なぜ学校は役に立たないことを教えるか
学校はなぜ役に立たない学習をさせるのだろうか。いつか使うではなく、ほぼ一生使わないことをなぜ学ぶのだろうか。
学校の勉強が全ての基礎になるとか、こんなことも分からなくて将来何が分かるのかなど、それっぽいことは聞いたことがあるかもしれない。しかし事実はそうではない。
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本質的に言えば、役に立たないからこそ意味があるのだ。すぐに使える、すぐに役に立つことなどこの世に数多あるが、そんなものはすぐに使えなくなる。人類が「役に立たない」が、歴史的に普遍的に学んできたことこそが、学校の五科である。
ちなみに実技教科の音楽、体育、美術は「言葉が要らない」という共通点を持つ、人類の普遍的な文化を知る時間である。人類が本来、学問なんかよりも本来的に大切にしてきたことである。5科より大切なものだ。
家庭科と技術が、まさしく唯一「役に立つ」領域にいる科目だろう。来年から「情報」が大学入試に必修になるが、まさしく「役に立つ」が学校教育を侵略している。
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学校という場は、将来役に立つとか立たないとか、そういう大人の論理から切り離して、役に立たないことを時間を使って学ぶ場なのだ。役に立つことだけを教える学校はとても怖い。まさにディストピアだろう。
さらに言えば、君自身も誰かの、人の役に立とうとしなくてよい。人の役に立つことばかり大切にしてしまっては、自己が失われる。「役に立つ」から解放される生き方をしよう。「役に立つ」はその瞬間から「役に立たなくなる」ということなのだ。
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