失敗があります。

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この事業の失敗でグンセは莫大な借金を抱えることとなり、それがこの完地下に隠れ住むことになった直接的な原因です。
借金こそ無いものの、その経緯はキム一家におけるギテクの失敗と、半地下居住という現状とにぴったりと符合しています。
ギテクもその事実に戦慄するものがあったのか、このグンセの言葉を盗み聞いて、あんぐりと口を開けた何とも複雑な表情を浮かべています。

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そしてもう一点、これはミッドポイント直後の場面ではギテクも家族たちも気づいていないであろう事実ですが、本棚の様子からグンセはこの完地下で「法律の勉強」をしていた可能性があります。

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つまりは「受験勉強」であり、これはギテクの子であるギウやギジョンの姿をもグンセは投影しているということになるでしょう。

グンセを縛り上げている最中にギテクがこの事実を知り得たかは定かでありませんが、観客の深層心理には確実に擦り込まれていきます。
キム一家が現在居住する「半地下」の行き着く先はこの「完地下」であると、そのように脅しをかけているのです。


「これからどうするつもりなんだ?計画はないのか?」とギテクが尋ねると、グンセは「ずっとここにいたい」と答えます。
子供たちとは異なり半地下から脱出する意欲をほぼ失っているギテクの現状に、グンセのこの心情はまたもぴったりと符合するのです。

おそらくこの時点でギテクも、グンセという「虫」のような生き方をしている男と自分との、あまりの共通点の多さに気づいたことでしょう。
ギテクにとってのグンセは、パク社長などよりずっと深い部分で繋がっている同類、つまりは「同胞」とも言えます。
だから彼には、たとえ邪魔な存在であってもグンセを殺害する発想は生まれてこないし、後頭部を強打したムングァンがまだかろうじて息をしていることに安堵するのです。


プライドの破壊、決定的な敗北

グンセとの遭遇からさして間を置かず、突然パク一家がキャンプを中止して帰宅します。
数分前までは豪邸の主として勝利に酔いしれていたキム一家ですが、チュンスクの冗談めかした予言のとおり、「虫」のように慌てふためいて物陰に隠れ、息を潜めることになります。

これが、キム一家にとっての決定的な敗北の始まりです。

結果から言えば彼らはパク一家に見つかることなく脱出に成功しており、翌日のパク一家の様子からしてリビングでの宴会等の狼藉も露見することはありませんでした。
グンセとムングァンからも主導権は取り戻しており、キム一家は際どいながらも難局を乗りきったと言って過言ではない状況のはずです。(ムングァンが重体であったことは、ギテクもおそらく認識できていなかった)

しかしそれでも、この夜はキム一家を完全に打ちのめしてしまったターニングポイントになっています。
パク邸において彼らは、チュンスクを除く全員が、精神的な意味で完全に敗北してしまったのです。

ギウは計画外の突発的なアクシデントに全く対応することができず、その非力さも終始家族の足を引っ張りました。
ギジョンは日頃の「脱臭」の努力も虚しく、以前身につけていた下着がパク夫妻の性交渉における玩具扱いにされるという、目眩のするような侮辱を受けました。

そしてギテクは子供たちの前で、自分が「虫」であることを徹底的に知らしめられてしまうのです。

一つにはまずチュンスクの言葉通り、暗闇で息を潜め、この邸宅の真の主人の様子を窺うという状況が「虫」そのものであったということ。

そしてもう一つ決定的なのが、パク社長がその玉座であるソファに寝そべりながら言及した、ギテクの「臭い」の件です。

おそらくパク社長は息子ダソンが指摘するまで、運転席に座るギテクの「臭い」をさして気に留めていなかったはずです。(初運転のシーンにも「ザ・ケア」を紹介するシーンにも、パク社長には不快げな様子が見られない)
しかし一度意識に上ってしまうと、「臭い」には彼の好む「節度」など欠片もなく、狭い車内に充満しているように感じられたことでしょう。

そして「臭い」は、ギテクとパク社長を決定的に隔てる壁です。

それがつきまとうかぎり、ギテクはどこに行って何を演じようとも、パク社長のような種類の人間から同類として扱われることはない
ギテクの信念や想いなど関係なく、「同行」を許されることは決してない。

許されるのはせいぜい、仕事という形式で一線を引いた「奉仕」ぐらいのものなのです。

悪意のないパク社長からの純粋な宣告により、ギテクの「人」としてのプライドはズタズタに引き裂かれました。
彼はただ黙って目を閉じ、あの沈痛な表情を浮かべます。

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家族の前では明るい表情を見せ続けていたギテクですが、ここに至ってはもう、何かを取り繕おうとする意志はありません。


「水」、一家の願いを拒絶するもの

追い打ちをかけるように、キム一家の最後の砦である半地下の住居は洪水によって(一時的に)破壊されます。

本作において「水」途轍もない力を持っています。

水は重力に従って常に上から下へと流れ続け、その秩序の在り方は人間の都合などには決して斟酌しない絶対的なものです。

作中でキム一家は常に、「下から上へ」と移動するものに縋ろうとしています。
それはWi-Fiの電波を受けようと掲げられるスマートフォンであったり、ギジョンがトイレで吸う煙草の煙であったり、かつてはチュンスクが自由自在に放り投げていたハンマーであったりします。
ギウやギジョンが続けている受験への努力も、そうした「下から上へ」の願いの一つの形です。
そして何より、パク邸に入り込むキム一家の「計画」もまた、虚飾の力によって秩序の隙を突く下剋上を狙ったものでした。

一方で「水」は、作中ではしばしば「雨」という自然現象として表れ、「下から上へ」を望む努力や願い、虚飾を無感情に否定し、容赦なく押し流していきます。

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「水」はキム一家を上流から押し返しただけでなく、序盤に描かれていた消毒剤の噴煙のように半開きの窓から侵入し、彼らの住処を破壊します。

否応のない、暴力的なまでの秩序の力によってキム一家は夢と計画を否定され、家までをも破壊されてしまうのです。

この敗北の夜に、ギテクは「下から上へ」という願いを完全に放棄しています。
無計画こそが最善の計画だ」という彼の言葉は、上へと這い登る夢を捨て、ただ流されるがままに生きることを選ぶという、ギテクによる実質上の敗北宣言と受け取れるでしょう。


防衛と復讐の本能、衝動的な反応

ギテクというキャラクターがどのような背景を持ち、何を信念として抱いていたか、そしてどのように彼とその家族が敗北したのかを、ここまで確認してきました。
そして次が本稿における主題ですが、「ギテクはパク社長をなぜ刺したのか」ということについて検証していきましょう。


まず前段階として、「ギテクの心理的抑圧が最大限に高められていた」という点を見逃すことはできません。

前夜のパク邸での敗北、自宅の水没により本来であれば、誕生日パーティーで浮かれ騒ぐ人々のために奉仕するなど、ギテクにはとてもできる心理状態ではなかったはずです。
それでもヨンギョの買い出しに無言で付き添い、パク社長に言われるがままに馬鹿げた仮装をするのも、全ては自分の家族を想うがゆえのことです。
自宅という生活基盤を破壊されたキム一家にとって、パク家にしがみつくことでもたらされる収入は命の綱なのです。

また、住み込み家政婦であるチュンスクはパク邸に否応なく縛りつけられている状態であり、妻を見捨てて逃げ出すのはギテクには論外の選択肢だったことでしょう。

そしてここで発生する、小さいながらも決定的な出来事が、パク社長から「一線」を通告されたことです。

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二人の間に初めて障壁となるものが存在しないこの瞬間、家族サービスに余念のないパク社長に対し、ギテクはつい溢すように同情的な態度を示してしまいした。
それは「家族への」というプライベートな話題に触れる、ギテクによる二度目の「ライン越え」であり、「節度」を重んじるパク社長にとっては許容することのできない「越権行為」です。

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「同行」は、決して許されない。
許されているのは、経済事情を人質にした「仕事」という名の「奉仕」のみなのです。

昨夜の、「人」としてのプライドを無残に切り裂かれた傷を再び、ギテクはまたもパク社長によって抉られてしまったことになります。


高められたギテクの抑圧が別種の攻撃性へと変化する契機となったのは、自分の子供であるギウとギジョンが酷く傷ついた姿を目撃したことです。

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血を流す彼らの姿を見て、ギテクは「自分の子を護らねばならない」という一種の防衛本能に強く駆りたてられています。

この「子を護る本能」に基づいた攻撃性は、ギジョンを救うためグンセに挑みかかるチュンスクや、あるいは失神したダソン以外の何者も目に入らなくなっているパク社長とヨンギョらを見てわかるように、同じ場面の「親たち」に等しく共有されている感情です。


ギテクの攻撃性は、不思議なことに直接の加害者であるグンセへは向かいません

本稿において見てきたように、ギテクにとってのグンセは一種の「同胞」であり、「分身」です。
チュンスクとグンセが争う状況は、ギテクの目には「同士討ち」に近いものとして映っていたはずです。

混乱の中でギテクは自失していたのではなく、子供たちを傷つける「真の敵」を探して必死に目を凝らしていたのです。

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パク社長がグンセの悪臭に耐えかねて鼻を摘んだ瞬間、ギテクはついに「それ」を「真の敵」として認識してしまいます。

「それ」はパク・ドンイクという個人ではなく、「隔絶」という名の、彼らが生きる社会の在り方そのものです。

子供たちや妻を傷つけ、オ・グンセやギテク自身のような弱く怠惰な人間を殺そうとしているものの正体が、「下から上へ」という彼らの意志を拒絶し続けている「一線」であることを、ギテクははっきりと感じ取ってしまうのです。

悪臭に満ちた下水の洪水によって人々が家を失ったその日のうちに、頭上では陽光降り注ぐ下で朗らかなパーティーが行われている。

「優雅な人々」はギテクたちの臭いに顔をそむけ、鼻を摘みながら、それでも徹底して「奉仕」を要求している。

それが、ギテクがとして見出してしまった「隔絶」の正体です。

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パク社長が攻撃対象として選ばれてしまったのは、かなりの部分で不幸な事故だったと言えるでしょう。
たまたま彼が「優雅な人々」を代表している人間であり、たまたまギテクの目の前で鼻を摘んでしまっただけということでもあるのです。

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ギテクがパク社長に対し包丁を振り下ろすその姿は、ギジョンの胸を刺す瞬間のオ・グンセにぴったりと重なります。

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グンセの動機は「家族を殺した者への復讐」であり、となればギテクが胸の中に抱いていた心情もまた、「家族を殺すものへの復讐」に間違いないのです。




以上、キム・ギテクとその衝動的な行動に関する考察でした。
物語におけるギテクの立ち位置は、ギジョンと同様に「ヒロイン的」なものであると考えています。
しかしその心情の複雑な変化を追っていくと、ギウと同等かそれ以上の迫力をもってストーリーを動かしていると感じるようにもなりました。

ポン・ジュノ監督が世に放った、実に捕らえにくい「魚」であると思っています。

『パラサイト 半地下の家族』のストーリーに関する解説は、おそらくあともう1回だけ追加することになると思います。
テーマは「子供たちの願い」についてとなるでしょうか。


ご意見・ご感想などお待ちしておりますので、ぜひお気軽にお寄せください。

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