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『パラサイト 半地下の家族』ストーリー解析④ キム・ギテクの衝動 前編

解釈の網を抜けていく魚になりたい、そういう衝動がある」とは、本作公開後のポン・ジュノ監督による言です。
(参考:WIREDインタビュー

『パラサイト 半地下の家族』作中で最も解釈の難しい場面の一つが、ギウの父親ギテクの「あの行動」に関するものでしょう。

ネット上でもその解釈についてはかなり意見の割れるところに見えますが、ギテクの心情に観客を共感させることにはおおむね成功しているように思えます。
これはまさに本作が、「解釈の網を抜けていく魚」になっている証左と言えるでしょう。

しかし掴まえにくい魚であるほど、それを手にしてみたいと思うもの。

本稿はギテクのキャラクター設定や作中での描写から、「あの行動」の動機にまつわる「解釈の網」を幾ばくかでも狭めることを試みるものです。

かなり長くなってしまったので、前後編に分割しております。

※ 以下ネタバレを含みますのでご注意ください。




相次ぐビジネスの失敗

物語におけるギテクの際立つ個性は、これまで彼が重ねてきたビジネス上での失敗によって、まず規定されています。

ビジネス上での失敗とは、作中で言及される「チキンの店」と「台湾カステラの店」の、少なくとも2回にわたって事業を倒産させてしまったというバックストーリー(物語開始以前にあった出来事)です。

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チキンも台湾カステラも、韓国内においては(特に一時期)かなりメジャーな飲食ジャンルであるらしく、ノウハウが充実していて手軽に始められる一方、競争は相当に熾烈だそうです。

運転技能と土地勘に優れていることからすると、元々ギテクは運転関係の仕事に従事していた(その後のアルバイトも運転関係)のでしょうが、子供たちの学費を稼ぐために脱サラして開業、あえなく失敗→半地下へ────という流れが推察できます。

いかにギテクが要領が悪く、商売下手であるかということは、序盤の「ピザ時代」の箱折り内職のシークエンスに早くも描写されています。
息子がお手本として示した動画の「速度」だけを愚直に真似したギテクは不良品を量産してしまい、ペナルティとして報酬を減額される結果を招きました。

要領の悪さに加えて、他人を蹴落とすことのできないギテクの人の良さは競争の激しい飲食業においては極めて不利だったことでしょう。
しかし、ともすれば弱腰にすぎる人の良さや要領の悪さは、裏返って「温厚」という人柄への評価に繋がってもいます。

後半の洪水のシーンにおいても、ギテクは近所の男性から「兄貴、手伝ってくれ!」と声をかけられていました。
ギテクの家も大変な状況であるとは男性も当然認識しているでしょうが、そうした場面でもギテクなら、人助けを断り切るのが難しい「お人好し」であろうと見なされているわけです。

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家庭内における父権の失墜

事業の相次ぐ失敗と、それにともなうキム家の経済的困窮は、家庭内におけるギテクの「家長」としての権威を著しく低下させています。

これについてもやはり、「ピザ時代」の内職に関するシークエンスの直後、家族4人で食卓を囲んで仕事終わりの祝杯を上げるシーンが非常にわかりやすい構図となっています。

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ギテクの失敗によって報酬は減額、引き換えにギウとギジョンの機転でアルバイトの面接を受けられそうなところまでこぎつけたものの、当然ながら妻チュンスクとギジョンは仏頂面、ギテクの乾杯の音頭に応じるのはギウ一人だけという状況です。

このギテクの明るい表情と声色は生来の楽天的な性格によるものもあるでしょうが、実際には強がりであると言えます。

前のシーンで、「ピザ時代」オーナーと険悪にやり合うチュンスクを室内からギテクが沈痛な表情で見守っているカットが挟まれており、彼が自分の失態を認識していることは十分に窺われます。

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そしてこれは、単に内職報酬の減額という小さな失敗のみを示すシーンではありません。
続けざまの事業の失敗、無職という現状。ギテクがいかに家庭内での立場を失っているか、どれほどの苦悩を内心に抱え込んでいるかをも、観客へ言外に伝えているのです。
ギテクが幾度となく、このような沈痛な表情を家族から見えないところで浮かべてきたのは想像に難くありません。


家庭の実質的な主導権はすでに妻チュンスクが握っている、というのも見逃せないポイントです。

第一幕と第二幕前半において、チュンスクは家事、とくに洗濯や掃除といった「家のメンテナンス」をしている描写が目立ちます。

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これはもちろんチュンスクが優れた家事の技能を持つことを示す描写であり、パク家の怠惰な主婦ヨンギョとの対比にもなっているのですが、同時に彼女がキム家を実質的に支えていることの象徴でもあります。

「カカオトーク」に関する言及から、「ピザ時代」と交渉して内職の口を確保したのも彼女であると推測でき、家長であるはずのギテクがまったく頼りにならない現状において、チュンスクこそがキム家における大黒柱なのです。

後に彼女がパク邸の住み込み家政婦として半地下を離れると、家はあっさりと「水没」してしまいます。
もちろんチュンスクがいたところで豪雨による水害は不可避なのですが、彼女が懸命に家を支えていたことを象徴する描写であると言えるでしょう。


ギテクーチュンスク夫妻の間には確かな愛情が存在しています。
チュンスクはしばしば、甲斐性のないギテクに対しぞんざいな口を利きますが、そこには夫を傷つけようという意図はありません。
ある意味で理想的な夫婦関係と言えるのかもしれませんが、家父長主義に基づく旧態的な価値観をもつギテクの内心に、忸怩たるものがあるのは確実です。

妻や子供たちを見返すような何かを成し遂げたい
男として、家長たる父として、立派な姿を見せたい

ギテクがこのような想いを(かつては)秘めていたとすれば、それは息子であるギウが抱いていた「力」への欲望と極めて似通った種類のものだったのかもしれません。
ギウ一人が終始ギテクへの敬意を示し続けていたことも、この父子の内面性の相似に関係している可能性は十分にあると考えられます。


アンチキャラクターとしてのパク社長

ビジネスにおける失敗から家長としての権威を失い、家族からの愛情によってかろうじて生き延びているギテクとは対照的な存在が、パク・ドンイク社長その人です。

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躍進するVR機器関連企業の社長として、事業は海外の雑誌で特集されるほどの大成功を収めている。
住居は高台の一等地。高名な建築家による設計で、広い庭には日差しが余すところなく降り注ぐ。
二児の母ながらいまだ若々しく美しい妻には家政婦をつけてやり、家事をさせずに遊ばせておくことのできる経済的な余裕
娘と息子には専属の家庭教師をつけ、最高の教育環境を与えている。(かといって熾烈な受験競争に目の色を変えて取り組ませる必要もない。あくまでも体面と、妻からの強い要望というだけ)

パク社長が持っているものは、ギテクが望むことすら叶わなかったもの全てです。


通常の物語であればこうした対象的なキャラクターは「シャドウ」と呼ばれ、多くの場合には主人公への対比、互いを映す鏡のような存在となります。
主人公は「シャドウ」への憧れ・敵愾心・友情などを通じて自らのアイデンティティを確立していくのが一般的な流れですが、ギテクはパク社長に対するそうした強いモチベーションを持ち合わせていないように見えます。
本作の非常にユニークな部分です。
(しかし、であるからこそ、クライマックスにおけるギテクの突発的な行動が、凄まじい衝撃をもって観客に叩きつけられる構造になっている)

ミニョクという「シャドウ」への強い執着を見せるギウや、上流への憎悪と同時に憧れをも隠し持っているギジョンと違い、ギテクには「上に昇る」強い意志はもはや無いのです。
オープニング、「上」からのWi-Fiの電波を求めてギウとギジョンがスマートフォンを高く掲げて家の中をうろつき回るのに対し、惰眠から目覚めたギテクは面倒くさげに食パンを頬張るのみです。

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忸怩たる内心とは裏腹に無気力≒無計画となりつつあるギテクの現状が、この構図の中で端的に表現されています。

この半ば向上を諦めてしまったようなギテクの態度は、「一線」を重要視するパク社長が絶妙と評価した「節度」に期せずして繋がっています。
(見方を変えると前任の運転手であったユンには、パク社長の言う「ライン越え」に相当するものが以前からあったのではないかという疑いがある。ギジョンに対するしつこい態度もその表れか)

ギテクとパク社長は、クライマックスでの惨劇直前まで顔と顔を正面から突き合わせることがありません。
彼らの間には常に「壁」が存在しているのです。

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向上を諦めたギテクと、「一線」を重視するパク社長。
上手く噛み合っている二人に思えますが、そこにはパク社長も何となく感じ取っている、ギテクの危うさがありました。
そして、その危うさの奥に秘められていた本質こそが、最終的にギテクを凶行に走らせ、パク社長の命を奪うに至る根本的な要因なのです。


「人」としてのプライド

先ほど例に挙げたオープニングの場面において、ギテクは食卓に一匹のカマドウマ(便所コオロギ)を見つけ、厭わしげに指で弾き飛ばします。

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半地下の劣悪な住環境を示しただけのように思えるなにげないシーンですが、「虫」への嫌悪という要素をわざわざギテクに重ねている制作陣の意図を正確に読み取らなくてはなりません。

その直後の場面、家族総出でピザの箱折り内職をするシーンにおいても、ギテクには奇妙な振る舞いがあります。
路上で散布された消毒剤を半開きの窓から屋内に流れ込ませ、繁殖してしまったカマドウマを退治することをギテクは企図します。
家族全員が激しく咳き込む中で、一人ギテクは顔をしかめつつも咳をこらえ、箱折りを淡々と続けています

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「窓を閉めましょうか?」というギウの問いかけにも答える様子はありません。
なぜギテクはこれほどに頑ななのでしょうか?
想像するに答えはシンプルです。

「自分たちは『人』だから」

消毒剤は「虫」を退治するためのものであって、「人」である自分たちがそれに煩わされることはない────という理屈です。

かなり無茶苦茶な論理のようですが、この「自分たちは『虫』ではない」という信念を抱いている点において、序盤からのギテクは一貫しています。
物語開始時点からすでに全てを失っているように見えるギテクですが、彼にはまだかろうじて「人」としてのプライドだけは残されているのです。

根拠となるもう一つの場面として、ミッドポイントであるムングァン来訪直前の、パク邸における宴会のシーンが挙げられるでしょう。
ギテクはチュンスクから

「この人はゴキブリみたいなもんさ。考えてもみなよ。今パク社長が帰ってきたら、ササササーッって隠れるに決まってるんだから」

と軽口を叩かれます。
そしてその直後、ギテクは突然激昂して卓の上の酒瓶や肴を払い落とすのです。

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普段は穏やかな父親の豹変にギウもギジョンも驚きますが、ギテクはチュンスクと笑い合い、「おまえたち騙されたか?リアルだったろ?」などと子供たちをからかいます。

つまりは冗談だったということですが、物語の流れからすると、ギテクのこの激昂が完全に演技であるとは素直に受け取れない部分もあります。
まさにギテクの言葉どおり、この怒りは随分と「リアル」にすぎるのです。

観客としての視点から見ればこの場面は、カマドウマを食卓から弾き飛ばすオープニングシーンとの対比であることは明白です。
二つの場面に共通するのはギテクの内心にある「虫」への嫌悪であり、それはすなわち、自分たちは「虫」ではなく「人」だ────という強い想いをギテクが持っていたことを示す傍証になるのではないでしょうか。


この強い想い、すなわち「プライド」こそが、ギテクの危うさの正体です。
彼がどのようにこの「爆弾」を爆発させるに至るのか、それは物語後半に起こった出来事を一つ一つ追いかけていくことで確認できることでしょう。




以下、後編へ続きます。

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