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音声以外の言語について

小学校の時、歌に合わせて手話をしながら「赤い屋根の家」をうたう、という出し物を学芸会で発表したのを思い出した。

近所で床屋を営なんでいる、ろう者のおじさんに何度か学校に来てもらい手話を学んだ。ほとんどの子供はろうの方と接すること自体初めてであっただろうし、おじさんも30〜40人規模の生意気な小学生に手話を教えたのは初の試みだったと思うので、教師含めかなり大変だったと思う。学芸会当日、垂れ幕が上がって我々がうたい始めると、会場の真ん中あたりで手話を教えてくれたおじさんがたった一人で立ち上がり、涙を流しながら手話で「赤い屋根の家」を一緒にうたってくれていた。その時は「おじさんが目立っている」としか思っていなかったが、今思えば心があたたまるめちゃくちゃ良い話である。

手話が言語として認められたのも、ろう学校で教えられるようになったのもここ20〜30年のことらしい。学芸会での取り組みは割と先進的だったのでは?と思う。非音声言語という不思議なことば。スラングとか訛りはあるんだろうか。ちなみに手話も点字も世界共通様式ではないみたい。非音声言語なら音声言語を超えて世界共通語になりうるのでは?と思ったけど、「肯定」のジェスチャーひとつにしても各国で表現が違いすぎるからなぁ。手話って誰がどう考え、体系化している言語なんだろう。

言語といえば、プログラミング言語も世界共通語っぽくて未来がある気がしたので、興味本位でほんの少し触れてみたことがある。Pythonは難しかったので諦め、割と直感的に操作できるUnityをいじくってみたりした。完全独学だとやっぱり結構難しいのだが、パソコンとのコミュニケーションツールだと思うと興味深く思える。

何かを定義して、命令して、実行させる。プログラミングに使うとはいえ、ベースは英語と数式で、まずある程度英単語の意味を理解していないと自分が何してるのか分からない。何か書けたとしてもネットに落ちてるコードをコピペしてるだけになってしまう。それでは意味がない。日記を書くみたいに自在にコードを書きたい。

最近はQuiitaを参照しながら、Unityで超初心者向けのブロック崩しゲームを作ってるんだけど、それすら上手く動作せず挫折しそうである。パソコンさんに上手くやりたいことを伝えられない。彼らはジェスチャーや雰囲気を読み取ってはくれない。Quiitaで初心者向けブロック崩しゲームの記事書いてた人に直接聞きたい。


ということで、以下の記事の内容を(多分)忠実に実行した気がするのに、ボールが跳ね返ってこないという問題についてアドバイスしてくれる人を緩く募集いたします。





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