オンラインとオフラインの違い

 オンラインとオフラインの違いとはの続きです。 前回は教育効果とオンライン講義の組み立ての基本の話をしました。時間軸における同期・非同期と、場所における指定と自由で整理をしました。それぞれを自己都合・他者都合としたのは今回の話とつながりがあるが故です。

 今回は、講義の話の前に皆様になじみ深い仕事の話から入って講義の話につなげた方がいいかと思いましたので仕事関連の例から。

疫病禍は可視化

 今日起きていることは、今まで起きていたことを可視化して加速させている。駄目なことをさらに駄目にして、いいところをさらに伸ばしている、それが今日の疫病禍です。

 例えば、報連相=仕事を進める上では報告・連絡・相談が大事だと言っていた会社にはリモートワークなどできません。

 福沢先生は「すべて事の極端を想像して覚悟を定め、マサカのときに狼狽せぬように後悔せぬようにとばかり考えています。」と「事をなすに極端を想像す」大事さをおっしゃっています。そうすると、マニュアル書の作成に携わった人ならピンと来るはずですが、報連相が必要な業務は指示・仕様に不備があるということに直ぐに気づくはずです。そもそもの考え方が誤っているところに、報告・連絡・相談の回路が遮断された。故に、崩壊した。ただそれだけなのです。ただ、これがあちらこちらで発生している。

高校野球は部活が消えたら実力が上がった

 前回HBSの教員向け講義で運動を例に、疲労感じるまでやらないことと休息の重要性を昔の運動の例がでた話をしました。日本では、高校野球において疫病禍で部活と試合が消えたら球速が速くなったのです。

 この変化はコロナ禍によって起きたものだが、実際はそれ以前から必要とされていたものであるということを忘れてはならない。

 必要かどうかがわからない出勤やミーティングに違和感を覚えながらも、慣例や習慣を変えられずにいたサラリーマンも多かっただろう。しかしパンデミックの時代に、それらの慣習は大きな曲がり角を迎えた。

 無駄なことを排除して、新しい基準を作り上げる。野球界も同じである。

疫病禍前から無理なところには無理だった

 リモートワークで今日起きていることは既に昨年に指摘されていました。「利用が進まないのは本人より上司が積極的に認めようとしない雰囲気もあります。上司にとっては部下が見えないところで仕事をしているのが不安なのです。face to faceのコミュニケーションがなくなることが不安でしょうがない。 在宅で仕事ができるのはわかっていても、自分の視野から消えるのが怖いと感じている上司が多いのが実態です」と。

 履修主義の教育システム=出席重視でその価値観である限りは上記の指摘は当然です。しかし、根が深いのはそれがあることに無自覚なことです。その一つが単純な原則に気づいていないからです。

現に「今後問題化しそうなのが、テレワーク中にあまりにも過度な報告や連絡などを強制して部下を疲弊させる、一部の“拘束系上司”のケースだ。目の前から部下のいなくなった上司が、彼らを管理できなくなる恐怖からだという……。」という問題や、「にわか仕込みのテレワークだけに、悪気なく「禁じ手」を繰り出す上司が少なくない。」と問題が数々指摘されています。

場所ありきの問題ではない

 全てが可視化され全てが見えなくなる。これがオンラインの世界なのです。その理由は全ての体験価値がユーザー側で掌握されるからなのです。このことを体験によりいち早く気づき、適応した学校があります。

この「対面学習(Face to Face)の教育から、学びのSide by Sideへ」はUXの移行を端的に表現しています。

若い人は素晴らしい

 学生さんはUXがユーザー側にシフトするのが本質なので身の回りを整えようから始まる動画を作成しています。今時の学生さんは素晴らしいですね。ちゃんと何がどう違うのかを把握することから始めています。「オンラインだと駄目だ」オッサンとは偉い違いですね。

OMOのUXデザイナー不在の大企業

 ニューノーマルを握るのは、場所ありきの問題ではありません。出社か在宅か。対面講義か登校かではないのです。その鍵はOMOなのです。

OMO(Online Merges with Offline)とはご存じの通りKai Fu Lee博士が2017年に提唱した概念ですが3年を経るとこの概念も深化しています。

 当初は「最後の例は教育です。中国で非常に人気のある言語学習では、ネイティブスピーカーがリモートで講義を行い、地元のアシスタントが雰囲気を楽しく保ち、自律ソフトウェアが発音を修正し、自律ハードウェアグレーディングの宿題とテストを組み合わせます。VIPKID、Boxfish、Septnetへの投資により、すでに中国の学校やトレーニングセンターに機能が組み込まれています。」というものでした。

 これが今日ではちょっと前に流行ったDX議論のような、どこをデジタル化するのかではなく、デジタルが基本で現実世界をどのようにデジタル様式に書き換えるのかなのです。

 しかるに、未だにネット上とネット以外の垣根を超えたマーケティング概念でどう混合させていくのか接続するのかでしか議論されていないのは残念です。

 中原淳先生が、オンライン研修をデザインするとは「決める・わける・つなげる・お土産化する」である!?と指摘しているのはOMO概念に基づいて、オンライン様式で現実社会の研修を編集し直すことであると言えます。

 このことが分からない人々が、リモートワークになった途端、移動がない分、次々に会議を詰め込まれて疲れるという働き方とか、「あなたの組織には「元に戻しましょうオバケ」が出現していませんか?」問題とか、押印出社問題とか、「あなたの会社には「出社する人が一軍、リモートワーク組は二軍」という分断が生まれていませんか?」等々の問題を引き起こしているのです。

 このような残念な人々を上記の動画と対比させて図にしてみました。

オンライン オフライン 相互作用図

 このような右側の世界観の方にはコミュニケーションがとりづらいとなってしまっているのでしょう。

OMOを実現した会社では

 HBS20200715にマイクロソフト社で何が起きたのかが報告されています。「リモートワークになってから、個々の会議の時間は減っている。30分以下の会議が22%増え、1時間以上の会議は11%減少した」と。これは前回話したリモート時の集中問題対応ですね。そして、出勤が消えたので、「ほとんどのチームは、会議を午前8時から午前11時の時間帯から午後3時から午後6時の時間帯にシフトしました。」と。

OMOで行うことは、UXの再設計

 対面でないとコミュニケーションがとれない問題は、元々とれていない。学生の反応を見たいと講義ができない問題は、元々教育設計と学習契約が成立していないのが疫病禍で可視化されただけ。

 その対応としてUXをどう設計するのかが大事だと今回は話しました。

積み残し課題は、また次回話をしたいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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