「震えるほど楽しい時間(もぅ涙が出てくるくらい)」「じわ~っと幸せを感じる時間」|20191218
最近はいろいろ自分のことを考えすぎて、正直、逆によくわからなくなってきました(笑)。
自分のことを知ろうとして外側から情報を得ることに必死になって、当の本人に目が向いていなかったからかもしれません。
外側から自分を見ては、何かに焦りすぎてしまったり、こうしなくちゃいけないだとか、誰かと比較して自分に劣等感を感ぜずにはいられなくなったり、何もできないどうしようもない人間だとか思ったりして、どんどん自分をマイナスで見るように。
そうです、私にはこんな感じでどんどんマイナスに持っていきがちな心の癖があるのでした(人間みなそんなものなのでしょうか)。
もちろん、その道の専門家だったり、私が惹かれるものを持っていたり、心を打たれるような活動をされていたり、何だか好きだなぁと感じられるような人たちから得られる刺激はとても大切で、この刺激を受けてはいろんなことに前向きに向き合えるようになってきています。
だけど、そんな刺激に押しつぶされて自分を見失ってしまってはいけない、そんなことに気づき、はぁ~なんて息をもらすとちょっと楽になりました。
そんな時に、ふと、最近の「震えるほど楽しい」だとか「なんて幸せ」って感じる時間って何だったっけ、という気持ちになりました。
内側から自分を知っていこうという逆の見方?みたいなものといいますか、そうすることで、自分のことがちょっと分かるような気がしてきたのです。
ということで、今回は私の震えるほど楽しい時間、幸せを感じる時間について書いてみようと思います。
「震えるほど楽しい時間(もぅ涙が出てくるくらい)」
直近で覚えているのは、なんでもない、朝ごはんを作っているときです。
真夏をちょっとすぎた9月の朝、まだまだ暑すぎる日差しを避けるためにキャンプ場の隅っこで、木陰に隠れながら(この日はタープを張っていなかった)、ひとり、昨晩の残り物で適当に朝ごはんを作っているとき、なんだか猛烈に楽しかったんです。
知っちゃいけないひとりの楽しみを覚えてしまったかのようで、やばい…知ってしまった…なんて感覚になり、なんだかうれしすぎて震えたのを覚えています。
なんでだろう、と思うと、きっと結婚してから何をするにも夫と一緒で、無意識に相手に合わせては自分だけの時間を思う存分過ごせていなかったから、言い換えると、自分ひとりだけで成り立つような時間を過ごせていなかったからなのかもしれません。
ひそかに寂しがりやで実は結構かまってちゃんですが、ひとりの時間も好きなんでしょう。
誰と共有するでもなく、自分ひとりだけでこの上なく楽しいひとときを過ごせているということに、自分のスキを感じてうれしかったんだと思います。
帰宅して、やばいよ~なんて報告したことが記憶に残っています。
「じわ~っと幸せを感じる時間」
あとは、幸せを感じた瞬間。
これも何でもない、家の中で白黒猫2匹と夫が一緒に転がっている(寝転んでいることを我が家では転がるっていいます)のを見たときです。
これはじわ~っときました、なんだか平和だな~なんて感じられて。
(あぁ、我が家にはいつも幸せが転がっているじゃないか。)
もしかして、転がっている夫を見て「邪魔くさい」なんて感じる人もいるかもしれませんが、私はこんな感じでした。
これは夫との関係性もあるのかもしれませんが、こんな風に感じられたのは、私ののんびりした平和主義者的な個性だったり?
私ってさ
私の場合、心が動くのって特別なイベントでも何でもなく、身近にある日常っぽいようで、そうか、私は日常を大切にしたいのかぁ、なんてことに気づかされました。
自分の強みは何? 弱みは? じゃあその強みはどのように仕事に活かせる? 弱みはどうやって変えていく? なんて自己分析する方法もあるけれど、速効性はないながらもこうやってじわじわ自分の心が動くポイントだったり、スキを見ていくのもいいのかもしれません。
そういえば、私は何をするにもエンジンがかかるまでに時間がかかるスロースターターでした。
仕事の習得、マラソンの走り出し…、けれども、一旦掴んでしまうとそこから結構スピードが上がっていくタイプです。
そうか、今は走り始めのゆるゆるした助走時期、ここから継続、継続していくことで順調にスピードに乗っていくことができる。
こんな感じで書いていたら自分のことを思い出してきました。
結局今日のお題はなんだったけ? まぁいいや、自分のことがちょっと思い出せたから今日はこの辺でお開きにしましょう。
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