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日記_2018年5月12日(土)

友達と六本木で待ち合わせて「写真都市展ーウィリアム・クラインと22世紀を生きる写真家たちー」へ。

無数の電球がきらめく海外の劇場出口を写したモノクロ写真。
それを使った告知ポスターがかっこよくて、気になっていた展示会。

世界の色んな都市の様子、およびそこに暮らす人々を切り取った写真を多く生み出したウィリアム・クラインさんと、彼に影響を受けたアーティストの作品がたくさん拝めて大満足だった。

中でも、1950年代あたりに発表されたウィリアムさんのモノクロ写真たちを活用して新しい映像作品に落とし込んでいた展示の部屋がとても新鮮でおもしろかった。
薄暗くてだだっぴろい部屋の4面に大小様々なスクリーンが配置してあって、天井に設置された複数のプロジェクターが次々にモノクロ写真を映し出していく、というもの。

控えめに流れる音楽とシンクロしながら、時折ビビットな色の文字や抽象的な図形が踊る効果も差し込まれつつ、各都市(ニューヨーク、ローマ、モスクワ、東京、パリなど)の写真が登場していく。
写真なんだけど、独特のリズムで進んでいくようになっていて、しかも前方のメインのスクリーンに引き込まれていたら不意に後方の小さいスクリーンに映像が映し出されたり、いきなり床に光が投影されて場面が切り替わったり、どんどんパタパタ写真が出るスピードが加速していったりと、全然飽きなかった。

昔の写真(たしか1950年代あたりだったはず)なので、東京パートの時に映し出される人々を見ると昭和感というか、現代の自分たちと切り離された存在として認識するのだけど、でも同時に暮らしの息づかいをリアルに感じられるような写真ばかりで、すごく不思議な感じがした。
ニューヨークやパリなど、別の国の都市の写真にも切り替わり、時間も空間も超えて、誰かの暮らしを感じさせる写真はすごいなと思った。

他の写真家の作品も、色んな都市や人の写真でバリエーションに富んでいた。
上空からの俯瞰の写真を複数切り貼りして都市全体の様子を表した作品や、切り絵のように加工した写真のレイヤーをいくつか重ねた奥行きのある作品があったりと、写真の新しい可能性みたいなものを感じておもしろかった。

個人的に、一昔前のヤマンバギャルたちがどこかの駅構内とおぼしきロッカー前の地べたに座って、缶ビールで酒盛りしてる写真があってグッときた。

なにかこうして、誰かの暮らし・生きていた足あとみたいなものを切り取って、作品に保存する能力はうらやましいなと思った。文章でなんかできないものだろうか、なんてね。

その後ホットケーキの聖地を求めて街中を徘徊。
六本木から赤坂周辺まで歩き、「東京は坂の町」とタモリさんが興奮すると噂に聞く高低差を体感できておもしろかった。
たどり着いたホットケーキはバターの塩味が効いた極上のもの。浮ついたパンケーキ、みたいなチャラチャラしたやつとは違う、ベーシックなホットケーキ、という感じでよかった。
まあ個人的には浮ついたパンケーキも大好きなので問題なし。

お忍びでお買い物に来られたらしき某芸能人を目撃し、初めて体験した街中の遭遇に興奮しつつ、「下品に騒ぎ立てるようなダサい人間にはなりたくない…」という謎の自意識も発動したりして、勝手にモジモジするなどした。

ホットケーキの幸福な物質感を腹に感じながら、夕食のために運動しようと赤坂御用地あたりまでまた歩くことに。
お、豊川稲荷東京別院あんじゃん、ということで軽くお参り。おみくじなんかもたしなみつつ。

赤坂御用地の外周はやはり厳重な壁面が囲っており、その塀の中の、宮内庁に勤めるという人生について思いを馳せながら果てしない壁面を伝う。
四ツ谷駅も射程圏内に入ろうとするあたりで角を曲がると、中の様子を見通せる柵に切り替わり、広大な庭園と、わかりやすく西洋的で高貴な迎賓館が見えて興奮した。
庭園の一般見学の対象外の時期だったようで入れなかったが、外から見るだけでとても楽しかった。
敷地の端っこの先の土地には学習院の初等科があることもこの時知って、軽く興奮。

字面でしか認識していなかった概念を、実態として把握する時、とても興奮する性癖があるので、有名な地名や建物がたくさんある東京は本当に楽しい。しがみつきたい思いを新たにした。

と、ほぼ赤坂から四ツ谷まで歩き、非常にいい運動になった。
散歩最高。

ただ夜は最強中華をガッツリ食ったので、今日の収支はおそらく大幅プラス。デブ。最高。

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