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「対話力」の向こうには「心理的安全性」あり。52万5600分のアメリカでの「旅」で見えた「ダイバーシティ」~IIBC Cafe Globe #25 上原 紗英さん

11月10日は第25回目のIIBC Cafe Globeでした。

Cafe Globeを開店することに至った背景はこちら

今回のゲスト

今回のゲストは上原 紗英さん。通称ぽす。

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埼玉育ちの27歳。幼少期にはバレエやダンス、大学ではミュージカルに明け暮れた舞台大好き人。海外に留学したい!という気持ちが抑えられず、大学4年の冬のタイミングでアメリカ・ シアトルに留学。その後アメリカ教育NPO、Up with Peopleに参加して10カ国以上のメンバーと世界を旅しながらショーを作り、一人ひとりの自分らしさに向き合う。帰国後はNPO法人コモンビートのスタッフとして、大人100人と100日間でミュージカルを作り上げるプログラムの総合演出を務める。趣味は一人行動とオタ活。(she/her)

ぽすと私

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市民ミュージカルを行うNPOコモンビート経由で出会い、そのNPOが提供する学校向けの異文化交流プログラムのファシリテーションを一緒にやって色々な学校に回っていたことで仲が深まったぽす。世界中、そして日本国内でも「色々な人」に出会って向き合って対話をしたぽすだからこそなのか、私が今まで出会ってきた人たちの中で、「対話」のちからがずば抜けて高いと思っている存在です。ずっとぽすの事を色々な人に知ってもらいたくて、このCafeの運営を始めて2年目にしてやっと、彼女が演出を務める舞台が落ち着いたので呼ぶことができました!

今回のお茶

Cafe Globeでは、ゲストのゆかりのある「お茶」と、ナビゲーターの私がその時おすすめしたいと思った「お茶」を交換して、飲みながらお話をしています。

今回私が送ったのは、屋久島で仲良くなった店長が入れているカフェのコーヒーと、お土産屋さんの店長が現地のお茶屋さんとコラボで作った可愛い紅茶。屋久島に行くたびに2人に会うために立ち寄っているお店だったので、こちらの飲み物をセレクト。ちなみにこちらでお菓子とセットで購入できます✨12月6日までであれば実は私がやっているクラウドファンディングでもリターン品として選べます。(笑)

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一方でぽすが送ってくれたのは、

今回のカフェ。

さて、今回のカフェです。

ぽすは埼玉県出身の埼玉在住の27歳。舞台と辛いものとアイドル(関ジャニ∞)が大好き。大学時代週7でミュージカルや演劇に明け暮れ(この時は茨木で一人暮らし)、4年生の冬からアメリカのシアトルのカレッジに休学して留学。そしてその後アメリカのNPOで世界を旅してショーづくりをするというプログラムに1年参加し、帰国後日本のNPOで市民ミュージアムの演出をされています。
 
大学を茨城に選んだのは学びたいものがあったりミュージカルサークルに入りたいといったことではなく、高校3年生の時に母親と喧嘩した時に学費の流れになり、感謝している気持ちもありつつ「じゃあ国立を受ければいいのね!」と切り替えたことから。
 
今やミュージカル三昧からのミュージカルを作る仕事をしているぽすですが、もともと小さいころにバレエやダンス、ピアノをやっていて、ミュージカルに出会ったのは高校生の時。高校に宝塚部があり、学校でショー(レビューショーやダンスのショーなど)をするにあたり、人数が少ないから助けてほしいと言われ、ダンス部引退後にお手伝いという形で参加したそう。そこで初めて歌を歌う楽しさを知ります。大学に入ってからもHIPHOPなどのダンスを続けるつもりでいたぽすですが、ここで入学したらミュージカルのサークルがあったら入ろうと決めます。そしていざ入ってみたら、週7だった、と。
 
ミュージカルサークルは年3回、3か月に1回のスパンで作品を作り(オリジナルも劇団四季などの作品をお借りすることもあり)公演を行うという活動をしており、3か月で切り替わるのでその時に関わる・関わらないを選ぶことができる仕組みだったそう。ここでの活動が「めちゃくちゃ楽しかった」とぽす。ここで3年生の時に出演したオールソングスルーと呼ばれる全て歌で構成される3時間の作品「RENT(レント)」は自身が一番好きな作品ともなったそうです。「アメリカが舞台になっているんですけど、若者のいろんな背景だったりバックグラウンドをもった若者たちの日々を毎日生きている様が舞台になっているというすごく面白い作品で、いろんなミュージカルを見ているけど、やっぱりレントを越える作品はないと私は思っています。」

そして大学4年で休学をして留学をするわけですが、もともとは留学をするつもりはなかったそうです。後述しますが、もともと留学に興味があり、大学で留学するぞと思っていたぽす。しかし、ミュージカルサークルに明け暮れ、頭の中から留学をすることが消え去ってしまっていたそう。社会人になってからいけばいいや、とも思っていた矢先、大学3年生の時に、今働いているNPOが開催する大人100人が集まり作品を作る市民ミュージカル「コモンビート」に出会います。そして自分の周りにいる99人の社会人の多種多様な生き方を作品作りを通して目の当たりにし、「本当に今このタイミングで(留学に)行かなくていいのかな」と思うようになります。そして、「行くしかない、行けるところに行こう!」と決めて調べたところ、大学4年の冬から行けるところで治安などを調べた結果選んだのがシアトルになったとのことでした。この時はミュージカルサークルも引退。同期の卒業公演を観れないまま渡米したので本人的には「不完全燃焼だけどそこは仕方ないと割り切った」とのこと。

さて、ぽすの「留学」についても聞いてみます。ハリーポッターが好きすぎて「絶対にハリーポッターの世界に飛び込むんだ私は!」と、イギリスの大学などを調べるほどにイギリスに留学することに興味を持っていたぽすは、大学で国際系の学部に進学。しかし前述の通りミュージカルに明け暮れ、結局アメリカに留学することになります。シアトルでは2年制の短大のような「コミュニティカレッジ」に在籍し、大学(ユニバーシティ)に編入したい人たちとともに学ぶ場で、語学(英語)の授業をとったそう。日本人は多かったし、日本人の友人とも一緒にいたり仲良くもしていたけれど、授業は極力日本人がいないところを選び身を置くと決め、遊びに行くこともしていたけれど、本人曰く「人生で1番勉強した」とのこと。「ほんとにね勉強をしていた、今振り返ってもあんなに勉強はできないと思う。」ミュージカルクラブなどにも入らずに、ダンスクラブとかも見学に行ったけれど全体の空気感が合わず、「何か表現するときにその場の空気や雰囲気を好きになれないとのめりこめないなと思ったから、慣れたら変わったかもしれないけど留学している期間も限られてるし、だったらもう勉強一筋でとにかく勉強しようかなって」と割り切ったそう。本人も行っていますが基本0か100、やると決めたらやる、やらないと決めたら何もしない、という性格のよう。たしかに、大学の進路を決めるのも、ミュージカルサークルでの三昧具合もそんな感じだな…

ここから、アメリカのNPOで世界を旅してショーをするプログラムに出会っていきます。彼女が参加したのはUp With Peopleという、アメリカのデンバーに本部があるNPO。世界中から100人を集めて7~8カ国ツアーをするという、29歳までの若者が参加できるリーダーシップ育成プログラム。大学3年生の時に出会った日本の市民ミュージカルNPO「コモンビート」が提携しており、行きたい!とおもったぽすは選考に応募。Up With People側による英語での面接を無事合格し、シアトル留学後に参加することが決まります。ピースボート船旅のようにルートが決まっているようで、彼女が参加したのは東海岸を回る、メキシコ→ドイツ→オランダ→イタリアをめぐるツアー。しかしビザの関係で一度日本に帰国しなければならず、シアトルでの留学が終わった後、2週間だけ日本に一時帰国したそう。
(補足すると、このUp with Peopleで一時期上演していたショーが今日本でコモンビートが市民ミュージカルプログラム化して全国展開している作品「ア・コモンビート」であります。なので日本のNPOコモンビートの大元、生みの親的な存在がUp with Peopleなのですね。)

いざこのプログラムに参加してみると、参加している年齢が20,21歳の若めの層が多め。高校を卒業し、大学入学前にギャップイヤーで参加している方が多かったそうで、少し年齢が上、23歳で参加したぽすは大勢の18歳〜21歳が話すスラングガンガン・早口の英語に戸惑い、シアトルに留学した直後に参加したものの、「最初マジで何喋ってるか分からない時超あって、めちゃくちゃフラストレーションだった」そう!
プログラムの中身としては、最初1か月はデンバーでミュージカルというよりはソングショーのようなものの作品作り。午前中にボランティアやソーシャルアクションなどについての勉強、午後に歌やダンスの練習といったみっちりスケジュールを月~金で過ごしていきます。やっぱりショーに出演するからにはいいポジションで踊りたいし歌いたいと思うぽす。コミュニケーションには苦戦しつつもしっかりと練習をし、踊っているときに関しては言葉の壁を感じるようなこともないので自分らしさを発揮できたよう。やはり実力主義で、踊れる人は前に出されるしそうではない人はみんなでやるパートに振り分けられる。オーディションのような選抜で選ばれることでどんどん目立つ機会をもらえるそうです。一瞬ソロで歌っている写真やペアで踊っている写真を見せてもらいました!さすが、やるなら勝ち取るぽすですね。

ここで参加者から海外で一番ピンチだった出来事を聞かれ。留学時代はカードをスキニングされたこと。大きな額が使われていなかったのとすぐ止めたから良かったそうですが…「あ、ほんとにこういうことってあるんだ、って思った」と語りながら冷静なぽす。すごい…
そして、ショーツアー中の時の出来事としては本番1カ月前の肩の負傷!リハーサル中に筋肉の筋を痛めたようで肩が上がらなくなり、初披露のショーでダンサーとして全く出ることができなくなってしまったそうです。代わりにバックコーラスなどで出させてもらえて、なんとかそこで頑張れたとのこと。もちょっとすれば治りますよと先生には言われたものの、この時に「何をしているんだ自分は…」と気付かされたものがあったそうです。
 
トラブルがありつつも、シアトルでの留学、そしてNPOのツアーという、色々な世界の人たちと出会う経験をしたぽす。小さいころから旅行などで海外に触れる機会があったけれど、今回のような長期で外に生活をする経験を通して、「多様性というものを知る機会になったと同時に、わかりやすい多様性(国・肌の色など)に自分が引っ張られていたなということに気づいた」そう。色々な人がいて多様性が目の前に広がり、その中で暮らして勉強し、生活をする。でも日本人ですら一人一人性格や特徴が違うのが当たり前なのに、アメリカに最初いた時にそれを忘れてしまい、「日本人だからこう」「アメリカ人だからこう」みたいな思考にいきやすくなっていた、と。同じ国の出身でもルーツや性格が違う、ということに、ツアーを通して「引き戻され」、「やっぱ当たり前だけど一人一人違うよね」と考えさせられたそう。もちろん逆で、ルームメイトと性格が合わず喧嘩をしていた時にホストファミリーに「アジア人はもっと協力的・穏やかだと思ったんだけど」とアジア人括りをされたりされたこともあったそうですが、それはそれでぽすにとっては「そう思われているのか」という発見だったそうな。こまごまとしたことをちゃんとやっていた人、几帳面な人、ご飯を食べた後に綺麗にしている人を良く見ると確かにカレッジにいた日本人や、一緒にツアーに参加していた日本人が多かったな、と発見することもあり、面白かったとか。自分の中で感じた違和感ははっきり伝えるぽすなので、「日本人は」「アジア人は」と一括りにされたときに納得がいかないと、「そんなことないから!」「私は私だ!」と伝えていたそう。
 
そんなぽすですが、ホームシックを感じることはなかったのかという質問に対しては「精神的なところでは一度もなかった」とのこと。肌が弱いため、最初シアトルに留学した時にシャワーの水で激痛が走るということがあったそうですが、毎日浴びていると慣れてきたそう。こうしたときにすぐ病院に行けない辛さがあったそうですが、あとはシンプルに美味しい和食が食べたいと思った時くらいで、文化の差で辛さを感じるといったことはなかったのだとか。そして、シアトルで水に慣れてから、ツアーでヨーロッパを巡ったときも、かなり体が慣れていたので問題なかったそう。適応能力すごい…!

さて、ツアーを終え日本に帰ってきたぽすは、2年の休学から復帰し、先ずは大学を卒業します。(笑)
授業は全部受けてから渡米したので、残すは卒業論文だけ。無事提出し卒業、そして、それと並行で大学3年時に出会いツアーを提携していた市民ミュージカルのNPO「コモンビート」でお仕事でミュージカルや表現活動教育に関わるようになり、大学を卒業と同時にそこに正式に就職することになります。
元々もしよければUp With Peopleのスタッフとして働きたいなと思っていたぽすですが(アメリカでの就職のオプションも考えていたとは!)、実際に参加してみて「違うな」と思ったそう。というのも、「多様性」「若者のリーダーシップ」と謳ってはいたものの、アメリカの会社やNPOで関わる人はやっぱりほぼマジョリティが欧米の人。その時に、ぽすをダイバーシティのシンボル的な扱いとして「使われている」感じ、つまり都合よく「日本から来ている人」として出されている感覚を覚える「違和感」があり、それを改革しようと思って働くのは自分ではないと思ったそう。そうなった時、舞台のプロフェッショナルとしてではなく、「コモンビート」のような、市民が活動できるような舞台に関わりたいと思い、コモンビートへに就職したいことを直談判したそうな!
 
そんな日本のNPO組織コモンビートは、市民ミュージカル運営団体といいつつ、基本的に毎回のミュージカルプログラムの運営はボランタリーで関わるスタッフで成立しており、その大元に有償スタッフ(社員)が数名いる形になっており、社員は当時確か10名もいなかったはず。ぽすは、市民ミュージカルそのものに参加したことはあっても、ボランタリーの運営スタッフも未経験。そこからすっ飛ばして、社員になりたいと交渉したという!ぽす曰く、「お前誰状態だよね。(Up with Peopleに参加していたから)知ってはいただろうけど全然(日本で)活動していないのに急に言うやんみたいな感じだったと思う」とのこと。無事社員として採用され働き始めたころの写真を見せてもらいました。コロナになる前の東京での最後の公演では演出を担当。しかし本番6日前に骨折したキャストさんの代わりに自身も出演したのだとか!急に代打ができるくらいの実力派、さすが。

ここで、演出の目やスキルはどのように養っているかという質問を事前にいただいていたので聞いてみます。本人的にはプロの演劇や商業ミュージカルと言った舞台とは異なり、だれでも参加できる市民ミュージカル「プログラム」なので、プロではないけれどそれでも言えることとしたら「一人一人を見る」ということのこと。100人の市民が参加するとなるとやはり大変になったりしたときにかたまり、大きな木でみてしまい、一人ひとりと密にコミュニケーションとることが難しい。でも、「自分見られてるのかな?」「自分ってここに存在してるのかな?」と思わせないよう、「枝葉」のように一人一人を見るということを意識しているそう。「舞台を創るてことだけじゃなくて、日常的に人と話すときにちゃんと相手のことを見て接しているかって言うのがダイレクトに演出をしたときに舞台に出るなって思うから、日々の生活を結びつけてる印象は強い。」
 
私はぽすは「言語化力」「伝える力」がだれよりもめちゃくちゃすごい人だと思っていて、尊敬しているのですが、多様性あふれる空間で一人一人を見ようと意識して対話を繰り返しているからこその「自分軸」もしっかり持てて語ることのできるぽすがいるのだなあとしみじみ思う私。
 
また、劇団や舞台に属しているときに協力してくれる人を探すコツはという質問も。これは自分のいる「場」がぽすの中ではキーワードのようです。前述の留学時、ダンスクラブの空気感が合わずに入部しなかったことのように、今いる立場や空気・雰囲気的に、協力して欲しいと思った時にやっていけるのか、ゴールに向かって走っているということを伝えることができるかという点でみているそうな。「何かを表現する場所って自分自信をさらけ出していく場だから、場そのものに安全性があるっていうのがすごい大事な気がするので、ただただこうなにか創るぞー、おー!っていう勢いで進んでいくのもいいけど、そこの温度感が伝わっていくっていうのは(私は)長い目で見た時に長く関わっていく人とか一緒にやれる人を見つけたかったらそういうコミュニケーションが大事なんじゃないかなと思います。」
 
こうした活動のきっかけ、そして続けられるモチベーションをきいてみると、「ミュージカルが好き」からすべてが始まっているようです。コモンビートに最初関わったのも、大学のサークルのオーディションに落ちて悔しすぎて別のところでやろうと思ったから。すると周りの大人が素敵すぎて、一人一人が自分で選択できる場を増やしたいと思い今に至る。モチベーションもやはり部隊が好きだからというところが大きいそう。
 
学生時代にやっててよかったこと、と聞いたら「ミュージカルとバイトしかしてない」と即決のぽす。でも、5年間続けたしゃぶしゃぶの食べ放題屋さんのバイトで培った接客能力はかなり活かされているなとのこと。逆にやっておきたかったことは、「もっと勉強しておけばよかった」と!「後悔はしてないですが学んでおけばよかったとも思います。」
 
そんなぽすの海外への再挑戦の気持ちがあるのかを聞いてみると、海外で舞台を作るといったことは興味がないけれど海外でいつか何か仕事したいという気持ちは「めちゃくちゃある」とのこと。「コロナなってから海外に行ってないので海外にシンプルに行きたいですどこでもいいから」

一緒に話を聞いてくれていたCafe Globeの看板"オオカミ"のモカも、心理的安全性の場を作ってくれるぽすがいるから舞台でもコミュニティでも仲間でも上手くいくし、自分自身もさらけ出すこと・自己開示ができて、そして相手も自分の事をきちんと出してくれるから、いい作品ができていくんだろうなと私と同じところで感動しておりました。
 
最後に、ぽすからメッセージ。
私は人と接することが多いんですが、実は今日一言もこのことはいってなかったんですけど、本当は私めちゃめちゃ人見知りなんですよ。人と喋る時最初は「あっ…」っていうタイプなんですけど、そこは頑張って人と接してるみたいなところも実はあって。でもやっぱりどんなところで何をするかってっていうのもすごく大事なんですけど、そこにあった雰囲気の場所に行くとか、自分と一緒に志を共にできる人と会うとか、そういった「人」っていうのが今のこの時代だからこそすごい大事なことだなと私自身も実感として思っているので、今日もみなさんと素敵な出会いを頂いたんですけども、そんな場所がこの場かもしれないし別のところかもしれないけど、みなさんの周りとかいろんなところにそう言った「人」で繋がるような場所が増えていったらいいなと思ってるのでみんなが毎日充実した日々を送れたらいいなと私も思います。
 
最後にいつものように写真を撮りました!

ミュージカル仲間も何人か参加してますね!さすがぽすの仲間たち。
 
ぽすは年齢的には3つ下で妹と同い年なのですが(笑)、本当に尊敬出来て、お互いに語り合ったりする仲で、それでも今回のカフェで話したことで気づいたことも沢山ありました。
社員になる前、まだ学生の頃、業務委託契約という状態でコモンビートに関わっているぽすと一緒に小学校に異文化理解を音楽とダンスで体感的に学んでもらうプログラム(「スク-ルプロジェクト」)を運営した時も、即座に子どもたちが自分らしく踊ったり歌ったりする空気を作る姿に毎回学ばせてもらっていました。

自分が自分らしく出せる空気や雰囲気のある「場」、そうだよな、「人」って大事なんだよな。

自分に嘘をつくような空気や雰囲気のある場は合わなくてコロコロ転職してきた私。それに対して「自分は協調性がないのか…はあ…だめだなあ…社会不適合者だ」などと言って自分を下げる必要はなくて(ちょっと前の私はそうしていた)、自分が心地がよく自分らしく居られる場を探して見つけてその場に居て、他の人も自分らしく居られるように先ずは自分が自分を出していき、そうして「心理的安全性のある場」を創っていく。それは全然「逃げ」ではないし、そうした場所を探して転々とする人を責める必要も、転々とすることを自分自身が責める必要もない。私もコモンビートのプログラムに6年前に初めて参加し、ゆっくりではありますが自分を受け入れ自分の過去を前向きにとらえられるようになってきました。学生時代に出会えているぽすが羨ましい。

移住先の鹿児島では本当に「人」に恵まれているな。これからも色々な場に恵まれますように。色々想いが募り、カフェが終わった後もぽすに電話をして2人でまた話す夜でした。
 

そんな当日のカフェの様子はこちらから

懇親会タイムは入っていませんが、最初の1時間の様子はこちらからも観れます!ぜひ!

もっとぽす

カフェ以降もぽすの活動をみてみたり、応援したい!と思った方へ。ぜひぽすのインスタへ

Up with Peopleのプログラムや、コモンビートについて、是非聞いてみてください!

次回のカフェ。

ということで、次回のカフェ。12月10日20時からでした。私の「飛び立ち」が決まったので、次回でCafe Globeはラストになります!有終の美を飾るのは以前お客さんとしてカフェに参加してくださった羽立さんです!

詳細はこちらから。

集合写真とかアップしてるのでぜひカフェのFacebookもフォローしてくださいませ~!


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