見出し画像

「音に心を込める」ってなに?

「あなたのビートは死んでいるんです」
オーケストラが鳴り止み、彼はある奏者をまっすぐに見つめる。

声の主は、私が所属する大学オーケストラの常任指揮者。
今年81歳になった先生は、合奏の際よくこの言葉を使う。
先生が言う「ビート」とは、音楽でいう拍のことはもちろん、奏者の心臓のことも指している。

心臓がない、つまり鼓動のない音楽には、色がない。
演奏中に、隣の奏者の息遣いを感じること。周りに目を向け、大きな音楽の波や空気に乗っかること。そして時には自らが先頭に立って引っ張っていくこと。フレーズに色や温度を感じること。感じてそれを自分の楽器を使って共有していくこと。

どうやら私は人よりも、音に対して景色をはっきりと見ることができるらしい。

幼い頃から「演奏行為」の虜になっていた私は、いつからか音にチェコの田舎町を見て、フィンランドの森で雪の痛みを感じ、燃え盛る炎の熱を思い知り、迫り来る死に恐れを抱き、永遠ではない愛に溺れるようになった。

チューナーの針が真ん中でぴったり合う正確なピッチ、絶対に崩れないテンポ、純正律のハーモニー。それだけを追い求めるなら、機械の演奏は100点満点。なのに、なぜ私たちは生身の人間の演奏にこだわるのか。

ロボットが、AIが人間の仕事を奪う将来が危惧されている今、それでも人の心を動かす音楽は人間にしかできないと思うのはなぜか。

答えは先生の言葉ひとつひとつに隠されている。

休符は宇宙。
四分音符は永遠。
あなたの心臓は動いているでしょう?
同じ音にも表情がある。心があるでしょう。

「楽譜を飛び越えろ」という言葉の通り、楽譜に書いてあること以上の表現、熱量を私たち奏者は楽器であらわす。

一拍はただの一拍ではなく、無限に長かったり、永遠に響いていたりする。

ただ同じ音を繰り返すのではなく、そこにはストーリーがある。大きな山が見える。

だからこそ、私が音楽を紡ぐ時には、自分にしかない色を込めたい。白と黒しかない楽譜に、自分の気持ちの赴くままに絵の具を塗っていきたい。聴いている人にとっても、演奏している人にとっても、心のどこかで共鳴するような、自然と涙が溢れたり、喜怒哀楽すべての感情がぐちゃぐちゃになってしまったりするような、そんな心の震える体験をしたい。
心臓の端っこをキュッとつままれるような、肩がゾワってするような、つま先がソワソワかゆくなるような気持ちを、これからも味わいたい。

これは私にしかできないことだから、人間にしかできないことなんだから、私のビートが途切れない限り、音楽の中心に”心”がある演奏をしたい。

自分にしかわからないかもしれない、この独特な感覚をずっと大切にして、この先もずっと、音楽の波に乗り続けていたい。