見出し画像

「花屋日記」36. 一流デザイナーは、その時こう言った。

 好きなことを仕事にしているとオン・オフの区別があまりない。私は相変わらず休日でも、花のレッスンを受けたり、他の花屋を見に行ったりしていた。その日ひさしぶりに訪れたのは、ある有名なフラワーデザイナーのデモンストレーション。ホテルで開催されるイベントなので、まるで大御所シンガーのディナーショーのような雰囲気だ(もちろんそれなりのお値段がするので、特別に興味のあるときしか、こういった催しには参加できない)。

 イベントの最後には、本人が作ったばかりの作品を抽選でもらえるのが「お約束」なので、全国の熱き「お花ファン」たちがその日も大勢集っていた。こういうとき、花はある種の場所では、立派なサロン文化なのだと実感する。

 会場にはたくさんの花桶が準備してあり、すでに結婚披露宴のような華やかさだ。やがてそのフラワーデザイナーが現れ、ブーケやアレンジメントを次々と作り上げると、観客たちは夢中でそれを見つめ、写真におさめた。あれほど迷いなく、素早くブーケが組めるなんて信じられない。本当に神業のようだった。

 あんな高価な花材はうちの店では仕入れられないし、あんな色を多くミックスさせたら店長は怒るだろう。実際に店頭では実現できないような大胆なデザインばかりだったが、それでも見にきてよかったと思った。一流のものを知らなくては、自分がどんな立ち位置にいるのかさえ学ぶことができない。一介の「街のお花屋さん」である私も、その上にどんな世界があるのかを知りたかった。それはレディ・トゥ・ウェアの上に、オートクチュールが君臨するようなものだと思う。

 とくに印象的だったのは、デモンストレーションの後の質疑応答だ。会場からの質問にそのフラワーデザイナーはこんなふうに答えた。

「どんなふうに花材を選んでいますか?」
「好きな花しか選びません」

「フラワーアレンジメントを学ぶ上で一番大切なことは何ですか?」
「花は生きている、ということです」

 それはものすごくシンプルでまっとうな回答だった。そして会社の実践的な研修では決して学べない、一番大切な原点だとも思えた。
 花もファッションも、自分が好きなものを生業にしているからこそ、同じようにそれを愛している人たちの気持ちや期待を裏切ってはいけない。「ちゃんとしなきゃ」とあらためて思った。ちゃんと、愛そう。私の仕事を。

 その日、残念ながらその方が作ったブーケの抽選には当たらなかった。でも何よりも大事な学びを、私は持ち帰れた気がする。

すべての記事は無料で公開中です。もしお気に召していただけたら、投げ銭、大歓迎です。皆様のあたたかいサポート、感謝申し上げます。創作活動の励みになります。