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2020年6月25日のことについて

この記事ではメンタルヘルス、自殺、等について扱います。
今現在希死念慮がある方、メンタル面で不調を抱える方はお読みにならない事を強く推奨致します。
また医学的見地に基づかない、実体験ベースの内容となるため決して真似をしない事を約束出来る方のみお進み下さい。
それでも記事にするのは自分の中で一区切りつけたいと思ったからであり自慢等の類いではありません事を先に記させて頂きます。
それでは

2018年5月頃より仕事に不調をきたすようになり、メンタルクリニックを受診し始め2年が経とうとしていた。
先が見えない苦しみに耐えかね酒と薬に溺れる日々。
週1・2回の通院以外、外にも出れず、繰り返しやってくる鬱の波に耐え忍ぶ
日々が続いていた。希死念慮、強烈な焦り、劣等感、社会から分断されて行く恐怖… 
5年付き合った彼女とも私が社会から分断されて行くにつれて関係が崩れていき私から別れを切り出し別離した。家族も疾病理解得られないと思い込み頼れる人もどんどんと減って行った。

2020年6月23日に通院し薬を受け取った記録がある。内容は下記の通り。1日分を記す。
炭酸リチウム200mg錠 2錠
ノリトレン錠25mg 3錠
クエチアピン錠12.5mg  2錠
クエチアピン錠25mg  1錠 
バルプロ酸ナトリウム徐放錠200mg 3錠
ブロチゾラムOD錠 0.25mg 2錠
(内科系を除く)
この他にストックというか飲み忘れた物などが多くあった。

希死念慮、簡単に言うと死にたい気持ちには波があって朝に酷い日があったり夜中突然襲ってきたりする。常に心のどこかにあるという場合もしばしば。それを酒やクリニックのナイトケアというサービスに行って看護師さんとお話しして誤魔化したりしていた。

2020年6月24火曜日
その時は一時休職のような扱いだった為別に休める環境ではあったのだけれど平日中日、やり場のない気持ちで溢れ返っていた。
もう昔の事だから1日の流れまでは覚えていないけれど、おおよそでは
7時頃 起床 嫌な気持ちになりながら二度寝
16時頃 起床 食事を買いにコンビニへ
20時頃 食事 
0時頃 飲酒 この頃から希死念慮が襲ってくるがそれを誤魔化す為更に飲酒。オーバードーズ(以後OD)を考え始める。
OD欲は希死念慮と共にやってくる。これで楽になれるんじゃないかとか、
一時でもどうにかなって今の自分から逃れらるのではないかとかとか…。
その日も酒でぐるぐるしながらそんなことを考えていた。
特に希死念慮が酷く明日が来ることへの恐怖に薬に手を出していた。
黙々とパックから薬を取り出した。何がどの程度入っているとかは考えていなかったように思う。家中の薬を集めて手のひらに広げた。山盛りだったがそれでも乗り切らない量だったように思う。

飲み干した。

ところで何を飲んだんだろうかと気になり始めた。日本調剤のお薬手帳アプリから検索した。上から順に検索をして行った結果とある薬の量がちょっとマズいという事がわかってきた。
死にたくてやってるんでしょと思われるかも知れないが、飲むという行為までは色々な気持ち一杯でやってしまうのだけどそのあと冷静になってしまうのだ。

夜中ではあったが通っているクリニックで特別によくしてくれいていた看護師さんへLINEを交換していた妹さん経由で飲んだ薬とその服用量をLINEで連絡した。
返事が返ってこなかったらそれまでだと思った。

流石に連絡は来なかった。
1時間くらい経った頃だっただろうか#7119へ連絡した。
死にたかった、消えたかった、逃げ出したかったはずなのに。

薬の種類と服薬量を伝えたところ、今すぐ119番へそのまま繋ぎますからそのまま待って下さいと言われた。119番へ繋がった。連携は流石で全部伝わっていて住所を聞かれそのまま待っていて下さいとの事だった。
私の家は大通り沿いなので困ることはないと思ったが、まだ気がはっきりしていた為、着替えていつものカメラバック(どこに行くにもこれ なんでも入っているので出かける際は必ず持ち歩く)を持って家の前で待った。

程なくしてサイレンの音と共に救急車がやって来た。
まだ意識状態、バイタル共に問題がなかった。
その為、搬送受け入れ先が一向に決まらない状態が続いた。
そこでどういう気持ちだったかわからないし凄く迷惑な話なのはわかっていたのだが写真を撮っていいか救急隊員の方へ聞いてみたところ快諾してくれた。その時に FUJIFILM Tiaraで撮ったのが以下の写真。

沢山の病院へ受け入れ要請をかけ続けて下さった隊員の方

結局搬送先が決まらず降りる事になった。
自宅待機かなと思っていたところ、薬物事案という事で警察が来て居た。警察官に一人じゃ危ないから警察署行こう!ね!?と言われ断る理由もなかった為パトカーに乗って500mくらい行った先の警察署へ着いた。

取調室のような所に入ったような記憶がある。
しつこく家族の連絡先は無いかと聞かれたが頼る事はしたくなかった為に無いの一点張りで通そうとしたが意識があやふやになってきてうっかり父の LINEがある事を言ってしまった。

こっからは周りの証言や断片的な記憶になる。
取調室で突如笑い出しその後意識がなくなった為救急要請された。
最寄りの大学病院へ搬送後胃洗浄が必要か判断する為胃カメラをした。
その時あまりの苦しさに悶えた記憶が一瞬ある。
その頃父が呼ばれ始発に乗って病院へ来てくれた(らしい)。

昼頃事態を聞きつけた看護師さんから連絡があった(これは後日照らし合わせた記憶)

次に記憶があるのは病院の受付で父と座っている時。
受付でもらった書類は以下の通り。

記憶と違うところもあるようだが何が本当なのかはわからない。


そこからまた飛んで次は帰りに京浜東北線に乗っている時。
父が冗談であまりにも普通に振舞って居た(らしい)私にいつも二人で飲んでた新橋の飲み屋に行くかと言い出したので行こうと言い飲みに行った。
父は叱る事も怒る事もなくただただ優しく話を聞いてくれた。

翌日父から薬はしばらく抜いて落ち着いて欲しいと言われ、父の家に居る事となった。
そこから5日間程魂が抜けたような生活をしていた。朝起きて気付いたら寝る時間だった。本当にソファーに座っているだけで何日もすぎて行った。

5日目、他の飲んでいた薬が体から抜け切って来て様子がおかしくなってきた。病院へ行って薬を貰わねばとなり、家を出た。

病院では改めて症状などを伝え最低限の薬でしばらく様子を見ましょうという事になった。


これが私が経験した自殺未遂である。
色々な人に迷惑をかけたと思うけれどその時はそうするしかなかったという気持ちが正直な所だ。
双極性障害の急性期はこのような事が起こる。もし周りにそういった人が居たら、やさしく見守り、時に話を聞いてあげて欲しい。
なぜ見守るのか、それは急性期には全てに絶望し話す力も残されていなかったりするからである。だから隣に居て見守って欲しいのだ。

この記事は随時加筆修正する事とします。今の所思い出せる事柄を時系列にまとめてみたという事で。

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