国内大学で英語で講義って本気ですか?
英語で講義って本気ですか?
いや~。。。日本の大学の学部の講義で経営戦略とかマーケティング戦略とかの講義を英語でという話を聞いて腰が抜ける位おったまげることがありました。「ひょっとしたらこれって紺屋の白袴テストなのか?」とも。なぜ、日本の大学で、日本語を母語としている教員が英語で講義を行って競争優位性・市場優位性がどこにあるのか皆目見当もつかないからです。
オンライン化でなんちゃってが淘汰される時代
京都大学の出口教授はオンラインで一般公開講義の後に
とおっしゃっています。
特定の大学に所属する意味や価値を再考せざるを得ない
なんて正鵠を射たお言葉なのでしょう。
本家本元から学びますってオンラインの時代ですから。
なんで、日本の大学で英語で講義なのか理由を聞いてみてさらに腰が抜けるほど驚きました。留学する学生の準備と、日本に留学する学生を増やすため。本気なのですか?
例えばこのYouTubeのように起業家精神について学びたかったらMITの教授から直接学びますって。その方が実際に現地に行ったときの練習にもなるし本家本元から直接かつ無料で学べるのですから。
これYouTubeだけでも設定変えれば自動翻訳の日本語字幕でますし、MITのサイトから受講すれば教授の話した言葉は全てテキスト情報化されているのでコピペしてDeepLに入れればほぼ完璧な日本語に翻訳されます。
カタカナ消したら何も残らない話は???
疫病禍前から学生には、先生の話を聞くときに「カタカナがでてきたらマジックで消しなさい」と指導していました。なんとならば受け売りであってオリジナルでないからです。例えば、クレイトン・クリステンセンの破壊的イノベーションの構造であるパラダイム破壊型イノベーションを・・・なら、*******の破壊的*****の構造である****破壊型*****を・・・となります。学生の反応は「何もご自身の研究はないのですね。」そうなると受け売り先生がカタカナ英語で話すより最近の学生はcourseraやMITOCW等々の各大学が提供する本家本元から直接学ぶのです。そもそも破壊型と翻訳している段階で意味を理解していないのですから。
グローバル化とは、単なる「英語化」ではありません。
オックスフォード大学の苅谷剛彦教授は大変重要な指摘を2016年にはされています。
「世界ランキング100位以内を目指すトップ型の大学でさえ、約4割が外国での教育・研究歴が1年以上3年未満の日本人教員でした。その程度で英語で高度な内容を教え、学生同士の議論を裁けるでしょうか。
オリジナリティのない授業を海外から留学してまで聴きに来ますか?来るとしたら何故なのでしょう。
内容のなさもさることながらもっと深刻な問題があるのです。
学生の人生に原爆が墜ちたら英語で講義の教員は責任をとるのでしょうか?
同時通訳者の鳥飼久美子先生の御著書には大変重要な指摘があります。
金井先生のご指摘もそうなのですが、この話をするとキョトンとする英語で授業を行っている大学の先生がいるので驚きました。つまり鈴木大拙先生の御著書すら読んだことがない。ちゃんと有り難うは基教では****と書いておられます。それどころかその鈴木大拙先生ですら『臨済録』は英語に翻訳できないと。
レイク氏の日本語を目を閉じて聞いていると日本語を母語とする人だと思います。それくらい堪能だからこそ母語以外で考えることの怖さをしりつくしていて「各国により法律が異なり文化が異なる。保険業という人の人生を預かっているから心情を理解する必要があり英語能力は一切要求しない」と。言語と思考は不可分であるという国際感覚に秀でた経営者ならでは。
終身雇用概念は誤訳です。この日本語誤訳に引きずられた思考の誤り。
日本の大学は無反省なのでしょうか?
慶應義塾大学湘南藤沢の悲劇
英語だけで講義をおこなうプログラムを始めた大学で留学生からでたクレームが正鵠を射ています。「GIGA生が抱えている不満にはさまざまなものがあるが、その中でも多いのが「教員の英語が聞き取れない」ということだ。」。この問題は、相当根が深いらしく、「SFCにはGIGAプログラムという英語で全ての卒業単位が取得できるコースが存在する。しかし、そのプログラムは多くの問題を抱えており、主に日本語を母語としない学生によってGIGA生が権利を主張するための学生団体を設立しようとする動きが先学期あった。それほどまでに学生の不満が高まっているのだ。」と学生団体が結集されるまでになったようです。が、センスが良いなと思うのは学生さんの「外国人学生だけについて言及したいなら、Foreign Studentsと呼べばいい。私たちがInternational (注: ここでは「国を超える」の意)という言葉を使うとき、それは外国人学生だけではなく日本人学生も含めたものになる」という語学感覚。
それにしてもこれは上記の通りオックスフォード大学苅谷剛彦教授がごしてきの通りのことが起きてしまった感が拭えません。
しかし、実はもっと根が深いのです。
言語によって思考が変わる
実は言語によって思考が変わるのです。例えば、風船を膨らませて口を手放したら風船が空に飛んでいきました。そうしたら急に速度が速くなりました。その理由は?と聞かれたらどう答えるでしょうか?もし、風が吹いたからと答えたならそのまま英語にしても通じません。何故ならばそう考えないので、うまくいって不思議な考えの人だ。多様性に寛容でなければ意味不明の講義をしているとなってしまいます。「物は気によって左右されている」と英語で講義をしたら最後、意味不明のことを言うやつ・・・次の動画10分程ですから全部を見た方がいいと思います。
この動画の背景にはちゃんとした認知科学や大脳生理学等々の科学的論文が存在します。さらに・・・
使う言語で性格が変わりものの見え方が変わる
よく目的を明確にしろという方が日本で増えてきましたがこれは英語圏でしか通用しない考え方なのです。ドイツ語圏でも通用しません。
「英語を使う人は、曖昧な行動と目的を欠く行為を結びつけることがより多かったが、ドイツ語を使う人はその逆だったのだ。」
最近嫌な感じがするのは、「英語で思考すると論理的になりよりリスクテイクができる決定ができる」と耳にすることがあるのですがそれは単に言語の文法構造に引きずられた思考になってしまっているということだけなのです。加えて共同体と切り離されるので無責任になれると。
英語の辞書に載る日本語が増えてきた
古くから Kaizen(改善)、Keiretsu(系列) などがOEDなど権威ある辞書に採択されました。最近ではKaroshi(過労死)が掲載され話題になりましたね。これらは英語圏にはない概念なので。さらに在日英国大使館の英語の日本渡航者情報には、日本の公共交通機関ではChikanという犯罪に会うことが多いから注意するようにとの表示があります。これも英語にならないのです。他にも藤原教授の英語のはなし第11弾「英語になった日本語」(PDF)やNEWSWEEK に現れた日本語の分折(PDF)なども英語には翻訳できない概念なのです。
誤訳という原爆誤爆
かつて、lifetime commitmentを終身雇用と誤訳し研究者のみならず一般社会に原爆を落としてしまい誤った歴史(なんか未だに「日本の終身雇用制度は」とかいう人をみるとメガトン級破壊)は研究者としてやってはいけないことのはずです。というのもアベグレン先生がお亡くなりになる直前の一年間アベグレン先生のこの誤訳に関する悔しい思いを直接私は伺ったのです。
そうするとオックスフォード大学苅谷剛彦教授のご指摘の通り「その程度で英語で高度な内容を教え、学生同士の議論を裁けるでしょうか。」と問われると私に英語の講義などできませんとお断りするのが職業倫理に適うというものですし、もっと丁寧に学生さんに接するとすると聞きたい内容を聞いてcorseraのコースを紹介するのが真の教授のあり方であると思います。
競争劣位を招く深刻な問題
そうえば・・・数年前ですがとっても有名な方々が集うサマーセミナーを開催されていた某国立大学の教授の院生さんが「最近真夜中に研究室から英語が聞こえてくるので最近英語の勉強に没頭されているようです」と懇親会の呑み話で聞いたことがありました。その時は国際学会で発表でもするのかな?と軽くエピソードとして聞いていたのですが・・・
この教授別の国立大学に移ったのですが一部国立大学では最近英語で講義ができる証明としてTOEICの得点証明などを求めているとか。これはオックスフォード大学苅谷剛彦教授のご指摘からも馬鹿げているのです。
私の研究分野である法律は外国語にならないのです。例えば著作権法は、ある国ではコピーして利用する法だし、ある国では出版社の権利法だし、ある国では著作者の権利を護る法なのです。
そもそもの問題に戻るとこの超一流の先生の研究時間を英語の証明書の得点獲得の時間に浪費させている。そして分野によっては英語で講義したからと言って国際競争力にならない分野も存在する。
一方英語で国際競争になる分野では独自性が厳しく問われる。
英語による講義で留学準備や留学生増えますか?
留学準備ならcourseraなどのコースの方が適切です。例えば私の好みですが、疫病禍のご時世ですからImperial College LondonのGMPHは授業料数百万円払っても良いかな?って感じです。
留学生を増やすならcourseraで講義を全世界に配信した方がいい。そのときには使用言語での論理一貫性と言語力が問われるのは言うまでもありません。さらに比較優位性の源泉となるのは論文や研究の独自性です。そちらに時間をかけて母語で講義をして自動翻訳を付けた方がいいのは京都大学の出口教授のご指摘の通りだと思います。例えば、実際に私が受講している、Johns Hopkins University. Inclusive Online Teaching Teach-Outは日本の教育学教授法にはない視点を提供しているので学んでいて楽しいですし、ここで獲得したことは今後教壇で活かしたいと思います。これ、無料のコース登録で無料で受けてますが受講証明とっても1万円なので修了したら証明書もらおうかな(笑)とも思いますし教育学が専門なら現地まで出向きたくなりますね。昔デンマークまで出向いてKAOSPILOTのコースを受けに行ったときのように。留学は言語で選んでいるのではなく教育内容なのですから。
コンピューターサイエンスを英語で学ぶなら、MIT,やstanfordの方がよくないですか?Stanford大学のComputer Science MS Degreeもオンラインで格安で取得できます。なぜ、母語が日本語の教員が行う講義に時間をかけなければならないのでしょか。
戦略とは
字義通り、戦闘を省略することです。孫子曰く「戦わずして勝つべし」。その一丁目Ⅰ番地は無駄なことをしないことです。戦力は温存しろ。
で、以上の観点から、日本の大学で日本語を母語とする人が英語で講義をしている意味とは何なのでしょう?私の出身大学には分野の一流教授が日本の研究を日々研鑽し海外から欧米アジアを問わず留学生が集っていました。無論講義は日本語で。その母校では今日でも英語による講義は開講していないようですが。当時からその国にない概念は留学生からかなり聞かれました。例えば「卸売業のような何の付加価値も生んでいない中抜きがなぜ日本では存在できるのか」と。ちゃんと説明しておきましたよ。その理由を。
職業倫理としても学生さんには本家本元を紹介するのが誠意でしょう。
そして、今後国内のなんちゃって英語授業は淘汰の波に曝される。
出口教授のご指摘の通り。苅谷教授ご指摘の通り。
なのに、日本国内の大学でわざわざ英語で講義をするのには私が気づいていない理由があると思うのです。ご存じの方おられましたら教えてください。お願い申し上げます。
何でこんなことを急に書いたのか?ですか・・・
実は今ボランティアで国際的なオンラインイベントのお手伝いをしていて、そこではオンライン同時通訳者のお手伝いと、全体の運営のお手伝いをしているのです。
今朝の打ち合わせで、日本の伝統文化の職分さんでかつ甲骨文字に遡って中国思想を語ることのできる登壇者の方からのご依頼が、「禅の思想に則って目的を定めない対談を行います」という趣旨をご理解いただいたありがたい一言に加えて「禅の思想と日本文化を語るので、同時通訳者の方には事前に鈴木大拙先生の御著書を読んで訳語に備えてください」と。
異文化理解・異文化コミュニケーションに長けた方は同時通訳の方への心配りも忘れない。
いや~~~今夜同時通訳の方とのオンラインミーティングなので、一気に刺激されましたWWW
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