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本を咀嚼する秋【キッチン・ブルー】


久しぶりの読書。
すっかりなまってしまっただろうなぁ。
 
 
長編ものに手を伸ばすのは気後れしたのか、気が付いたらいくつかの「短編集」を手に取っていた。 
なまった全身の語感筋肉が、まずは短編でストレッチさせてくれと訴えたんだろう。


短編集はいい。 
いろんな世界を垣間見れる。
達成感と充実感を、1つずつ積み重ねていく感じ。

読むのが遅いくせにせっかちなわたしには、とても適していると思う。


*以下、わたしの備忘録なので、
 ネタバレの可能性あり。ご注意を。


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遠藤 彩見 『キッチン・ブルー』

美味しい生活を求めて奔走する男女6人。
複雑な味を知る大人のためのごはん小説。


◇食えない女
人前で食べられない、ということは、人付き合いとイベントに加われないということだ。誕生日、クリスマス、結婚式、デート、旅行、親戚付き合いも、食事抜きのものはありえない。
この十年間、ずっと一人で食事してた


たぶん、この主人公と「同じ事情」を抱えていなくても、いまのこの世の中に「同じ状況」の人はたくさんいるんだろうな。


人付き合い・イベント・社交、、、
人との出会いや交流と「食べること」はセットだった筈なのに、食事の場が制限されている現在、私たちは何をきっかけに、人を誘い、人と集まり、人との会話を繋ぐんだろう。


いまに限らずとも、もう何年も、ほとんどひとりで食事をしている人たちもたくさんいるんだろう。
会話のない食事。変化のない味わい。
胃袋は満たされても、心はそれで満たされるんだろうか。


だけど、好みや会話、気持ちの合わない人と食事を共にするよりは、ひとりで食べた方がマシって思うことはわたしにもたくさんあったしな


なのに灯は謝らなければならない。
 ・・・
謝られて仕方なさそうに笑う相手の顔は、いつも許してやる立場の傲慢さをたたえている。それを見るたびに、氷のかけらを飲み込んだような冷たさが体をよぎる。
たぶんその冷たさが、心の一部を次第に凍り付かせていったのだと思う。友人とも恋人とも、無理をしてまで付き合いたいと思わなくなった。


でも体は違う。どんなに好きな人といても、人はお腹が空いていれば幸せにはなれない。
食欲も性欲や睡眠欲と同じだ。隠したときに恥に変わる。コントロールできないことが醜いのだ。
一緒にいたい。これは理屈ではない。食欲と同じ、抗えない力だ。



◇さじかげん
すべて手作りの、おいしい一汁三菜。料理下手の沙代には、ハードルが高すぎる。

いや。特別料理下手でなくても、毎日3食すべて手作りは大変だと思う。。。


「配偶者とは、食事という人生最大の喜びを、一番数多く分かち合える存在である。って」



◇味気ない人生
ーそうだ。 
希穂は怒ることを選んだ。もっとおいしいものを探すよりも、目の前にある味気ないものを、口に詰め込み続けていたのだ。



◇七味さん
ライムグリーン、レモンイエロー、ショッキングピンク。亜熱帯のフルーツを思わせる、毒々しい色合いの看板が、びっしりと並んでいる。


「こわーい」と被害者面をすることで優位に立つ女に、どれだけ傷つけられてきただろう。
人付き合いが下手な人間が傷つかずに済むには、徹底的に受け身になればいい。ただひたすら、実が落ちてくるのを木の下で待つ。そうすれば、甘く熟した実だけを食べられる。
木の下で実が落ちてくるのを待てば、苦い思いをせずにすむ。でも空腹は満たされない。ひもじさはどんどん増していく。



◇キャバクラの台所
楽しさっていう味もあるんだよ。
受けるには与えること。



◇ままごと
空腹過ぎて、もう食欲も失せている。料理もおいしさのタイミングをとうに逸している。・・・サラダの野菜は瑞々しさを失い、ガラスの器の冷たさは、水滴となって側面を滑り落ちていく。いつも料理の一番おいしいところをいただくのは、健人ではなくカメラだ。
ままごとは、ただのままごとだ。その場限りの楽しみでしかない。食卓は違う。気持ちをやり取りして得るものは、未来へと続く糧なのだ。
起こることは食べ物。心を躍らせる美味も、顔を歪める苦味も、ともに囲む人たちと分かち合う。



食事ってやっぱり五感でしているものなんだなぁ 
五感で味わうから、心も満たされるんだなぁ 
五感でするから、その人の本性というか本能的部分も見えてくるんだなぁ


食の相性は大切って、よく聞くけど 
好き嫌いとか味付けの好みとかだけでなく、食べ方とか食べるときのシチュエーションみたいなものまで含まれてる気がする
 

「食べる」は毎日のことだから、些細なズレでも積み重なると膨大なストレスになっていく
 

だけど、いろんなことが便利になったこの世の中では、食事はお互い好きなものを好きな場所で楽しんで帰る、みたいな夫婦や家族もいるんだろうか? 
 
そうなると、家庭の味とかおふくろの味って言葉もいつかはなくなってしまうんだろうか?



なんかとりとめないけど、そんなことも考えた。


食べると生きるはセットなんだな。
食べると生きるは離れられない離せない。

ご支援、誠に感謝します♡♡♡