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note交流

音楽を聴きながら書いたので
流しながらお読み頂けたら幸いです。

好きに記事を書けと
感情をぶっ放せと
note王のような記事を書いたけど

実はあれこそ
スキが欲しくて寄せているんだよね
歯切れのよい記事はスキが付きやすい

強い言葉はなんだか
それに賛同しないと
置いていかれそうな感覚さえ
読んで下さる人には与えるからね

noteを始めて人様の記事を
読むことからはじめたとき
どこかの大学の人が感想もないままに
フォローだけお願いしますとか

あるいは素敵な記事ですね
今後楽しみにしてます。
フォローお願いします
とコメントは有難いけど

他の人の記事でもコピペされているのを
見て最初はその組織に違和感(笑)

今は偏見はなくなったけどね
まぁその2人はブロックしたけど(笑)

だけどブロックすることと
心底嫌いか?ということについては
イクオールではないんだよ

人の関係には時期やタイミングがある
それを縁と言う言葉でいうならば
俺とは縁が無かっただけで
きっと別の縁ができるだろうから

色々SNSを経験してきた俺からすれば
そのやりかたはきっと反感を買うし
長くは続かないような気がするけど

だからといって心底嫌いじゃないのは
必死だからさ

その点だけをみれば
間違っていると思うけど
何より、失敗したーと自覚したときは
それがどんなことでも
経験に昇華された瞬間だと思う

そこから得るものがあれば
論理的に失敗はないと思う

SNS素人ですと
挨拶文に書いている人もいる
経験値の差は確かにあるとは思う

スキやフォローのお礼を
相手の記事でするとき
それだけなのは失礼だと思うんだよね

そこは多くの人が見ている
記事主は対あなただけではないからね
コメントを必ず返す人なら
返答に困っているかもしれない

そういう視点がまだないというのは
やっぱり経験かな

俺はそれだけの人はブロックする
そこには気づいてほしい想いがある
俺と繋がれなかった代償に
次は別の誰かとうまくやればいい
(何様なのか俺は(笑))

その時は誰かに無礼でも
命を取ったり強盗したわけでもないから
気づけばどこかでまた繋がるかもしれない

人は皆成長する

なるべくその点で人を
心底嫌いにはならないんだよね
素直になれない時期もあれば
あの時無礼だったなと
後になって気づくときもある

俺といえば
常に反省の連続なんだよね
要するにそれだけ失敗している(笑)

誰かを嫌いになるより
なんとか好きになれるように
労力を傾けた時

きっと少しだけ
呼吸が楽になる社会がある

俺の目指すところのSNSは
間違えた時に真ん中に戻れるような
仲間に囲まれることだろうか

作家になりたいとか
画家になりたいとか
センスを頼りに何者かになれるかは
そのSNSの前に小さな事かな

信頼に足る人と
時に意見をぶつけ合って
時に笑い合って歩んでいきたい

それが心を強くするSNSだと思う

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