見出し画像

Mystery Train stopped at Crossroads~オンラインバンドコラボ~Mystery Train/Elvis Presleyカバー 後編

前回、note上での出会いがきっかけで人生で初めてのオンラインでのバンドコラボについて書いたが、

そこでカバーしたエルヴィスの「Mystery Train」って曲は個人的に色んな思いが詰まっている感じがする象徴的な曲・・・って気がしたので結構長くなるが一つ昔話をしてみようと思う。

20年ぐらい前、丁度それまでやっていたハードロック系のインディーバンドが解散する頃、自分のギタープレイの興味はブルースやロカビリー、それらをクールに奏でるために必要な要素であるジャズ・・・に大きく傾いていた。

元々ギターを始める前の少年時代にエルヴィスにハマったことがきっかけで音楽フリークになったので、そうなる下地はあったもののギターを始めたことでギターが聞きとりやすいメタルやハードロックに一気に傾倒し、90年代中盤から2000年代初頭の青春時代は、、髪を伸ばしバーンやYGを発売日に買い、週末はパワーロックトゥデイを聞き(隣県なのに電波が悪かった実家でこれを聞くために結構な出費をしてアンテナをつけた記憶がある)、80年代ほどではないがまだまだ盛んだったメタル系の来日公演に行き、今思えばメタルバブル終焉直後のメインストリーム感がギリ残る90年代中後期のメタルシーンをそれなりに満喫し、メタル系バンドマン/リスナーとして過ごした。まさに「ほんの少し乗り遅れたメタルキッズ」だったのだ。

そんな自分がヴィンテージロックのギターの凄さに改めて気づいたのは、そろそろ青春が終わろうとしている20代後半に差し掛かかった頃、初期のエルヴィス・・・子供の頃散々聞きなれた曲の後ろでなっているギターを改めて聞くとどうも想像よりはるかに難しい事をしている気がする…と思い始めた事がキッカケだった。

最低限の演奏が成り立つようになるには結構な練習量を要するテクニカルなプレイが必須・・・なメタルのプレイヤーだった自分も御多分に漏れず、5,60年代のギターワークは進行や構成もシンプルでイージー、大は小を兼ねる、早く弾けるメタルを始め現代のギターワークの方がテクは上・・みたいな言説を鵜吞みにしていた。・・・ギターを始める前はロック誕生~70年代ぐらいまでのヴィンテージロックを一通り聞いてある程度耳が肥えていたはず、にもかかわらず。

勿論一方で本当のうまさというのはそういう単純なものではない・・みたいな意見もあるのは知ってはいたが、自分に都合の悪い言説は聞かなかったことにして現状を肯定したいお年頃だったのもあってその辺りはあまり深く考えないようにしていた。

しかしギター初歩の単純なアルペジオ・・・に聞こえたエルヴィスの初期音源の伴奏には、低音弦側でベースラインを弾き高音弦側でメロディーを弾く、初歩どころかギター修行道3000年・・みたいなカントリー由来のギャロッピング奏法が多用されている事実やロックギター教則本の一番最初に載ってるようなロックンロールの基礎フレーズは実際にオリジナルの音源で弾かれているものをよく聞けばリズムがストレートではなくかすかにスウィングしておりジャズやブルース等をはじめ全方位的にいろんなジャンルに精通・マスターした上で初めて導き出されるような極めて高度な演奏だったり・・みたいな事実に気づけば気付くほどこのままではいけない、という思いが日増しに強くなっていった。頭の片隅でどことなく気付きつつも後回しにしていた事が明確で逃れようのない形となって自らの前に立ちはだかっているように思えた。

周りにいるバンドマンや周辺にいる音楽仲間にその衝撃を伝えたところで、やはり皆基本的には一般論に従って自らの音楽観を形成しており、又言っている事の意味は理解できても今我々がすべきはそういう事ではない・・・とあまり真剣に取り合ってもらえず孤軍奮闘が始まった。

冒頭でバンドを解散した頃、と書いたが解散理由はバンドの人間関係や各々の私生活その他のバランスが崩れ悪い偶然が重なりコントロール不可になった・・・みたいなありがちなものの他にこの事が大きく影響していたように思う。

当時やっていたのは80年代メインストリームHRの影響を全面に出した日本詞のバンドで、2000年代初頭という時代を考えると完全に時流から外れており、逆張り的に希少性をウリにして突破口としつつメインストリームに溶け込もう・・との目論見で活動しており、ローカルなTVやラジオぐらいでなら映像や音楽が紹介されたり、リアルタイム体験組の関係者なんかには結構支持を集め、彼らを中心にそれなりに色々と便宜を図ってもらえる程度には比較的順調に歩んでいたバンドだった。

2,000年代初頭に一般世間にも受け入れられることを放棄しない活動ルートを選択しているインディーバンド界隈において80年代アメリカンHRですら難しいのに、更に日本人には馴染みが薄いというか根付きにくいアメリカンでルーツでヴィンテージでブルースを謳う事がどれだけ空虚で空しく空回りする事だったのか…は同じような空間に身を置いた人間にしか理解できないかもしれないが、そういう場所において周囲の人間が「良かれ」と思ってこちらに提案してくる諸々はそのどれもが、ルーツロックの追求とは程遠いもので会話をしても一事が万事自分が見ている方向とは真逆の発想が根幹にあり全く嚙み合わない事ばかりだった。

又バンド内部でも、メイン作曲者かつリードギターかつ創始者である自分がバンドのルーティーン活動を疎かにして音楽的探究にうつつを抜かす事を快く思わない・・・と言わんばかりの圧で満ちていた。

自分としては目の前のバンド活動を疎かにするつもりはなく、より音楽的な基盤をしっかりとした本来あるべき姿にしようとしていただけだったのだが、メンバー全員に焦りの気持ちもあり、自分のようにだからこそ腹をくくって根幹を変えようとするスタンスの一方で、なりふり構わず付け焼刃でより俗だったりお茶らけた方向、バラエティ~イロモノ方面へ歩みを進めることも辞さずに自分たちの音楽的にフェイクな部分をうやむやにする/覆ってしまおう、売れてしまいさえすれば何もかもを打ち負かす免罪符になりうる・・・というスタンスの人間もおり、溝は深まるばかりだった。

それらの軋轢は自分が「全てを断ち切らないと純粋にギターの修行だけには打ち込めないし、納得した自分になれない」と決心させるには十分すぎるぐらいの雑音だった。今でも覚えているが当時のバンド内で一番の理解者だった相棒サイドギターへの口癖が「人里離れた山に籠って音楽ギター修行がしたい」だった笑

その頃に「絶対にこういうのができるようなプレイヤーになりたい」とギリギリまだ若者と呼んでも差し支えない年齢だった自分が一番の目標に掲げたのが今回カバーしたミステリートレインだった。

ロカビリーやカントリー系の奏法に関する有用な情報は日本国内では殆どなく、50年代のロックギターを指南するものがあったとしても簡単に弾ける部分にフォーカスしたようなものばかりで「50年代・ロカビリー」を謳いつつカントリーやジャズからの影響を抜いた、自分にしてみれば「一番欲しい肝心なところが抜けている」ものが大半を占めていた。

それまでに培った音楽フリークの感覚として、そのテの奏法に関しては多分本場アメリカは結構充実してそうだな・・・と予測はついたものの、当時は今ほどネットも発達しておらず、手本となる教則的なものを見つけるところから・・・というマイナスからのスタートだったがそれでも執念でどうにかこうにかかき集めた情報をパズルのように自分なりに組み合わせ試行錯誤で3歩進んで5歩下がる・・・みたいな感じで初心に戻ってギターに向き合う日々が始まった。 

大手楽器屋の片隅に長期在庫品のようにポツンと置いてあった結構役に立つ輸入楽譜も人気がなく数も大して発行されていなかったのか平均的な譜面より高価だったので何度も立ち読みして内容を頭にたたき込んだり・・・なんてこともしたものだ。

身から出た錆とはいえバンドという居場所もなくし、うまく立ち回れば悪くない働きをしたであろう人間関係や人脈とも距離を置き、ひたすらできるようになるかもわからない、出来たとしても一般的なギタリストとしてはあまり役に立たなそうなマニアックなギターリックをひたすら追求、一つ課題をクリアするとその事によって立ちはだかる新たな課題、進歩があったとしてもごく僅か、無茶がきいた20代前半までとは違って長時間ギターを練習すると痛くなる腕や肩、若さを失いつつあり焦る気持ちが常に付きまとう日常・・・と損得で考えたらどう考えても損ばかりの負けシナリオを進む自分を支えたのはひとえに「ちゃんとしたロカビリーがやりたい、ギャロッピングをどうしてもマスターしたい、サン時代のエルヴィスを弾きこなしたい、スコッティムーアやジェームスバートンのようなジャイアンツに少しでも近づきたい、そして「ミステリートレインを弾きこなしたい」・・・だったのだと思う。

研究すればするほど彼ら初期RRのサウンドを形成したジャイアンツ・・・というよりもモンスター連中の「凄み」に打ちのめされ、ほんの一つの音符のニュアンスを出す事すら躓く始末で、この時期は彼らに近づきたいがあまり「根本的なライフスタイルから見直すべきなのでは?現代人の自分達がネットに何時間も費やしたり深夜までやってるTVなんかを見てるようなインスタントで短絡的な刺激を享受するだけの享楽的で受け身なライフスタイルがよくないのではないか」・・みたいなまるで犯罪の原因を短絡的に映画やアニメやゲームに転嫁する連中のような事まで言い出すぐらいに思考が歪み判断力を失っていた事もあった。今では笑い話でしかないが当時は結構真剣だった。

そこからは紆余曲折あり、まがいなりにもその数年後には自分の中での及第点をそこそこクリアする程度にはロカビリーやロックンロールもプレイできるようになり、自分のやりたい音楽・弾きたいギタースタイルを大きく逸脱することなくギャラを取ってギターを弾く生活をしたり、自分にとっては憧れの、約束の地アメリカで演奏するチャンスに恵まれたり、と色々あったがその辺の話はまた機会があれば・・・・。

話が前後してしまうが、自身のHRバンドを解散させ身軽になり、これからいよいよ本格的にギター修行に取り組むぞ・・・と言う時にギタリストとしてキャリアアップできそうな話が舞い込んできたことがあった。そこで要求されるであろうプレイスタイルは多分その時点で得意としていたHR的なプレイで論理的には結構なチャンスのようにも思えたし、多分20代後半の後がない音楽家志望の若者がとるべき選択はもっと身を乗り出してその話に貪欲に食いつく事だったのだろうが、 その話を先に進める方向の選択はしなかった。

得意分野とはいえ自分がやっていたインディーバンドとはシリアスさが格段に上がる世界、「スタイルチェンジのためにギター浪人のごとく思う存分修行に打ち込む」計画はキャンセルせねばならなくなるのは明白で、これまでの活動の上位互換としての「若手ハードロック系ギタリスト」として期待される任務を今までよりも重大な責任感を伴ってこなさねばならず、真剣勝負の芸事世界特有の「若手には自由意志や選択権無し」の日常が待ち受けているのが見えた気がしたし、何よりも「ギターは歪んでてナンボ」の世界にこれ以上いるのがどうしても嫌だったのだ。

色々と経ていい年になった大人の頭で考えると、ああいうのを若気の至りっていうのかな・・なんてことも思うが、自らのバンドを続行して色々と阿っていたり、芸能界的なわかりやすいスポットライトを追いかけてキャリアアップする選択をしていたらやっぱりこの年になって「初心に戻ってギターに向き合わなかったのは若気の至りだったのかもな」・・なんて考えてるかもしれない。少なくとも「自らがある程度納得のいくプレイができるプレイヤー」「なりたい自分」にはなれていなかったような気がする。

ミステリートレインの歌詞を聞きながら、過去の自分が人生のCrossroadに立たされそこにやってきた「ミステリートレイン」は自分から何を連れ去って何を運んできたのか?交わした悪魔との契約は吉凶どちらに転んだのか・・・・等と考えつつ偶然にもエルヴィス46回目の命日が終わろうとしている真夜中の瞬間にメランコリックになるオッサンポエマー・・・なのでした笑




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?