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お金を、もっと自由に。お金から、もっと自由に。【株式会社Kyash 代表取締役社長 鷹取真一インタビュー】

株式会社Kyash 代表取締役社長 鷹取真一。
大阪で生まれ、名古屋で育つ。東京の大学を卒業し、新卒で三井住友銀行に入行。コンサルティングファームに転職し、DXを中心としたBtoCの施策に携わる。2015年1月、創業。Kyashが目指すのは、人々のライフスタイルに寄り添いながら、人々の価値観や思いが自由に届けられる「新しいお金の文化」を創造すること。

2011年3月11日、東日本大震災が起きました。この日は、三井住友銀行の本店で仕事をしていました。本当にもどかしい一日だった。日本中の誰もが「なにか自分にできることがないか」と感じたあの日、私は銀行の存在意義について、ひとつの疑問を抱きました。

「日本のお金の構造」への疑問

大学で東京に来て、新卒で三井住友銀行に入行。ここでは、5年間、いろいろなことを経験させてもらいました。最初の2年間は法人営業、その後の3年間は国際部門。海外の拠点を作ったり、銀行自体の事業拡大について企画をしたりする部署です。そのころ、トルコのイスタンブールやタイのチョンブリー、コロンビアのボゴタなどに拠点を作りました。銀行業務の内容は、現地の規制に応じて範囲が決まってくるのですが、「銀行」と一口に言っても、日本の銀行業とは業務範囲が大きく異なるわけです。
たとえば、日本では、「A社の株を買いたい」と思ったら証券会社に行くのが一般的です。銀行は個別企業の株式を直接販売できませんから。でも国や規制が変われば、この常識も変わります。南米では株を売るのは銀行の業務です。また、北米ではクレジットカードの発行をカード会社ではなく、銀行の一部門が行うケースが多いです。
こうした「在り方の違い」に触れながら、翻って日本をみたときに、その構造に対して疑問を持つようになりました。ただ、この時点で明確に「これを解決しよう」と起業を決意した、というわけではなく、さまざまなインスピレーションを得られた、という感じです。

お金が動くと、お金が目減りしていく

東日本大震災が起きたあの瞬間、日本中の誰もが「なにか支援したい」という気持ちを持っていたと思うんです。そんななか、テレビをつけると銀行が募金を募っていました。でも、100円を送金しようと思っても、手数料が300円かかるんです。届けたい金額よりも、お金を移動させるコストの方が高い。お金が動く場所で、お金が目減りしていく。
この不合理はなんなんだろう、と思いました。「自分はなにができるか」を考えていたけれども、もしかして少額の価値を移動させるインフラは、大きな社会のお荷物になってしまっているのではないか。すごく悔しい思いでした。
もちろん、これは局所的な現象です。それでも、かつては先進的だったことが、重要すぎるがために抜本的な変革の機会を失ってきた、という事実はあると思っています。これからの20年、30年先まで日本が現存のシステムであり続けるところにワクワクは少ない。
職場では、お金を送る、価値を移動させていく仕組みに対する問題意識は生まれにくい状況でした。現在の「振り込み」の仕組みは、全ての銀行が使っているインフラですから、当然ですよね。一銀行が立ち上がったところで、各行にはそれぞれの優先度とミッションがあるため、インフラの次元で変革を考えることは、話が大きすぎるんですね。
じゃあそこに対して自分はなにができるのか、と問いかけましたが、当時はまだ「起業」と言う結論には至りませんでした。それが自身のライフミッションである、という感覚ではなかったんです。

当たり前を疑い、使命を見つける

大阪で生まれて、名古屋で育ちました。私の実家はホストファミリーの受け入れをしていたため、小学生の頃から留学生とともに過ごす時間が多くありました。当たり前だと思っていたことでも、文化や地域が変わればぜんぜん違う、ということを最初に教えてくれたのは彼らだったと思います。「どうして日本ではチップを渡さないの?」「いただきます、という言葉は誰に向かって言っているの?」こんな質問を正面から投げかけられることで、違いや構造に気付く視点を得られたのかもしれません。
実家は大阪で1世紀以上寿司屋を営んでいます。起業という視点では、寿司屋を創業した祖父の影響があると思います。創業時(120年前)の頃の寿司といえば、高級料理というよりは、ファーストフードのようなものだったようです。私自身も、この寿司を食べて育ってきましたし、この情熱を伴った寿司が純粋に笑顔を生み出すところを見てきました。だから、「自分にとっての寿司はなんだろう」ということを、朧げながらも小さな頃から意識していました。自分たちが信じるものを主体的に生み出し、それが社会から歓迎されたり、文化を作っていったりするのは、いいなあと。この経験はすごく大きいですね。

組み合わせて、最終的に出来上がるものがある

銀行からコンサルティングファームに転職してからは、2年弱ほどサンフランシスコと東京を行き来しながら働きました。銀行では「事業を支援する」ことの経験は積めますが、「事業を作る」こと自体は業務の範囲外です。でも、自分にはそれが必要だと思いました。事業を作り、経営していくことについて近しい業界で集中的に時間を作ろうと感じ、コンサルに行こうと決めました。自分に足りないものを埋めるため、という意識が大きかったです。
この決意について、銀行の大先輩から言われて、いまでも噛み締めている言葉があります。「お前は仕事をなめてる」と。「仕事っていうものは、自分が一番強みとしているものを磨き合って、それで生き残れるかの勝負。なのに、お前は弱みだと認識しているものを補強しようとしている。そんな甘いもんじゃない」。そう言われました。本当にそうだと思いました。
それでも、トライしたかったんですよね。
「自分の強みは持っている。それと組み合わせたら最終的に出来上がるものがある。そのために、ほかの能力をあるレベルまで上げたい」と。それで、「あまりうまく説明できませんが、行ってきます」と言って、送り出してもらいました。
そのときの先輩の言葉は、初心に帰る意味でも、いまでも思い出していますね。
コンサルティングファームに入ってからは、BtoCの施策に携わっていました。コンビニエンスストアや百貨店の業務をモバイル起点にデジタル化する、いまでいうDXです。これは生い立ちも影響していると思うのですが、BtoC領域は、お客さまの喜びや感動を直接感じられる近い場所にいられるので、本当にワクワクするんですよね。

寝ても覚めても情熱を持ち続けるために

2015年1月にKyashを創業しました。これは時代のタイミングも大きかったです。当時はようやくスマートフォンを人々が持ち始めた頃で、「業態が大きく変わる」という予兆がありました。いまではインターネットに常時接続しているライフスタイルは当たり前になりましたが、この頃は、顧客体験が変わっていく潮目でもありました。
「歩く郵便ポスト」とも例えられるスマートフォンをみんなが持ち始めている時代に、お金を送ること、価値が移動していくことを完全デジタル化できるはず、と。インターネットとスマートフォンによって、これまでとは全く違うレイヤーで価値の移動を実現できると考えたんですね。

創業にあたって、いくつかの事業アイデアを俎上に載せて検討しました。大事な要素は二つありました。一つは、消費者向け(ユーザーサービス)であること。そして、ライフスタイルサービスとして暮らしにポジティブな変化を生む事業であること。この二つは、自分が寝ても覚めても情熱を持ち続けるための要素として重要でした。
事業のコアを比べたときに、「あたらしい価値移動の仕組みを作りたい」というニッチな部分に情熱を感じるのは自分しかいないかもしれないと思いました。自分の使命を感じました。だから、これは自分でやろうと決めました。

Kyashが目指すもの|価値が巡っていく社会をつくるために

Kyashの面白いところは、「ビジネスの合理性」とは違うところにあるかもしれません。Kyashは、合理的で生産的なものだけが発展していけばいい、という資本主義的な考え方に対して疑問を投げかけるような要素も持っています。世の中を楽しくしているものは、ビジネスだけではない。芸術やスポーツや文化に触れて、生産性とは違う文脈で暮らしが豊かになっていきます。そういうものに対して価値が巡っていく社会を作るために、新しい価値移動の仕組みを生み出したい。だから、Kyashは文化とビジネスとが、それぞれの良さを高め合いながら共創していくための、ライフスタイルサービスなんです。

お金を「使ってしまった」という引き算の思考で捉えるのではなく、「お金を使ったから、こんな体験ができた」と足し算の考え方で生きていけるような社会に貢献していきたい。お金が暮らしと切り離されて存在する「金融サービス」ではなく、暮らしと表裏一体、むしろ暮らしそのものとして存在する。そんな未来を目指しています。

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