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青春が成仏する時

先週、友人の結婚式のために京都へ行ってきた。
5時起きである。
前日にまさかの職場の飲み会が入り、律儀に2次会も出席してしまう社会人のカガミとしての私は、3種類の目覚ましグッズを駆使してどうにかこうにか覚醒し、新幹線に飛び乗った。

昼近くの挙式の開始にだけ間に合わせるなら、まだもうちょっと寝ていてもよかった。
しかしどうしても、一般の参列者よりも早く会場に着く必要があった。

新婦から、余興の依頼を受けていたからだ。
受付前に余興のリハーサル、である。

「ゼクシィのCMのMISIAの歌をうたい、場を盛り上げよ」
というミッションが我々余興フレンズのもとに届いたのは、2ヶ月ほど前のことであった。
大学時代、楽器を使わずに歌だけで楽曲を演奏するアカペラサークルに所属していたのだが、「アカペラサークル出身者の結婚式、歌うたいがち」というあるあるがここぞとばかりに発動したことになる。

アマチュアとはいえ、人前で歌を披露する訓練をし、それなりにライブやステージでのパフォーマンスを経験した者たちが、引退後に何かを発散する場を求めるのは至極自然なことであり、結婚式の余興がそのうってつけの機会であることは、なんとなく想像がつくだろう。

華やかに歌って、場を盛り上げる。
簡単にそれができたら、どんなによかったか。

私には懸念事項があった。えげつないブランクである。

卒業ライブも成功させ、社会人になってからもサークル活動や、個人のライブなどで歌を継続してきていた他の余興メンバーと違って、私は人前で歌った経験値が圧倒的に少ない。

というか学生時代のアカペラサークルも、2年生の終わりに実力不足から所属グループが解散し、途中でドロップアウトしていた。

言っとくけど、アカペラまじでむずいかんね。
音程とれなさすぎ。
ファとかよくわかんない。ミとか。(※個人の意見です)

だから、あるあるとか言っておいて、私個人は余興で歌をうたうことなんて全然なかった。

そんな私に余興のオファーが来てしまったのは、ひとえに新婦と余興メンバーで構成される少人数グループが、わりとけっこうとっても仲良しだったからである。

サークル活動からフェードアウトした後も、よく飲みに誘ってもらい、京都観光に出向いた。
我々は京都で学生時代を過ごしたのだが、夏は暑くて冬は寒い盆地を駆け巡り、寺に神社に参拝し、甘味をむさぼり、鴨川のほとりで何を語るともなく時間を過ごした。

時間はかかったが、自分がゲイであることも知ってもらい、安心して話をできる仲間たちだったし、クヨクヨする時も一緒に笑い飛ばせるようなエネルギーをもらってきた。

京都で学生時代を過ごした者あるあるとしては、「卒業後、京都を恋しく思いがち」というものがあり、社会人になった後も、よく京都に集合し、遊んだ。
鮭が産卵のために故郷の川に帰るように、我々も京都の鴨川に戻ってくるようプログラミングされているとしか思えない。もはや帰巣本能である。

ちなみに京都で学生時代を過ごした女子あるあるもあって、「結婚式を京都で挙げがち」なのだ。
ちょうど1年前、京都旅行の際に「海外出張中の夫の代わりに、一緒に式場見学いかない?爆笑」という軽いノリで、まさかの結婚式場見学も体験させてもらった。
一生縁がないと思っていたのに!
しかもそのときは他のメンバーが遅れて、私と、新婦の子と二人で見学に出向いたので、「友人様と伺っていたのでてっきり女性の方と来るのかと・・・」と、高濃度の笑顔がウリのプランナーさん達が少しうろたえていらしたので、ウケた。

そんな思い出深くもある式場で、親友が結婚式を挙げるのだ!
歌わねばなるまい。

それはもうめちゃくちゃ練習した。現役時代の5億倍は練習したと思う。
ゴールデンウィークには関東・東海・関西に散らばっていたメンバーが大阪に集まり、事前練習や記念CD作成なんかも決め込むという気合いの入りよう。

そうやって事前に気合いを詰め込んだ分だけ、当日の緊張感がハンパなかった。
余興メンバーの席だけ、口数がやけに少なく、もはやお通夜ムードだった。冠婚葬祭違いだ!
食事も喉を通らないとはこのこと、せっかくめったに食べられないフルコースのごちそうがいただけるというのに・・・。まあ食うけど。でもやっぱり味がしない。

緊張がピークに達し、もののけ姫でいうところの張り詰めた弓の震えるツルよ~のレベルになったのとほぼ同時に余興の呼び込みがあり、披露宴会場前方へと呼ばれた。

極限の緊張の中で思ったのは、「人前で歌うことにずっとあこがれていたんだよな~」ということだった。
ミュージカル好きの母と姉の影響で歌が好きになり、平成の黄金のJ-POPにひたりながら成長した私は、歌を歌える人になりたかった。
そういう思いで足を踏み入れたサークルは、しかし極限の歌ウマの人間たちであふれかえり、実力主義で、あきらめの早い軟弱な私はあっという間に背を向けてしまった。
「どうせ自分にはできない、向いていなかったのだ」と、自分に言い訳をしていた。

そのくせ、友人たちが華やかに歌うステージを見ては、やはりうらやむ気持ちがわくから、たちが悪い。
サークルのみんなとは社会人になってからも良い交流を持てているが、上手に歌うところを見るとき、聞き惚れる気持ちと嫉妬する気持ちが入り交じるのが正直なところだった。

アカペラ、歌、というものに少し悔いが残っていたのだ。
これはカラオケに行く、とかではどうにもできないものだった。

今回、結婚式の余興という機会によってくしくも「人前で歌う」ことが実現でき、なんだか本当に達成感があった。
自分のパートのできばえはよくわからないが、上手い他のメンバーや特別な日の感動補正も手伝い、よい感想をたくさんの人にもらえたことが嬉しかった。

学生時代にあきらめてしまっていた、アカペラの青春が、ここでようやく成仏したような気がした。
メインの結婚式ももちろん最強にお祝いしつつ、私は密かに自分だけの卒業式を執り行っていたのである。

けっこうこの日のことは忘れないと思う。

機会をくれた新婦ちゃん、本当におめでとう。
一緒に歌ってくれたメンバーも含め、すんごく素敵なチャンスをくれてありがとう。

わりと、いい年齢にもなってきたことですし、そろそろ鴨川のちょっといいお値段のする川床のお店なんか、行ったりするのがいいと思うんですよね。
素敵な愛の手紙を披露されていた夫さんも一緒に、みんなで会食する約束をした。

#cakesコンテスト #エッセイ #コラム #京都 #アカペラ #鴨川 #結婚式

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