短編小説 ゴンと知り合って
かわいい柴犬だな。なんて名前なんだろう。いつもこの時間になるとこの辺りを散歩しているのかな。
柴犬は無邪気に走り回っている、近くには飼い主であろう人が温かい目線で見守っている。こんな関係って素敵だな。柴犬も飼い主に見守られているから、安心してはしゃぐことが出来るんだろうな。
ぼんやりと犬ばかりを見ている。犬はチラッとこちらを見ただけで、次の瞬間には自分のことに集中している。
「犬好きなんですか?」
ハッとして横を見ると飼い主が立っている。特に私を責める気はないようだけど、なんとなく気まずい。
「あ、はい。見ていて気を悪くさせてしまったらごめんなさい。」
「いえ、全然悪くなんか思っていませんよ。犬が好きなのかな、眼差しを見てみると温かく見守ってくれているだなと思ったので。むしろ好意的に思っています。」
「なんだか心が癒されるなと思って。」
「そうですよね、癒されますよね。僕は飼い主ですけど癒されますね。ずっと見ていたくなるんです。だから飼って良かったですね。」
「分かります。」
その後なんとなく無言になり、飼い主はほどなくして別れを告げて帰って行った。犬も満足そうに帰っていく。
ついでに花が咲いていたので見ていると、沈み込んでいた私の心をそっと包み込むように癒してくれる。公園の隅で咲いている小さな花。思わずしゃがみ込み見つめる私がいる。
なんだかこんな時間が好きだったんだな。最近仕事が原因で疲れることが多かった。いろんな人に仕事を押し付けられたり、それを断れない自分がいて、他人に嫌われたくない自分、断れる勇気がない私自身に嫌気が指したりしていた。
こんな何気ないで幸せを感じた。明日は休みだから、同じ時間にあの公園に行ったらまた会えるかもしれない。明日もこの時間に公園に行ってみよう。好きな花なんかを見ることも出来る。
毎日は仕事があるから無理でも、休みの日は外出するきっかけが出来た。今までは休みの日はグッタリして外出することも億劫になっていた。もう今日はやめようと思う日がいつもだった。
あの柴犬に会いたいから、そこで花を見たり、もう少し遠くまで行って、のんびり散歩すること、新しい日常の中の喜びを知った。これは私の中で大きな変化だ。
翌日ちょっと気持ちが弾みながら外へ出かけた。あの犬に会いたい。ただそれだけなのに。昨日と同じ時間にあの公園へ行くと、あの犬がはしゃぎ回っていた。昨日を繰り返すかのように。
あの犬は何百回、何千回ああやってはしゃぎ回るんだろう。
「こんにちは。今日またこの時間に来たら会えるかもって思っていました。まあいつもこの時間に散歩しているんですけどね。」
「私も同じようにこの時間にこの公園に来たら、あのワンちゃんに会えるかなって思っていました。」
「ゴンって言うんです。知り合いが助けた犬をもらい受けたのがこのゴンなんです。」
「そうなんですか。」
「僕がもらい受けたときは弱っていてあんなに走れなかったんですけど、今はこうやって走り回れる。それもあってゴンには好きなだけ走り回らせてあげたいんです。」
飼い主の愛情がこちらにも伝わってくる。
「もらい受けた当時と重ね合わせる時があるんですね。」
「はい、当時はとてもじゃないけどこんなに走り回ることが出来なかった。だから時々あの頃のゴンにこんなに走り回っているよ、すごいだろって独り言を言ってしまう時があるんです。周囲の人からしたら気持ち悪いと思うでしょうけど。
その一方で僕自身もゴンをこうやって眺めていたいんです。当時と重ね合わせるだけじゃなくて、ただ見ているのが嬉しくて。それがゴンの望むことなら叶えてやりたい、そう思っています。」
「その背景を知れば誰だって納得しますよ。」
「ありがとうございます。」
空は少しずつ暗くなり始めている。
「ゴン。」
「ワン。」
大きく吠えると一目散に飼い主目掛けてアタックしてくる。
「よしよし、この方に挨拶をしようか。」
「ワン。」
「ゴンちゃん、幸せそうだね。」
ゴンの頭を撫でていると、ゴンは尻尾をブンブン振り回している。近くに飼い主もいるから安心しているのだろう。
「僕は在宅で仕事をしているので、この時間にここへ来ていることが多いです。もし良ければまたゴンに会いに来て下さい。」
「はい。」
「じゃあゴンそろそろ行こうか。」
「ゴンちゃんバイバイ。」
ゴンは嬉しそうに飼い主と歩いて行った。あの人といることがゴンにとって1番の幸せなんだろうな。
じゃあ私の幸せって何だろう。
ここに来るまでは少しも幸せを感じられなかった。仕事を押し付けられたり、無理を強いられたり。若いからとか大人しいからとかそんな理由だけで都合よく扱われていた。
私には私の生活があり、私の人生がある。利用されるだけの人生じゃない。
私の性格からすると、すぐには大きくは変えられない。でも小さくは変えられる。押し付けられた仕事をまずは1つ断ってみよう。まずはここから始める。
相手がどうしてと聞いてきても、やりませんとだけ伝えて。それも出来なかったらただ無言を貫くだけ。そうやって少しずつ状況や私が生きやすい環境を自分で作っていく。誰もこんな風にはしてくれないのだから、私自身で作っていかないと。
もし問題化されたら、事情をありのまま伝える。そこには相手への配慮は要らない。それでも相手が文句を言うようであれば、私はそこから離れて、またゴンに会いに来よう。
ゴンという小さな存在が、私の居場所の1つとなった。