読ませる行間
音楽を聴きながら書いたので
流しながら読んで頂けると幸いです。
だいたい俺はアホなので
音楽を聴きながら書いている時
雰囲気がまんま音楽に寄る
人様のプロフィール文章を見ると
たまに見かける5分で読めるとか
3分もあれば読めますとか
文字数でだいたい読める時間は決まるけど
知らない俺とあなたの距離は遠い
自分はこれでも経営者だから
培った感覚は人には時間があり
その時間を奪っていること
リモートワークがもてはやされる昨今
ずっと前からリモートワークな水道屋
朝、事務所に来させて
朝礼をするみたいなことは
馬鹿くさいんだよね
何故なら俺は眠っているし
仕事は24時間体制で
緊急で依頼が入れば対応するから
朝礼の概念もないけどね
一応休みと決めた日以外は
いつでも動けるようにしておけば
どこで何をしていても構わない
時間の概念はないけど
時間を奪う感覚は大切にしている
SNSに参加するとき
文章を書くとき
根底は読んでくれてありがとうだし
それは時間をかけてまで
読んでくれることが有難い
だから
ありがとうございます。
なんだよ。
ところで、俺の文章は
変な改行で構成されているよね
これは、昔、とあるサイトで
日記を書いていた時
プロフ確認するのにもお金のかかる
いかがわしいサイトで
デバイスだけを確認するために
300人くらいみたらガラケーが多くて
それではそれで読みやすくしようと思い
変えて文章を書いていたら
いつのまにかこのスタイルになった
スマホが見やすくなった今では
あまり意味は無いけどね。
読ませる文章とか言うけど
伝わるものは文章ではなくて
せめて読みやすくしたいという
そういう想いじゃないかな?
どれほど、素敵なカッコいいセリフでも
結局はそのセリフじゃない
誰が言ったということだと思うんだよね
それには認知が必要だし
それは相手を思い相手にも思われて
そして繋がった心で初めて響く
読まれると読まれることが当たり前になって
大切なことをわすれがちだけど
関係は常に対一で
書いた俺と読んでくれるあなた
少しでも何か気持ちを前に向かせてほしい
それは時間を頂いた俺なりの感謝の気持ち
文章を上手くなりたいのならば
磨くべきは感謝の気持ちだよね
読んでくれるのは当たり前じゃない
俺にもあなたにも3分でも
時間をくれることは本来は有難き事
奇跡かな
言いたいことを語れるのがSNS
書きたいことが書けるのがSNS
読み手は自由に選択できる世界でもある
必ず最後に読んでいただき
ありがとうございますと
書いている人を見ると
とても素敵だな思う
始めてみる俺の文章が長いと
きっと読まれないんだよね
それが正常の感覚だと思う
知ってくれているから時間をくれる
何を想い何を語り何を綴るも自由だけど
人の心はお願いでは動かない
人の心を動かすものは
思いやりに対する共鳴なんだよね
読まれたいではなくて
読んでくれて有難いになったら
あなたの言葉はきっと
光を帯びはじめる気がするけど
どうだろうか。
だけどそれは文章だけのことじゃない
どこかでしてもらえることが
当たり前になってないか?
ワンストップで感謝を思い出す
それだけでも人生は豊かになる
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