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"武士"の日本

 日本の政治史において、"天皇"とならぶメインプレイヤー、政治の実行者、為政者として"武士"の存在を外すことはできません。もはや現代においては絶滅してしまった存在ですが、それでも今から150年程度遡るだけで彼らの足跡に辿り着くことはできます。多くの外国人が日本という国を語る時に「サムライ」「ハラキリ」という言葉を用いるように、日本においての最も分かりやすいアイコンは未だに"武士"です。最近はそうでもなくなってきたかなあ。
 中学生が使う教科書「東京書籍 新編 新しい社会 歴史」の構成として一つ特徴的なのは、7つある章のほとんどが最初に世界史を扱い、その後で日本史を学んでいくというところです。しかし、武士が初登場する第3章のみ、一番初めに登場するのは世界史ではなく日本史。第3章の1番最初のテーマは「武士の成長」です。その事実だけを見ても、ある視点から捉えた時に"武士"とは日本史において特異な存在であるということが計り知れます。

 なぜ武士がメインプレイヤーになれたのか。強かったからです。
 武士は元々、天皇たちのボディーガードでした。元々は役人だったり、地方の豪族だったりした人たちが、時代の求めに応じて戦いの力を磨き、偉い人たちを守るプロになっていったのが武士のおこりです。現代の言葉で置き換えれば"軍人"ということもできるのだと思います。彼ら軍人が、あるタイミングで自分たち自身が権力を握れることに気づいてしまったのが幕府の始まりだったのかもしれません。
 彼ら武士にとって権力の源泉とは"力"なわけです。故に単純明快で分かりやすく、親しまれやすかったのかもしれません。武士の世界は極めてマッチョイズムに満ち溢れており、ひょっとしたら新自由主義的なものとの相性は抜群だったんじゃないかなあと思うことはあります。BreakingDownみたいなやつが人気出るのも、大体同じ理屈なんじゃないだろうか。
 江戸時代の美意識として「いき」とか「いなせ」というのがありますが、あれは命のやり取りに常時さらされていた軍人らしい、刹那的な世界の中で育まれたものだったのかな、と感じることもあります。「切腹」もたぶんそんな感じ。

一部界隈で有名な、「侍の本懐」についてアツく語るおじいちゃん侍。なるほど分かりやすい。この後殺されます。by「バンデット」

 なぜ武士がメインプレイヤーになれたのか。もう一つ理由があります。それは、彼らもまた"天皇"という存在と切り離せないものであったからです。
 歴史における武士の成り立ちというのは、天皇のそれに比べるとずいぶん分かりやすいものではあります。要するに分業制が進む中で生まれた職業軍人たちが、下手に力を持ってしまったのでクーデター起こしてそのまま政治家になっちゃったようなものだと考えるとよいと思います。今もミャンマーでは軍が権力を握っていますし、少し前までは韓国も軍事政権と言われていましたから、まあそれなりに起きうることではあるのでしょう。
 ただ、現代的な「軍事独裁」と若干趣が異なるのは、そもそも彼ら武士も元を辿れば天皇の親戚であったという点です。「武士の棟梁」と表現される二大巨頭の源氏と平氏は、元を辿れば同じご先祖さま(=桓武天皇)に辿り着きます。実際のところは親戚と言っても相当離れています。彼らは自分が権力を握るときは、親戚たる天皇の存在を最大限利用してかかります。平清盛は、自分の子を天皇に嫁がせる藤原家大作戦をしました。源頼朝は天皇から任命される「征夷大将軍」という肩書きによって、あくまでチーム天皇の1部門として機能しようとしていました。
 戦国時代になっても天皇の存在を利用しようとする動きはあまり変わらず、織田信長も徳川家康も、本当かどうかはさておいて天皇の一族であることを示す「平」「藤原」といった姓を名乗っていました。豊臣秀吉に至っては、天皇におねだりをして「豊臣」という姓を新しく作ってもらっていたりします。めっぽう強かった彼らでも、権力を握るためには天皇という存在が欠かせなかったというところです。欠かせなかったというよりも、手っ取り早かったのかもしれませんが。

「農民あがりの秀吉が、バリ偉い人たちとの会合に舞い上がる!!」みたいなシーンは創作でよく描かれています。これもその一つで、左が秀吉、右は天皇。実はこの瞬間、秀吉は天皇を毒殺しようとしていますが、後光には抗えない。by「へうげもの」

 そんなこともあって、武士はメインプレイヤーとして政治を行っていたのだけれども、形式的にはあくまで"事実上の権力者"に過ぎず、その権力の源は天皇からもたらされたものであった、ということが言えると思います。
 中学の教科書では「武士政権」という言葉が用いられていて、現代でも「◯◯政権」の「◯◯」に名前が入る人がいちばん偉いみたいな風潮がありますから、この時いちばん偉かったのは武士!のように見えなくもないのですが、必ずしもそういうわけではないのです。
 武士は、一見すると「力こそ全て!」みたいなちょっとアレな価値観があるように見えますが、そうではなく、実はだいぶややこしいことをしながら政治を行っていたということです。このややこしさって、分かろうとしないと分かれない部分が結構あるんじゃないかと思っていて、こうしたややこしさが、ある種の日本の「あいまいさ」の一因になっているんじゃないかと、最近の私は感じています。曖昧というより、何かしようとすると途端に面倒くさくなる、みたいな感じかな?

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