「花屋日記」45. 私は、花を失わない。
毎朝、大量の下処理をすると、葉っぱや花びら、短くカットした茎などで足元は床が見えなくなるほど埋まっていく。もちろんゴミ箱をセットした状態で作業を始めるのだが、ナイフで切り取った枝や茎先が飛んでいってしまうので、どうしてもそんな風に溢れかえってしまうのだ。もしお客様がカウンターの中をご覧になったら、きっとそのぐちゃぐちゃさに驚かれると思う。
私も花屋に入ってその状態を初めて見たとき、そのエグさに衝撃を受けた。お稽古事として花に接するのとはまったく異なる「職業としての花屋体験」は、花の美しさだけでなく、醜さや生々しさも嫌というくらい私に見せてくれる。それは植物のリアルな匂いであり、命の滴りだった。
その一方で、お店に来てくれる子供がゴム編みのブレスレットを作ってくれたり、常連の奥様が「手が荒れるでしょうから」とハンドクリームを差し入れてくださったりと、そんなあたたかな日常もあって、私はそんなやりとりを通して初めて世界との「正しい」付き合い方を学んだ気がする。
もし新しい仕事に受かったら、私はもう二度と「こっち側」に立つこともないのだろうか?
ある晩、カウンターの片付けをしながら、ふとそんなことを思った。ここから見える景色、いいことも悪いことも含めて、私は手放せるのか。
私にとっての「花」とは、一体なんだったんだろう。花を通して知りたかったこと、追い求めたかったこと。そして今、守りたいもの。そのすべてが自分の中でぶつかり合っている。生ゴミが散乱したフロアと、まるで同じ状態だった。
後日、私はお花の先生のお宅へお邪魔した。パニエ(籠)のアレンジを教わりながら考えることは、自分がなぜ今の環境にこれ以上いられないのかということだった。すると先生が、唐突におっしゃった。
「ここにこのお花が入ったら気持ちいいんじゃないかな、って心が思うところに活けていくしかないと思うんですよね。型にはまらず、好きなように」
目の前のコンポジションについて言われたのは分かっていたが、どこかドキッとした。すべてを見透かされている気がした。
「すみません、なんかモヤモヤしてるのが花に出てますよね」
と謝ると、先生は微笑んで
「人間関係でも仕事でも、何をやってもうまくいかないことってありますから。そういうときって体調も悪くなっちゃうし」
とおっしゃった。なぜこんなにお見通しなのだろう。過労から鬱になって前職を辞めたことは、先生に話していない。そして今の職場を離れようか悩んでいることも。
「でもそんな時にね、お花が助けてくれるんですよ。カイリさんもそうだと思います。私もそうだったから」
その時に初めて気づいた。もし店を離れたとしても、花は私の人生に寄り添い続けるだろう。花を通じて知った世界は、きっとこれからも私を裏切らない。これはただの「仕事」ではないから、もうそれ以上の何かだから。
誰にも奪えないのだ、私がこれからどんな決断をしたとしても。
「...ありがとうございます」
私は顔を上げて先生に言った。
「そういうことを、ずっと知りたかった気がします」
未来図はいつまでも掴みきれない。でも一つの答えに、もうすぐ辿りつけそうな予感がした。
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