見出し画像

答辞を読んだ学生のその後

「答辞」

私は高校時代、卒業式で答辞を読んだ。
当時、答辞を読むという事がどういう事なのか、よく分からなかった。

友達には「すごいね!」と言われたが、その価値を知らない者への「すごいね!」は、それまた何の意味もなかった。

「やったな!答辞、がんばれよ!」と先生。

「…先生、んーー、答辞読むってすごい事なんですか?」と聞くと、

「なーにいってんのさ!高校生活、一番頑張ったヒトに決まるんだから、嬉しい事でしょや!!」と言われた。

そんな風に言われて、更に母もとても喜んでくれたから、何となく“嬉しい事なんだ”と自分に言い聞かせて、務めることにした。

「厳しい寒さの中に時折、柔らかな光が感じられます。新しい生活が始まる頃には、木や花の息吹を感じられる事でしょう。本日は…」と、全てを読み上げると7分ほどの原稿だが、今でもしっかり暗記している。北海道の卒業式の時期はまだ寒い。

最後の試験の勉強と併せて、答辞の文章を考えた。時間がどれだけあっても足りないくらい(完全に一夜漬けタイプ?)だったが、気持ちを全てこめた文章を考えるのがやっぱり楽しかった。

画像1

東京。
大学を無事卒業し、社会人に。
でも、電車が苦手な私はなるべく歩いた。渋谷の家を6時50分くらいに出ると1時間10分程で新大久保にある会社に着く。ハイヒールで歩く。無表情で。歩く。

ゴムが擦り減ったハイヒールは金具が顔を出し、ガツガツと嫌な音をたてて、グレーのアスファルトを傷つける。平らでない金具がグラグラと、自分の歩くバランスさえをも乱す。

それでも、何でもないという顔で、ただ無表情に会社に向かって歩いた。時に、答辞の文を頭の中で繰り返しながら。

今思うと、一人暮らしがむいてなかったのかもしれない。精神状態は普通ではなかった。後になって思うが。

夏休みで遊びに実家に帰った時、祖母が表情が変わらず、笑わなくなった私をひどく心配した。その事を母から聞き、そう言っていた事を私に伝えるという事は、きっと母も同じ想いなんだろうなと、悟った。

数年経って、私は北海道に帰る事を決意する。
母に伝えると、「うん、その方がいいかもしれないね」と、優しく笑った。

画像2

秋に決断し、退職届を提出、帰る頃はちょうどクリスマスの少し前の頃だった。

母が一年で一番好きだというクリスマス。何年ぶりかで母と過ごせたクリスマスだった。



全てが頑張ったからといって報われる世の中じゃない。全てが努力したからといって自分の思い通りにいくわけでもない。でも自分の決めた進む道には、歩みさえすれば、新たに出会ってくれるヒトがいてモノがある。そして何より、頑張ったという度合いは自分だけが知っていて、何年経っても必死でやり抜いた高校時代は、輝かしい。
地元に帰ったら、意外にも高校時代の仲間も残っていたり帰って来たりして、大勢いる。

そして高校時代、パッと目立たなかった子ほど社会に貢献していたりする。

結局、私も人生半ば。これから何か起こすかもしれないし、何かを諦めるかもしれない。認められる嬉しさも知ってるけど、認められない切なさ、悔しさ、悲しさも知っている。

“答辞を読んだ”というのは、今はもはや、誰もが忘れているような自己満足にしか過ぎないけれど、卒業生として恥じない振舞いをするように、ひたすら心掛けている。


卒業生代表  釈本 恭



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?