見出し画像

【他人を変えることは意外と簡単って話】

私は喜多川泰さんの著書「手紙屋」の世界観が大好きです。


手紙屋」という著書は、手紙屋という謎めいた人物と、将来に悩む大学生と高校生についてのお話です。手紙屋さんはまさに”手紙のやりとり”をすることを仕事にしています。そして、手紙の交換を希望する方に対して、人生の学びや教訓をシェアすることで、その方が人生で実現したいことを実現するためのお手伝いしています。



手紙屋さんが手紙によって人々を導くように、

私も私の言葉で誰かを勇気付けたり、元気付けたりしたいという思いを持って、noteを書いているとおっても過言ではありません。


今日はこの「手紙屋」から、この考え方は非常に面白いなと思ったこと

そしてそういった類の出来事が私の人生にも実際にあり、私のアイデンティティ形成において大きな影響力を持っていたので、それも踏まえてのお話をします。


もし身近な人間関係で悩みを抱えていて、この人こんな風に変わってくれたら良いのに!と考えている人には、是非読んでもらいたいお話です。


変わってもらいたいなら、称号を与えよう!

画像2


結論から申し上げると、

「変わってもらいたい人に称号を与えよう」という考え方です。

相手にこうなってほしい、こういう人でいてほしい、という称号を与える。

すると「与えられた人はその称号通りになろうとする」んです。


例えば、

約束を守ってもらいたい場合は、相手に”絶対に約束を守る人

という称号を与え、約束を必ず守る人になってもらうということです。


そんなに簡単にいくかよ!と思いますよね。私もそう思います。

でも想像してみると、案外本当にそうかもって思えてきます。


例えば、

尊敬する恩師から”お前は何事も最後までやり通す人間”だと言われていたとしましょう。

この場合、例え何かに挫けそうになったとしても、その言葉を思い出し絶対最後までやってやろうと奮起しそうじゃないですか?

だって、恩師の期待を裏切りたくないし、悲しませたくないですもんね。

少なくとも、すぐに諦めるなんてことは無さそうですよね。恩師の顔が過ぎって、一踏ん張りはありそうですよね。


だから確かに、称号を与えられたら、どうにかしてその称号を守りたいと思う心理は誰しもが持っていそうだと納得出来たんです。


脳科学的にも正しい

画像3


感情的だけではなく、科学的に説明したいと思います。


人間というのは脳内に網様体賦活系(RAS)という、

「自分に必要な情報のみを拾い上げる仕組み」があるそうです。

私たちは、脳で毎秒4億ビットもの情報を処理しているけれど、そのうち意識下にあるのは2000ビットの情報だけなんです。

それくらい情報を絞らないと、脳機能的にキャパオーバーになってしまうから。

だから、私たちはRASで検索するべき項目を設定して、不必要な情報をふるい落としているわけです。


(ナポレオン・ヒルが唱えた「思考は現実化する」という考え方や、「引き寄せの法則」は、この脳内のこRASの働きによって起こると言われています)


だから、相手に称号を与えることは、その人の脳内でその称号に纏わる情報を意識下で処理させることに繋がります。

結果として、「称号に相応しい性格や行動を喚起させることになる」という流れだと考えられるわけです。


RASについて詳しく知りたい方は、こちらの本是非読んでみてください。


よってこの観点からも、人に称号を与えることは、その人に変わってもらうためには有効な手段だと言えそうですよね。



称号が私を変えてしまった話


ここからは、思いも寄らない称号が、実際に私を変えてしまったお話をシェアしたいと思います。


高校生時代、私が友人から与えられた称号は、”筋肉”でした。

私のファーストネームはこうきと言うのですが、ある時私の友人が私のことを”こうきんにく”と呼んだんです。

こうきのきの音につられて、言葉を繋げて呼んじゃう類のやつです。小学生が言いがちな”こうきんた○”みたいな感じです。

その時”きんにく”と言う音には何の意味はなく、サウンド的に偶発的に生まれた呼び名でした。


なぜなら、私は特別マッチョということはなかったからです。

運動部に所属する並の高校生の体系でしたから。当時はたしか、身長176cm、体重68kgくらいだったかなと思います。野球部としてはむしろヒョロヒョロなほうですよね笑


しかし、その呼び名が妙に気に入った友人たち。

”こうきんにく”という単なるサウンドから始まった筋肉いじりだったはずが、いつしか私は完全に”筋肉”と呼ばれるようになったんです、いじりとして。


最初は仲間内だけで楽しんでいただけだったので、大した影響力はありません。

私もいじられるのは慣れていたので、ただ高校生同士でふざけ合って楽しんでいたわけです。

しかし、こう言ったニックネームなどは徐々にクラス全体、そして学年全体と広がっていきます。

すると、私は私のことをよく知らないような人たちからも、”筋肉”の人として認知され始めます


そうなってしまった時には、もう完全に「称号」になってしまったわけです。

学生時代の男性というのは、かっこ悪くなりたくない気持ちがとても強いんです。

だから、私のことはよく知らないけど”筋肉”として認知している人たちから、ダサいと思われたくないという気持ちに駆られ、”筋肉”としての道を歩み出すに到るわけです

だって、そのグループ内では盛り上がっていても、外の人は全く共感できない場合が1番さむいじゃないですか。

だから、私個人としても、そして友人たちのプライドを守るためにも”筋肉”キャラを確立しなきゃと思ったわけですね笑

こうしてひょんなことから与えられた称号は、いつしか私のアイデンティティとして確立し、それに相応しい人間に私を変えてしまったわけです。

結果、身長180cm、体重82kgまで大きくなりました。

そして最終的には、筋肉を競う大会に出場したりするまでになるんですね笑

画像1


以上、「変わってもらいたい人には称号を与えよう」という話でした。

いかがだったでしょうか?

称号を与えることが、強い影響力を持っている事をご理解頂けたのではないかと思います。

皆さんも、称号があなたのアイデンティティを形成してしまった経験などお持ちなのではないでしょうか?

昔の記憶など思い返してみてください。


またこれから、人間関係に悩み、誰かに変わってもらいたいと思った場合は、どんな風に変わってもらいたいか考え、称号を与えることを習慣にしてみてください!

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?