「踊れない」ダンサーと「できない」子供たち パート6 ~コンテンポラリーダンスと発達障がいの狭間で~

<イメージの処方箋>

私は人に最初よく、こう言われる。「できそう」「上手そう」と。
そして最後にこう言われる。「できると思ってた」と。

幼くして「できない」を認めないと誓い、「できるフリ」だけがうまくなってしまった。
「できるフリ」で武装された私の「できない」は、発達障がいが“見えにくい”障がいであるのと同じように、人からはかなり“見えにくい”。
大人になるまで「できない」をこじらせてきた私の「できない」は、人からも、なんなら本人からも“見えにくく”なっていたのである。

ところが、ダンスと出会う事によって、私の「できない」わかりやすく露見した。
それによって「私はダンスが踊れない」という呪いにかかるわけだが、今思えば、その呪いのお陰で、様々な私の中の「できるフリ」が暴かれたと言ってもいい。
それはむしろ、いいことだったのだと、今では思う。

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