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あなたこそがクリエイター

音楽を聴きながら熱く書いたので
流しながらお読み頂ければ幸いです。
動画スワイプすると流しながら読めます。

note様には感謝をしている。
これだけの記事を書いても
広告一つつかない媒体はゼロといっていい

何よりも素敵なクリエイターさんが多い
だけどクリエイターの定義が
異なりはじめた最近

正直書けばスキが100はつくだろうと
思いあがって復帰した俺のスキは
50も危なかった

もちろんそれは数じゃないけど
久しく忘れていた読みに行く感覚
そうか。そんな思いだったのだな

えっ?小説書いてたの??
そんな鈍い感覚は怒られてもしかたない

凹んでいる俺に優しいコメントをくれる
その破壊力たるや尋常じゃない

クリエイターの定義が再び始まる
何でもかんでもフォローしたり
スキもないのにフォローしてきたり
何を読んだのだろう?と
フォローしかえして読んでもそういう人って
自分にスキをくれることもない

いいんだ
いいんだけど
お前が出した有料記事なんて買わないよ
誰お前??

そんな気持ちはある

だけどコメントをくれていて
その人のスタイルであまりスキを
あつめない人がいたとしても

いつもコメントくれてやりとりがあるなら
その人の記事が500円で出されたら買う
大切なのは箱じゃない中身なんだよ

奇麗な箱などつくたって意味はない
それから冒頭でnoteさんに感謝している
ことをわざわざ書いたのは

noteさんは最近ズレてる気がするんだよ
時代はまさにSDGs
再生可能で継続可能な社会を目指せばいい

けど。なんか違う気がしている
うまくいえないけど
noteがそこを一緒になって王道を歩むのは

寄り道こそ実は王道じゃないか?
そういう時代になるんじゃないか?
と思い始めている

先々noteという媒体がなくなっても
繋がっていける人たちがいるなら
構いやしない

書くことがクリエイターか?
描くことがクリエイターか?

心を動かす人がクリエイターなんだよ

感動はストレートな最短距離にはない
苦悩し、もがき、悩み、絶望しているのに
それでも前に進むときに現れる

今はまだテレビも終わってないから
誰かスターを推す推し活動もはやるけど
やがてすべてがクリエイターになるとき

素敵な記事をかけることは
武器になることはあっても
それだけのことだ。

あなたがクリエイターでいられる根拠は
継続して誰かとつきあっていける気持ちだろう
一緒に成長できる何かだろう

何を大切にして
何を価値基準にするかは
人それぞれにそれぞれに

だけど

クリエイターは才能じゃない
仲間を想い前を向き続ける努力

私の記事は読まれないから
私はクリエイターではないというなら
殴りつけてやる

誰かを想い優しいコメント1つつけたなら
あなたはクリエイターだろう
そんなことわざわざ言わせるなよ

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