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1-2 選択の天秤(こころをつかむ診療術)
1-2 選択の天秤
このNoteの目的などは下記リンク"はじめに"を参照してください。
心理や感情に焦点を当てた診療に関する内容を題材にします。
今回は第2回として、人が気持ちを固めるとき、どのような力が作用するかについて考察します。
”はじめに”
1) 選択の天秤
人生は選択の連続である。
外来診療における簡単な例をとってみよう。外来に通院中の患者さんの診察時、検査データを見るとHbA1cがいつもより高く、血糖コントロールが悪くなっていた。話を聞いてみると、患者さんはこう言う。「つい、お菓子を食べすぎちゃって。お菓子をもらって、目の前にあるとね。」こんな経験はないだろうか?医者側ではなくても、つい食べてしまう側の人もいっぱいいるだろう。
こんな時、あなたが医者側であればどういうふうに返答するだろう。
「お菓子を食べると、血糖値は上がります。このままだと、あなたの合併症は進んでしまいますよ。お菓子は食べないでください。」
このような返答をしていないだろうか?ドラマのワンシーンでも言っていそうな台詞で、多くの医師がこのような対応をしているのではないかと思う。医師はどのような薬を選ぶべきか、どのような検査をすべきか、ということは入念に教わるが、どのように患者に説明するか、どのような言葉を選ぶかということは教わらない。外来診療における言葉の選び方を学ぶ機会はほとんどないし、これが正解と言われることもなく、言葉選びは医師個人個人の裁量に委ねられている。しかし、正解・不正解があるのであれば、私は上のような返答は不正解なのではないかと考えている。お菓子の食べ過ぎが、血糖値を悪くした要因だとすれば、お菓子を食べなくすることが治療になる。そういう意味では、上のセリフは正しいのだが、このセリフでは患者の行動変容は得られないと私は思う。「お菓子を食べると、血糖値は上がります。」という台詞に関して言えば、これは患者側もすでに知っているのではないだろうか。知っているからこそ、自分から申告しているわけではあり、患者側からすると新たな情報的価値はない。「このままだと、あなたの合併症は進んでしまいますよ」という台詞も、ネガティブな話で脅すような形になっている。そして、「食べないでください」と、命令するような形になっており、下手したら患者との信頼関係も崩しかねないとさえ思う。そして、患者が行動を変えられなかったら、患者の自己責任ということになるのだろうか?本当は、患者がもっと動きやすくなる説明の仕方があるのではないだろうか。
では、どのように説明すれば良いのだろうか?それを紐解くために、なぜ人はそれが将来的に不利益(血糖上昇、体重増加、合併症発症など)があると分かっていながら、「”つい”食べてしまうのか」を考えたい。食べることを選ぶのか、将来の合併症発症予防を天秤にかけて、目の前のお菓子を食べるか否かを決めていると例えてみる(図1)。今、目の前のお菓子を食べる方で得られる満足感などのメリットが、将来の合併症予防というメリットより上回ると感じれば、お菓子を食べることを人は選択する。
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2) 選択の天秤の実際
図1の天秤は実際的ではない。多くの人が、図2のようになっているように思う。
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支点が右に寄っているのである。これだとどうなるだろうか?
左(今)と右(将来)のメリットが同等の重さだったとすると、左側が下がる(選ばれる)。
ダニエル・カーネマンがノーベル経済学賞を受賞したことで有名な行動経済学でも同様のことが言われている。行動経済学とは、人間の意思決定は合理的なものではなく、さまざまな経験則やバイアスの影響を受けるという考えに則ったものである。行動経済学では、これを現在志向バイアスと呼ぶらしい。今10万円をもらえるのと、5年後に11万円をもらえるのであれば、今もらえる方を優先するというように、将来の大きな利益より現在の小さな利益を優先してしまう心理的な傾向である。
この傾向は、多くの人に当てはまり、医療の分野にも応用し得る。こうみると、先に述べた患者さんの「つい、食べてしまう」というのは決しておかしなことではない。多くの人に当てはまることなのである。
3) 天秤の支点は人それぞれ
確かに多いのは、上のようなパターンだが、診療をしていると、それ以外にもこの天秤は人によって様々であると感じる。反対に支点が左に寄りすぎている人もいる。例えば、毎日血糖測定を丁寧に行なって、血糖値が高いと普通の食事を食べず、空腹を我慢する人もたまに見る。少し血糖値が高くなると不安になる。診療でなくても、老後のための貯蓄が必要だと言って、旅行や外食は一切せず、今を楽しもうとしない人もいる。医療者も支点は左に寄りがちである。もちろん、その人の将来の合併症予防が重要であり、それが診療時の目標になる。ある程度は職業上やむを得ない。しかし、それを達成しようとして、患者を頑張らせすぎてやいないだろうか。患者がうまくいかないと叱責して、今の幸せを損なうようなことをしていないだろうか。将来の合併症予防のために、今苦しい思いをしていないか、今幸せに生きているかということがないがしろにされていないかにも注意を払う必要がある。すなわち、どちらに寄りすぎていても、幸福を損なう場合がある。その人が最大限幸せになれるように、バランスの取れた考え方をする必要がある。
4) どのようにバランスを取るか
では、どのようにバランスを取るか。「つい、食べ過ぎてしまう」という支点がやや右に寄っているような悩みを持つ患者にかけられる言葉を考えてみたい。
1. 右のおもり(合併症予防)を重くする
支点が右に寄っていたとしても、合併症予防の方を重くする手がある。それにより、天秤のバランスが取れる。すなわち、お菓子を食べる頻度は減る。おそらくほとんどの医者がこの手段を使っているのではないだろうか?下手をすると、この手段しか持ち合わせておらず、これ一辺倒になっている人もいるかもしれない。はじめに例を示した「このままだと合併症が進みますよ。」という台詞もこれに該当する。
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しかし、その台詞だと物足りない。あまりに楽観視している人やリスクを直視しない人には、右のおもりを大きくするために、時に合併症リスクを改めて説明する必要があるかもしれない。本当にそれで、その人の行動変容を促したいなら、臨場感を持って話した方が良い。脳梗塞のリスクを説明するときは、ただ「脳梗塞になりますよ」というのではない。私だったら次のようにする。
「脳梗塞というのは、脳を栄養する血管が詰まってしまうことです。例えば、右手を動かせ命令する脳の部分が詰まると、右手を動かせなくなります。言葉を喋るのに必要な部分が詰まると、言葉が喋れなくなったり、相手の言っていることがわからなくなります。こういうことが起きてしまうと、仕事ができなくなるかもしれない。もしかしたら家族に介助してもらわないといけなくなるかもしれない。それは、きっとあなたが今イメージしている自分の生活と違うものになってしまうかもしれない。でも、あなたの頑張りで、そういうリスクを減らし、防ぐこともまたできると思います。そのためにどういうことができるか一緒に考えましょう。」
初めの簡単な台詞より長くなり、もちろん時間はかかる。それでも、話すべき人には話さないといけない時もある。脳梗塞といっても、患者側はなんとなく怖い病気程度にしか思わず、イメージがつかないのである。そこは、脳梗塞の患者を勉強し、みたことがある医療者とのギャップは非常に大きい。疾患名だけでなく、それが何を意味するのか、その人にどのような影響をきたしうるのかを話して、初めて伝わる。
しかし、右のおもりを重くする方法として、合併症の話で不安を煽ることが唯一の方法ではない。もっとオススメがある。上では、"時には必要"と述べたが、ネガティブな話は時に人を遠ざけ、毎回言っても効果はない。それ一辺倒では良くない。将来のポジティブな話を増やすというのも手である。そのためには、その人がどのような好み・価値観を持っているのかを聞き出してあげる必要がある。例えば、今の楽しみが子供(孫)と野球をすることであれば、「その子が大きくなるのが楽しみですね。大きくなって野球で活躍する姿をしっかり見れるように、健康を維持したいですね。今あなたが頑張っているのは、まさしくその健康のための第一歩ですね」という形になる。若い人で、あまり将来のことを考えていなければ、欲しいものを聞いてみる。例えばゲーム好きであれば「そのゲームはこれくらいで買えるのですね。このお菓子を食べるのを我慢する代わりに、同じ値段分、貯金箱にお金を貯めるというのはどうでしょう。そして、お金が貯まったら、欲しいゲームが買える」という具合になる。ネガティブなものから逃げる目標では力が湧かない人も、ポジティブな目標にすり替えてあげることで、時に力を発揮する。さらには、お菓子を我慢するという苦痛が、将来のポジティブな目標のための努力という楽しみにすら変わる場合がある。
2. 左のおもり(お菓子を食べる)を軽くする
バランスを取るには、左のおもりを軽くする方法だってある。
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「お菓子は普段家のどこに置いているのですか?」と聞いて、「机の上のカゴにいつも…」ということであれば、棚の中にしまってみることをお勧めしてみる。目の前に見える状態にあると、左のおもりは大きくなる。そこまで食べたくなくても"つい"食べてしまうのである。
「どういうものを買っているのですか?」と聞いてみてもいい。「ポテトチップスの大きい袋を…」というのであれば、買うのであれば小分けの袋にするようにしてみる。開けたら1袋食べていた人が、小さいものになる。
ご飯を食べすぎるというのであれば、ご飯を炊く量を聞いてみて、今度から何合炊くか、炊飯器の横に決めたルールを貼っておくでもいい。
「日によってときどきで、、あれば食べちゃいます」という人は、写真に撮ったり、メモしたり、間食した時は記録をつけるというのも効果的である。
具体例を列挙してみたが、間食などほぼ無意識的に行っている行為・行動はその前段階で決着している場合がある。ご飯を食べる量は炊く量によって大体決まるし、お菓子を食べるのは、買う段階や家での置き方ですでに決まっている。「食べないでください」と言っても、効果は薄い。食べてしまった後で後悔の念を多少増やすだけである。そうしているシステムを見つけ出し、それを変えることで劇的に変わる場合もある。
3. 支点の位置(価値観)を変える
より究極的には、支点の位置を変えることも、バランスを取ることにつながる。支点の位置は、言わば価値観や考え方である。
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今の楽しみを優先してしまう人であれば、それを指摘する。反対に、将来のために、今の楽しみを蔑ろにしているのであれば、それを指摘する。このような天秤を図示してもよい。
「あなたは、つい目の前にあると将来のことを優先してしまうようです。それはあなただけではなく、多くの人がそうです。お菓子を食べようとする前に一回立ち止まって考え、将来のことを考えてみるのも良いかもしれません。お菓子をたまに食べるのも悪いことではないと思います。ただ、将来あなたはこういうことをしたいと考えているのであれば、一度立ち止まって、そちらを優先できるように考えてみるのも良いかもしれません。」
伝え方に決まったものはない。糖尿病が治療の進歩によりなくなったとしても、偏った考え方が続いていると、その人は幸せになれないかもしれない。一度、その人の人生の幸せはどこにあるのか考えてみても良いと思う。多くの人が意識せずに過ごしている。バランスの取れる考え方や価値観を身につけることで、疾患とは関係のないところでも幸せにつながると思う。このように疾患とうまく付き合う方法や考え方の姿勢が身につけば、いかにして困難と向き合い、乗り越えるかまで変わり得る。
5) まとめ
どのように気持ちが決まるかを天秤に例えて考察してみた。具体例をいくつか挙げてみたが、アイデアは無限にあっても良いと思う。私が挙げたバランスの取り方のポイントを簡単にまとめてみる。
1. 将来(右)のおもりを重くする
合併症の話をする(するならイメージがつくように臨場感を持って説明する)
将来のポジティブな目標を探す
2. 今(左)のおもりを軽くする
目の前に置かないなど、なぜそうなってしまうかのシステムにアプローチする
3. 支点の位置を変える
思考の癖を見抜き、バランスの取れた考え方に変えていく
"ついお菓子を食べてしまう"というどこの診察室でも起こり得る簡単な例をとってみた。こうしてみると、安直に「合併症が進みますよ」という脅し以外に、いくらでも方法があることがわかる。こころの構造を理解し、その上で、選ぶ言葉が変わってくる。どこのガイドラインにも載っていないし、載らないと思うが、患者と良好な関係を構築し、医師としての引き出しの多さにはつながるようにも思う。このようなものが、私の考える「こころをつかむ診療術」の一端であるである。