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留学も、人生も、旅館経営も「ハプニング」!IIBC Cafe Globe #7 谷口 優太さん

5月10日は第七回目のIIBC Cafe Globeでした。

Cafe Globeを開店することに至った背景はこちらのnoteを。

今回のゲスト

今回のゲストは谷口優太さん。通称せんとくんです。

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1993年、三重県鳥羽市生まれ。高校卒業後、「プロ野球選手になりたい」という思いから明治大学野球部の門を叩くも、右肘の靭帯断裂を経験し、早々に挫折。在学中は、宮城県での復興支援活動や高校生向け教育プログラムに関わった後に、米国・ワシントン大学に交換留学。
卒業後は、外資系旅行会社Expedia Inc.での法人営業、長野県小布施町で観光地域づくりに関わり、2018年に両親から旅館「扇芳閣」 を引き継ぐ。 5代目経営者として「世界中の子育て家族から、最も愛される旅館になる」をビジョンに掲げ、2019年にオランダのロッテルダム経営大学院に社会人留学を果たす。
大の野球好きで、尊敬する野球選手は川崎宗則、好きな映画は「マネーボール」。生まれ変わったときの将来の夢は、大谷翔平の通訳か、メジャーリーグのGM。好きな食べ物は、おにぎり。あだ名は、せんとくん。

せんとと私

大学時代の一番のライバルであり戦友である「せんとくん」をカフェにお呼びしました。当時はお互い教職を目指していて、英語の指導法の授業で初めて出会ってから、刺激を受け合う仲でした。社会人になってから一瞬一緒に働いたこともあります。
家業を継ぐことが決まっている中で自身のキャリアを考え、自分らしく活き活き過ごしていたせんと。今もとてもキラキラしています。正直(失礼ですが)、大学生時代は英語の話せるイメージが全くなかった彼が、アメリカに留学し、外資に就職し、そしてオランダにMBA留学をするという、とても羨ましいグローバルな生き方をしていて、彼の最近の考え方の変化などを聞いてみたい!と思い、カフェにお呼びしました。

今回のお茶

Cafe Globeでは、ゲストのゆかりのある「お茶」と、ナビゲーターの私がその時おすすめしたいと思った「お茶」を交換して、飲みながらお話をしています。

私がせんとに送ったのは、有機の知覧抹茶。第3回のゲストで世界一周をされた石井先生が、日本で一番行くべきところとして知覧の知覧特攻平和会館をおすすめしてくださったので、そこに行った時にお土産屋さんで店員さんに紹介してもらったものです。

一方せんとが私に送ってくれたのは、こちら。

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三重県は、鹿児島、静岡に次ぐお茶の生産地。一番有名な「かぶせ茶」を送ってもらいました。三重には伊勢神宮にお茶を奉納し、豊穣を願うという文化があるそうです。カフェ当日は暑かったので、私は水出しで飲みました。そして、「ダッチティー」と言われるオランダの紅茶「PICKWICK」のダッチブレンドという味。フルーティーな味で甘い食べ物と一緒にデザートとして飲んだり、アフタヌーンティーとして飲むのにおすすめだとか。留学中に出会って気に入ってたくさん買って持って帰ってきていたそう。調べてみたらAmazonで売ってました!笑 ラッピングをみるとエシカルなお茶と書いてあったので聞いてみると、オランダで販売されているものはこうした意識があるのが当たり前になっているそうです。


今回のカフェ。

ということで今回のカフェです。最初に自己紹介のスライドを用意してくれていました!

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なんで「せんとくん」なの?と聞いたら、「雰囲気が似てるから」だそう。他にもカビゴンとかドラえもんとか呼ばれていたとか…。本名の名前の通り「優しく体型も太く育ったね~」と周りに言われることも。

ツリーハウスを色々なところに作りたい、と話すと、栃木県の那須町にある非電化工房の敷地内にあるツリーハウスを紹介してくださった参加者さんが!(ありがとうございます!)

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生まれて高校までは三重県の鳥羽市に。伊勢神宮やミキモト真珠で有名な伊勢市のお隣の市。そして、彼は120年以上続く日本旅館の5代目の跡取りとして生まれ、その旅館で育った彼。お客さんが当たり前に沢山やってくるなかで、小学校4,5年生の頃からお手伝いをして育っていたそう。両親から跡を継いでねと言われたことはほとんどなく、おじいちゃんやおばあちゃん、地域の人から毎日言われていたので意識はしていたとか。そんなこともあり、当たり前に継ぐと感じていたのか、小学校6年生の卒業文集で「三重県に世界一のホテルを作ります」と書いていたそうです。

そんな彼は、小さいころから野球が大好き。県外にも出たことがない野球少年だったそう。大学も、明治大学に野球部で進学します。ん?野球「部」ってないよね?と聞いてみたところ、基本甲子園で成績を残していないと基本入れない「枠」だそうです。そこにたまたまラッキーで入れたせんとくん、入学すればプロに近づける、プロになりたい!と夢を抱いて上京します。しかし、そこで出会ったのは4年後にプロになるような人たち。「これは難しいな」と感じていた矢先、右ひじの靭帯を1年生の秋に負傷します。大学の監督にも「野球のプロにこだわらなくてもいろいろなキャリアがあるのでは」「今からリハビリして3,4年生の時にベンチ入りして活躍できる可能性は低い」とスパッと言われ、大きな挫折を経験します。1か月くらい部屋から出られなくなる経験もしたそう。美談にできないくらいに辛かったと。でもあるタイミングで前に歩み始めることを決め、模索を始めます。

ここが、海外にベクトルを変えていくきっかけだったそう。10年間でめちゃくちゃ進化したんですね!と参加者の方からコメントが。

「じゃあ、そこからどうやって海外に繋がったの?」という話を聞いてみる。するときっかけは教職課程。彼の母親が小学校の先生をしていたことがあり、教員が近い存在だったので社会の先生の免許をとろうと大学で履修していたせんとくん、基礎教育科目で受けた英語の授業でプレゼン力が高い人たちに出会い衝撃を受けたそう。キャプテンなどの経験もあり、自分はできる人だと天狗状態だったせんとくん。英語ができると自分が知らないことを知ることができるんだと思うと同時に、自分が到底及ばないと思う差を感じ、また挫折をしたそう。さらに、2011年入学で東日本大震災の影響で入学式がなかったせんとくん、パッションをもって打ち込んだ東北の復興支援で留学生と一緒にボランティア活動をし、英語(TOEIC300点レベル)が話せないけれどお互いに認め合える環境にいて、こうした外国の人たちと繋がりたいという想いが芽生えたそう。出会う人によって見える世界は違う。大学で出会った人がまた違う世界を観ていたから、せんとの視野は広がったんだろうな。

参加者の方から野球をしていて今の自分にプラスだったことはありますか、という質問をいただき、せんとが答えたのは「野球が好きになったこと」、そして、18年間ポジションがキャッチャーで色々な人を見れるポジション(マネージャーのような)だったことがあり「人を観察するようになったこと」の2つ。東北のボランティア活動でもマネージャーのような業務を受けたこともあり、英語ができなくても自分の居場所を作れたかもしれないなと。

そして、2014年、アメリカのシアトルにあるワシントン州立大学に交換留学。早速入国3日後にソフトボールチームのコーチにアポを取り、マネージャーとして活動したいことを片言の英語で直談判します。実質、スポーツ留学の始まりです。事前に日本にいる間にやり取りをしてもよかったけれど、どこの誰かも知らない日本の学生がいきなり連絡をするよりも、と直接対面をし、自分が18年野球をやってきたと信頼を獲得し、マネージャーのポジションを獲得。実際に活動していて、その実力を評価してもらえ、役割をもらえていけたそう。英語が話せなくても、言葉を使わないコミュニケーションは、スポーツには、というか野球にはあるのだなあ、ということを感じました。(ピッチャーとキャッチャーのやり取りの話とか、うまく文字化できないので是非YouTubeを笑 私はあさのあつこの「バッテリー」を思い出しました笑)遠征試合にもついていったりととても充実した経験をしていたせんとくん、カナダ経由で帰国した時、帰りたくない、と13時間のフライトのうち6時間泣いていたそうです。

そこで私は「帰国後、マネージャーのキャリアを歩もうとは思わなかったの?」と質問。実際にスポーツの選択肢と、心のどこかにいる観光や旅館の方向にかじを切りたいか考えるタイミングがあったそう。そこで、出会った人生の先輩から「否定できない人生(運命)を生きろ」「自分がこの世に生まれた意味・いる意味を受け入れるといい」とアドバイスをもらい、自分がこういう人間だと説明したいのは観光や旅館の方のキーワードだ、と見つけたせんとくんは、卒業後、なんと外資のエクスペディアに就職。エクスペディアもシアトルの会社ですが、新卒7人中、彼以外の6人が海外大学卒だったそう。当時エクスペディアは日本進出の真っ最中なので、旅館の跡継ぎ息子というところに魅力を感じてくれたのではないかとせんとくん。

大学時代「自分は27歳で旅館を継ぐから、卒業後の5年間何をするか考えている」「5年の間に教員になるか、教育で何かをしたい」みたいな話を聞いていた私は、跡を継ぐというのに年齢が決まっているの?と当時抱いていた漠然とした疑問を8年越しに聞いてみました。すると、「5年」と自分の中で決めていただけで、27歳で継ぐというような縛りはなかったとのこと。じゃあ、その「5年」(実際は大学卒業が1年遅れたので28歳になるまでの5年間)何をしていたの?ときくと、自分が跡を継ぐ「理由」を探していたそうです。旅館(事業)を継ぐというのは「手段」で、何のためにやるのか、何のために自分が継ぐのか、そこにしっくりときた理由が大学を出たばかりの事は見つからず、模索を続けていたそうです。そして、答えを見つけたのが、二度目の留学でありかつ社会人留学の、オランダへのMBAプログラムへの参加でした。

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観光系のMBAと言えば星野リゾートの星野さんがアメリカのコーネル大学のホテルスクールに行っていることもあり、ホテルスクールがあるほど学問として成り立っている、アメリカが有名。しかし、彼はその道を選びません。「そのルートには乗らないだろうな、俺」「そこの道で進んだ先に出会える人はこのまま留学しなくても出会えるだろうな、と思った」そうです。

ここで今回のカフェの名言です。「留学は一言でいうとハプニングだと思う」とせんとくん。予定されたこと(=知識)を学べるならオンラインスクール、学位が欲しいなら日本国内でも取れる、そんななかで予期しない出会いやハプニング・アクシデントみたいなものを探しに行くものが留学なのではないかと。そしてハプニングを探しにオランダに行ったのだ、と。そして、2019年、1年間オランダのロッテルダムにある経営大学院(MBA)に飛び立ちます。

幸福度が高いことなどで有名なオランダ。彼が現地で実感したことは、のちに大きく影響を与える「always family comes first(家族優先)」という文化でした。働き方も当たり前に18時退社、夕食は家族で食べるという、自分が一番大切にしたいものを優先するという「意識」があることを考えるきっかけが学内外でよくあったそうです。そこで、「自分が旅館をやる意味」をせんとくんはみつけます。

オランダでの経験と筋が一本通ったのは、自分の父親への想い。彼の父は、彼が15歳の時に脳幹出血で倒れ、12年間植物状態になり、昨年亡くなられたそうです。しかし、彼は最後に父親とかわした言葉を覚えていません。当時野球をしていた彼と経営に忙しく毎週出張に行っていたお父さんの中で「家族が内側を向く時間がないけど、それが当たり前」だと思っていた日々を過ごしていたそうです。そしてお父様が出張先の東京で倒れたとき、「跡を継いでほしかったのか」「なんで優太と名付けたの」など、色々なことを聞けずとても悔しい想いをした、と。その12,3年前の想いから、「自分の近くにいる人とか自分が大事だと思う人をきちんと大事にできる社会って大事だな」と思うようになったそうです。そして、日本はアメリカやオランダと比べてもいい悪いで一言では言えないけれど「家族と過ごす時間が短い・少ない」という事実があり、家族と家族の大事な時間を作っていくこと、人生を振り返った時「一緒に旅行に行ったね」「ああいうふうな話をしたね」という一場面を作るお手伝いができたらいいな、と今のビジョンである「世界中の子育て家族から最も愛される旅館になる」が出てきたそうです。違う価値観、国の皆の過ごし方をみて、「僕が時間をかけて人生の中でやりたいことはこういうことかも」という発見ができた。それが彼の社会人留学の一番の収穫だったのではないかと思いました。

「旅館を継ぐことが目的だったこところから、継ぐが手段になり、その【先】の目的が見えたところに行けたこと、留学の中での一番お金を払っても得られない気付きだろうなと思う」

MBAについても興味深い話も参加者さんのコメントから話が膨らんで聞くことができました。「MBAは実務的なところにフォーカスが当てられがちだけど、ソフト面を大事にしていると思っている」とのこと。せんとくんの留学したロッテルダムの大学では「何で働いているのか」「どういうライフスタイルで働きたいのか」「何を大事にしたいのか」ということを週に1回コーチングを受けさせてもらえていたそうで、そうしたことをきちんと整理していくことが本当の意味でのMBAなのかも、と感じたそう。オランダは「社会をどうやってよくしていくか」という意識がそもそも国としても強いところもあり、MBAでも「あなたが解決したい社会の課題は?」と常に整理してもらえる環境にあったのだろうと。

ここでまた「留学=ハプニング」の話題に戻ります。「脱予定調和」「予定した通りにうまくいかないという経験」とは別の留学の特徴として、彼が「連続性」というキーワードを上げて、オンライン留学と実際の留学の違いを熱く語ってくれました。実際に留学に行くと、24時間その場にいて、友達とかと一緒に洗濯に行ったり買い物に行ったりしてコミュニケーションをとる時間もあり、摩擦もたくさん起きて、「何かを学ぶ」という決まりがないけどそうしたことが連続的に起きる。一方、オンラインはPCを閉じたら自分の空間にすぐに入れて、ある意味安全性も高く楽ではあるけれど、それによって得られないものがあるな、と。連続性、「その切れない繋がりの中にしか得られないものってあるんじゃないか」。実際、彼はその「ぶっ続き」があったから、大学の留学前と後でTOEICのスコアが300点台→910点(リスニング満点)に上がったのではないかと自己分析をしています。短い期間でも留学をすると耳ができる、読んで書くことができないから耳と口で頑張った、とせんとくん。実際、MBA留学の時にも、アドバイザーに「君は英語のスコアは低いけど、面接まで行けば、人間性やワクワクしているオーラが伝わるよ」と言われたそうです。彼のコミュニケーション能力の強みが活きるのは、やはりオンラインよりもオフラインのリアルの留学なのかもしれないですね。そして、連続性のある環境に彼のコミュニケーション能力がより開花され、結果彼の英語力が伸びたのかもしれないな、と聞いていて思いました。

参加者の方から「計画された偶発性(クランボルツ)」というキーワードをいただきました。我らが看板猫のらてもクランボルツ教授のプランド・ハップンスタンスという理論を発見してくれます。下の記事の定義を引用すると「偶然の出来事や出会いを味方に付けるようなポジティブ・シンキングによって、キャリアアップを図ることができるという斬新な理論」。見事にせんとくんの留学中の体験に重なりそうです。


最後に、参加者の方からも沢山事前に質問をいただいていた、せんとくんの今、経営者として自分の旅館にいる外国人の労働者の方たちとどう一緒に働いているのか、聞いてみます。

今現在は全体50人のスタッフの中でインドネシア・フィリピン・中国・ベトナムの4か国から6人が就労中。技能実習生の方や日本語を勉強してビザを獲得して働いている方、日本人の方と結婚された方など、多様な背景で来ているそうです。そこで意識しているのは「まずはちゃんと聞く!」「やっぱり(最初は)うまくいかない」。はじめからリスペクトはやっぱりできないけれど、批判することも良くないと思うので、どういう理由で行動をとったのか、まず我慢して聞くということを意識しているそう。その上で、繰り返していくと、だんだん理解できるようになってきたのだとか。我慢→理解→尊敬というフェーズの移行があったということですね。最近は、向こうから提案が来たときに感謝の気持ちが湧いてきたりと、「いい関係性」になってきたそうです。

そして、感謝だけでなく依存してみること、つまり裁量をもって頑張ってもらうということも大事だと思っているそうで、その方たちが「自分がいい」と思っていることを信じてやってもらい、お互いに新しい気付きを得たい、と。それは、彼自身がオランダで見聞き体験したことが「100%いい」かはわからないけれど、そこに依存してみたことで気づけたことがたくさんあったことから思っている考え方。18時とかに事務局を閉めて家族の時間を大事にするオランダのMBAの職員さんのように、その「当たり前」の環境で生活していたから「ハッ」と気付くものがある。「違う視点での意見に対して受け入れることは当たり前にできるけど、その人よりも踏み込んで依存して自分も何かやってみることで見えてくるものや予期しないハプニングが起きることで、自分の成長につながるなと思う」

「計画された偶発性(クランボルツ)」を自分の経営でも試しているのだな、と、そのスタンスに驚く私。そんななか、経営において大事にしていることは?と聞くと、留学中にコーチに言われた「ギフト」があるそうで、それがこちら。

"I don’t know, I need your help."

この言葉をどのタイミングでも言えることは大事だ、と言われたそうです。実際、経営者2年目でまだまだ知らないことが多いせんとくん。色々な人から、色々なことを「知っている」前提で聞かされ、求められる日々の中で、正直に自身の限界を知り、「わからないので、一緒に考えましょう、一緒に考えてくれると嬉しい」と言う。色々な人たちの頭でも考えさせてもらうことを大事にし、そのおかげで何とか今もやっています、と断言。「弱さを見せられるリーダーシップだ」とらても感動。今だからこそ聞ける言葉かもしれないですが、そこから何かヒントを得られている気がします。


最後にメッセージ。

「留学を通して英語力や経営の知識などを学べたので感謝してるけれど、それ以上に自分の会社が大事にしている「大切にしている人を大切にできる社会を作る」という価値観に出会えたことがMBAや留学経験での大きな学びだった。皆さんも、近くにいる人にメッセージを送ってみたり、してみるといいのでは。そして人生ハプニングだと思うのでぜひ前向きに。正直日々自分も悩んでいます(笑)。頑張っていきたいなと思っています。」


最後はせんとくんポーズで写真を。

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いただいた質問やチャットでいただいた質問や意見が的確過ぎて勉強になりました、と感謝するせんと。今回も盛り上がりましたね。


そして、アフタートークです。(動画には入ってません)

「留学=ハプニング」は旅行でもありうるよね、とせんとくん。旅もハプニングだよね、と。私は究極人生もハプニングなのではと思いました。

そして、その流れでオランダにあるコロッケの自販機「ツコータ」「クロケット」を紹介してもらいました。ジャガイモが主食のオランダでコロッケは名産。そんなオランダには、コロッケの自販機があるそう。みんなで写真検索です。

味を聞いてみると「正直好きじゃなかった」とせんとくん笑。オランダ人は効率的な人たちが多く、効率的にご飯を食べるから美味しいor美味しくないを優先してない印象があるとのこと。近隣国のベルギーやフランスと比べると食に関しては劣るところがあるといわれるそうですが…確かに…苦笑

そして、参加者の方が出てきて一緒に3人でお話しする話も。観光分野でのMBA留学に持っていらっしゃる方で、せんとくんも以前からTwitterでフォローしていたこともあり今回参加されたとのこと!そんな方からの質問は「海外の最先端と日本の地方旅館の両極端を体験しているせんとくんに、MBA留学が観光や地域づくりという面で今どのように活きてるのか知りたい。」でした。それに対してのせんとくんの回答は、私のまとめ方であれですが、「MBAを通した人との出会い」だったのではないかなと思います。

せんとくんが参加したのは140人が43か国から集まるプログラム。同級生の出身国は中国、インド、南米、アメリカ、ヨーロッパ…などなど。そんななか、例えば「ある一人のブラジル人」の考え方を知ることができた経験は、レポートとか文献で読んだ「ブラジル人」とは全然違うと。紙で読んだりや聞いた話ではなく、自分自身がちゃんと経験して友達になり、その上で何かを話したり、物事を考えられたりできることが、「マーケティング」、「ペルソナ」、「カスタマージャーニー」などを考えるときにとても強みになっているそう。さらに、最近インバウンドの旅行の回復状況を確認するために、「ベトナムっていつから国際飛行便解除しそうなの、みんな乗りたいの?」という質問をベトナム人の同期に電話らチャットやらで連絡し、「保守的だから乗らないと思うよ~」、みたいなことを相談できたのだとか。「それってすごい価値があるなと思うっている」「友達ができることはMBAだからこそできるってことじゃないけれど、僕にとってはそれが価値だった。」

最後は「パートナーを連れての留学」で盛り上がりました。なんと、せんとくんは、MBAを受けてから彼女にプロポーズ。そしてご両親に挨拶に行く2日前に合格通知を受け取って、「彼女をオランダに連れていきます」とお伝えしたそう!ここで興味深かったのが、オランダのパートナーシップビザ。よくあるスパウズビザ(配偶者ビザ)と同じような制度ですが、なんと同性もOK。そのビザを取得し彼女もついてきたわけですが、なんとMBAでは他にも14,15人は家族と一緒に来てたそうで。私は「留学=単独」のイメージが自分の中にあったな、と気付かされました。パートナーはビザの関係でオランダ国内での就労がNGなため、日本からの仕事をリモートで行ったり、日本人パーティーや駐在コミュニティと仲良くして過ごしていたり情報収集をしてくれたりしていたり、つなげてくれたり…としていたそうです。また、MBAの長い夏休み期間中にプラハ、クロアチア、イタリア、フランス、ポルトガル等ヨーロッパを1か月旅行したそう。(新婚旅行じゃないとパートナーには言われたそうですが)今回のカフェのプロフィール写真も、イタリアでの写真ですね。

せんとくん曰く、一緒に留学に行ってよかったのは、留学中に感じたことや今の価値観を形成する体験を一緒に経験したり、すぐそばでリアルタイムで話を聞いていたからこそ「分かっている」人が隣にいることの安心感を得られたことだとか。日本にいると自分自身の友達や彼女自身友達もいるのに、留学してみると2人の時間がとても長い。そんな中、週末や平日の夜に2人で料理したり出かけたりするときに、「こんな街素敵だな」「こんな観光地にしたいな」とぼそぼそする自分の話を彼女はちゃんと聞いていてくれていたのだとか。それが、今も話をする時に「あ、彼女はわかってくれている」という安心感につながっているそう。私は彼女も知り合い(むしろ、2人が出会うきっかけとなるコミュニティに私と彼女は属していて、そこに私がせんとくんを誘ったので…=キューピッド…?←)なのですが、彼女もとてもとても魅力的な方なので、リクエストがあれば、カフェに呼んでみたいです。笑



とても個人的な感想ですが、こうして点でしか知らない自分の尊敬する人たちのライフストーリーを聞いて線でつなげていくことで、さらに自分が尊敬する人たちの魅力が倍増するし刺激を受けるし、その時間をカフェに参加してくださっている皆さんと共有して、私が思い浮かばない質問を皆さんがしてくださることで話がさらに膨らんだり深まったりできることが「めちゃくちゃ良い」と改めて感じる今回でした。本当にこのカフェのナビゲーターを始めてから、コロナで白紙になった自分のキャリアプランに、沢山の色が描かれ始めている気がして、楽しいです。皆さんに感謝です。いつもありがとうございます。<(_ _)>

そんなカフェの様子は

当日のカフェの様子は、こちらにて!


もっとせんとくん

彼はTwitterやFacebookでつながるのもOK!とのことでしたので、それぞれのリンクをお貼りしておきます!

今回話題に出た「I don't know, I need your help」は彼自身が以下のようにnoteに書いてもいます!ぜひこちらも読んでみてくださいね。


次回のカフェ。

ということで、次回のカフェ。6月10日20時からです。下里珠姫さんをお呼びします!英語圏留学が続きます。飛行機に恋するパイロットです♡

お申込みや詳細はこちらから。

来月も楽しみです^^


こんな私ですが、ぜひサポートお願いします。 いただいたサポートは、自分に沢山の学びと気付きの機会を与えてくれた人や団体、そして社会に還元していきたいです。