【孤灯芭#39】戦後憲法は"平和主義"ではなかった
日本国憲法の三大原則のひとつは「平和主義」と今は言われる。しかしかつては「戦争放棄」と言われていた。
「戦争放棄」と「平和主義」には大きな隔たりがある。何があっても戦争をしないという決意から後退した「平和主義」は、平和のための戦争は認めるという立場に他ならない。
そして個別的自衛権からの集団的自衛権への拡大、そしてついに「反撃能力」の保持とまできた。やられる前に敵基地を攻撃するのは、それはもう先制攻撃でしかない。「専守防衛」という言葉も時期消えるのか。そして殺傷能力のある武器輸出解禁。日本が再び軍事国家への道を歩んでいるのは、どんなに今日のこの日にみんなが戦争の恐ろしさや平和の尊さを語ろうが祈ろうが、事実である。
つまり必要な戦争なら仕方がない。平和のためなら仕方ないーーと。しかし、全ての戦争は自衛のために「必要」として始まり、「平和」のために戦うのだ。そんなことは既に歴史が証明している。だからこそ、戦争そのものを放棄するしかないのだ。
ちなみにこの記事は8月15日に向けて書いたが、そもそも今日は何の日なのか。「終戦記念日」と呼ばれるが、今日は日本が"降伏した日"でしかない。この日を「終戦記念日」と呼んでいる時点で、先の戦争を、これからの戦争をどう捉えているかが分かる。戦後から78年目の夏。いや、戦前・戦中・戦後の連続性をもっと意識して、我々は生きるべきなのだろう。
今一度、日本政府は憲法さしあたり9条を軸にした政治や外交に努めるべきではないか。「平和主義」よりも「戦争放棄」を。
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