人間関係の成立
人間は快感情をもたらす(気持ちいい)ものに近づき、不快感情をもたらすものから遠ざかる性質があります。
なので人間関係の場合は、好きな人と付き合い嫌いな人から遠ざかることが基本になります。
では、この「好き」とか「嫌い」という気持ちはどこから来るのか。
社会心理学では、3つの理論(強化理論、交換理論、公平理論)と2つの原理(利得最大の原理、公平性原理)から説明されています。
①強化理論
基本的に人は何らかの報賞を与えてくれる相手を好きになります。その人と一緒にいることで何か得をするからその相手を好きになる、という考え方です。
※報償は物理的な物だけではなく、言葉や傍にいるという存在感などの形にならない報償、安心や喜び、承認、慰め、愛情などの心理的な報償も含む。
逆に罰を与える人々は、相手に不快感情を引き起こすためその相手を嫌いになります。
直接報償をくれた相手を好きになるだけでなく、報償を受けるときにそばにいた人々も好きになります。
逆に直接罰を与える相手を嫌いになるだけでなく、罰を受けたときにそばにいた人々も嫌いになります。
②交換理論
人間関係は動物実験で使用される動物のように、一方的に報償や罰を与えられる関係は少なく、受動的な存在である乳児であっても、その表情やしぐさなどで周囲の大人に対して快感情を引き起こし報償を与えています。
ほとんどの人間関係は何らかの報償のやり取りであるギブアンドテイクで成り立っています。
誰かと付き合うためには、時間、労力、金銭、努力、気苦労など様々なコストを必要とするため、交換理論は人間関係を、コストと報償の交換過程と捉えています。
誰かと交際する場合、そのために必要となるコストとその関係から得られる報償の両方を分析し、そのコストよりも利益の方が大きいと認識できる相手と交際するという考え方が交換理論です。
強制された関係ではなく、自分の自由意思で付き合う関係であれば、その相手は自分がその関係のために投入したコスト以上の報償を与えてくれる相手だということができるでしょう。
③公平理論
公平理論は、社会全体で考えたときに、個人が投入するコストと個人が獲得する報酬を公平になるように分配することで社会集団全体が得る報酬を最大にできると仮定しています。
相手に投入したコストと得られる報酬が公平だった場合に人は満足し快感情を覚え、逆に、不公平な結果に直面したとき人は不満を持ち不快感情を覚えます。そのため不公平な結果に直面した場合は、公平を回復し不快感を低減しようとする行動を起こします。
<公平を回復する手段は二通り>
1.現実に投入するコストか与える報酬を変化させ、公平さを回復する方法。
2.現実を歪めて自分が相手との関係のために投入したコストに比例した報償を得ていると思い込む心理的回復
「釣り合い仮説」
公平理論から考えて恋愛関係がうまくいきやすい相手というのは、お互いの社会的価値の総合レベルが同じである、という仮説。
これは恋愛に限らず、組織とかグループのように人間が集まった時に、自分と同じレベルの集団なら居心地が良くて、自分と周りの差が大きければ大きいほど居心地が悪くなっていくということが考えられます。
<人を動かす2つの行動原理>
①利得最大の原理
・人間は自分の利得(報償)を最大限にしようと努力する
②公平性原理
・自分の支払うコストと自分が得る利得の割合を公平にしようとする
【利得か公平か】
利得最大の原理は、自分にとっての「得」や「利益」を最大にしようと努力する人間の性質です。これにより人は、金銭的な利益を目的としたり、他者から良く見られることを目的としたり、自分の損になるようなことは避けるなどといった行動を選ぶようになります。
日常生活で例を挙げると、車で出かける時はできるだけ渋滞を避け近道を通るようにする、買い物をする時は値段の安い物や質の良い物を探して選ぶ、誰かに尽くすことで信用を得る、困ったら人を頼って自分の労力を減らす、他人に迷惑をかけないように配慮するなどがあります。
時には、あえて自ら損をするような行動をとる場合もありますが、それは、そうすることによって他者や社会から評価されたいという欲求が、損よりも得として勝っているということが考えられるでしょう。
次に公平性原理とは、強化理論、交換理論、公平理論に基づいた、人々は報償を与えてくれる人に好意を抱き、お互いに報償を与え合うことで関係性を維持し、そのコストと報償を公平にすることで双方に快感情をもたらすという原理です。
公平性原理を感じる場面としては、お会計の割り勘、挨拶をされたら挨拶を返す、何か恩を受けたら返さないといけないと感じる返報性、仕事の作業量と賃金を他者と比べたり、誰かが残業して残っていたら自分も残業する、『出る杭は打たれる』ような場面など、他人との関係性を重要視し意識している状況が挙げられると思います。
人間は一個体としては非常に弱い存在ですが、集団として協力し合うことで繁栄してきた歴史があります。
集団の中でうまく生きていくためには、社会のルールに従い、人間社会を機能させなければならず、人々の利益が公平になるように分配することで、一人一人が得る報酬を最大にすることができるといえます。
利得最大の原理と公平性原理は、短期的には対立するものでありますが、長期的にみれば人類全体の利得になるものだと考えられます。
個人レベルではどうでしょうか。私たちは日常生活でこの2つの欲求を自然にうまくバランスをとって行動しています。自分の利益を優先するか他者との公平を優先するか選ぶ基準には何があるのでしょう。
私自身は、公平性を欠く状況に陥ると罪悪感のような不快感を経験します。その不快感を消去するためか回避するために、公平かむしろ自分が少し損をするくらいのバランスになるように、後の行動を変化させていくように行動していると思います。
公平性を欠いた時に自分が罪悪感を感じるかどうかは、対象とする相手との関係性によって違っていて、
関係が浅く、物理的・心理的距離が離れているほど罪悪感は感じづらくなり、公平性よりも自分の利益を優先するし、
逆に、関係が深く、物理的・心理的距離が近いほど自分の利益は後回しで、自分が損をして相手の利益になることや公平性を意識した選択をすることが多いかなと思います。
自分にとって有益な人間関係を築くため、あるいはそのコミュニティに自分が所属し続けていくために、公平性原理を用いて将来的な利得最大を目指していく。
もしも身近な人が、公平性の認識がズレていたり意識していないとしたら、その人は「自己中心的」「自分勝手」「わがまま」などの印象を持たれ、この関係性を大事にしていないということになり、コミュニティにも損失を与える存在とみなされて嫌われていく可能性が高いです。
人は集団の中では公平性を優先し、自分の利益を求める場合には集団から離れて行動する、ということでバランスをとっているんじゃないかなーと思いました。
そして公平にするということは相手との関係性を大事にしている証拠でもあるため、ズルをしたり、価値観が合わないということが判明すると、嫌われたり攻撃されたり何かと指摘されたりしてその集団には居づらくなるということ。
「返報性」という言葉がありますが、人は好意には好意を返し、嫌悪には嫌悪を返し、信頼には信頼を返します。人間には危険から身を守るための生存本能として、不安や恐怖といったネガティブ思考が備わっています。時には人間が嫌になり、時には騙されたり裏切られたりするけれども、自分で自分のことを「人間嫌い」とか「人間不信」と思ってしまうと、ネガティブスパイラルにハマっていくと思います。リスクかもしれないけど、自分から「好きになる」「信用してみる」ことは大事で、コストをかけて未来の利得(かけがえのない人間関係)を獲得するということになると思います。
ちなみに、恋愛関係の成立のしやすさは前述した「釣り合い仮説」のように公平さが大事ですが、恋愛関係の満足度に関しては「自分が少し得をしている」と思える関係が一番満足度が高いようです。
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