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「米津玄師の昔の曲もいいぞ。」って話【好きなものを語る】

 今や知らない人が圧倒的少数になったアーティスト『米津玄師よねづけんし(ふりがなも不要なくらい)』ですが、活動時期が実はめちゃ長いことは一般的じゃない気がしてます。

 カエルはニコ厨ニコニコ動画中毒者であり、かつ『ボカロ』『歌ってみた』厨だったので、『ハチ』名義も『米津玄師』名義も、それなりに馴染み深い想いがあります。

 米津玄師といえば『アイネクライネ』でしょうか? 『ピースサイン』でしょうか? 『Lemon』でしょうか? それとも『M八七』でしょうか。
 
 カエルは『ゴーゴー幽霊船』です。

 古参アピールであるのと同時に、マジで鬼リピートしていた時期があります。たぶん今でもソラで歌えます。

 ちなみにハチ名義だと『リンネ』ですね。腐るほど【歌ってみた】で聴いたので。

 バル子のリンネが中でもヘビロテだったなぁ(ヲタバル厨だったので)

 
 さておき。
 米津玄師ファンなら『ハチ』名義の曲を聴いたことがないという人はいないでしょうけれど、では『ハチ』が幾つから活動していたか、まで調べた人は米津玄師ファンの1割以下になるでしょう。
 それくらい、分母が膨らんだアーティストが【米津玄師】という存在ですから仕方がありません。

■長いのでWikipediaから引用

・生い立ち
1991年3月10日に徳島県にて誕生。
漫画家を志していた。小学5年生のとき、当時インターネットで流行していたFLASHアニメーションを視聴し、使用されていたBUMP OF CHICKENの楽曲に感銘を受ける。
中学3年生のころからMTRを使い、オリジナル曲の制作を開始
平行してアマチュアバンド「late rabbit edda」のフロントマンとして活動、2008年には、10代限定ロックフェス第1回「閃光ライオット」のデモテープによる1次審査を通過したものの、スタジオでの2次審査は落選した。

・2008年 - 2011年:クリエイター”ハチ”として活動開始
ニコニコ動画で平沢進の存在を知り、創作に強い影響を受ける。
パソコンの新調を機にDTMを始め、「ハチ」という名義で約30曲程度の本人歌唱のオリジナル曲をニコニコ動画などにて発表したが、しばらくしてすべて削除している。
これは、楽曲に自身が影響されたものが色濃く反映されすぎていることが理由として挙げられている。
また、「ハチ」としての活動の前に「ミナソコ」という名義で活動を行っていた。
この時にはゲーム実況なども行っている。
大阪芸大付属大阪美術専門学校に通いながら「Ernst Eckmann」というバンドでも活動を行う。このときはベースとボーカルを担当していた。

・2009年よりVOCALOIDを使用したボカロ曲の制作を始める
5月にはニコニコ動画にて、初音ミクを用いた処女作「お姫様は電子音で眠る」を発表。「沙上の夢喰い少女」を発表した2010年5月3日よりサークル「南方研究所」にメンバーとして参加し、同年自主制作アルバム『花束と水葬』『OFFICIAL ORANGE』を発表(両作とも2013年に全国流通盤が発売された)。
2011年までに「結ンデ開イテ羅刹ト骸」「マトリョシカ」「パンダヒーロー」を初めとする、ミリオン再生を記録したヒット曲を発表した。

Wikipedia

 米津玄師が『ハチ』として活動始めたのが2008年ですから、17歳の時にはとっくにインターネットクリエイターとしてデビューしていて、それ以前にバンド活動しているので、15歳のときにはクリエイターとしてスタートしています。
 
 2014年には『アイネクライネ』が東京メトロのテーマソングとして起用され、メジャーデビュー後の代表曲であるのと同時に、メディアやお茶の間に広まるきっかけの1つになってます。


(蛙・ω・)<アイネクライネも流行ったよなぁ。カラオケで毎回歌ってた。

 ニコ厨の諸兄らには一般教養だった、

『作詞・作曲・編曲』『ボカロ調教』
『歌唱』『イラスト』『動画作成』
全てを一人で完結させる天才

 が広く知られたのはきっとこの頃でしょう。

 その後、『LOSER』で「ダンスまで出来る鬼才」と謳われるようになったので、「あとはコスプレくらいか!?」も言われていたのが懐かしいです。

 
 今でこそ世界的アーティストの1人である『米津玄師』ですが、メジャーデビューまではほとんど表舞台に立たなかったので「謎のアーティスト」と言われていましたし、「本当に一人で全部作ってるのか?」とも噂されていました。

『ゴーゴー幽霊船』や『vivi』などの本人が歌っているものから、

『マトリョシカ(2010)』『パンダヒーロー(2011)』『ドーナツホール(2013)』と言った有名ボカロ曲、全て米津玄師によるイラストです。

 
 めちゃくちゃ懐かしいし、今聴いてもボカロ曲としてイイのがすごい。
 
(蛙・ω・)<個人的な好みとしてはやはり『ゴーゴー幽霊船』と『vivi』のイラストレーションが好きだなー。

『ゴーゴー幽霊船(2012)』とか今見てもかっこ良くない?

 
 CDのジャケ写も米津玄師が描いてました。『YANKEE(2014)』のジャケットとか特に好き。

初回限定盤(画集版)のジャケット

 
 活動期間が非常に長いため(現在31歳)既に16年以上クリエイターとして活動していることになります。
 そのぶん他アーティストに与えた影響も大きく、アーティストの『DAOKO』は『打上花火』で紅白歌合戦に出場してたり。

 山田健人(映像作家)、菅田将暉(俳優)と共に制作した『灰色と青(2017)』 はYouTubeにおいて2億4千万回再生という驚異的な数字にもなっています。

 
 
 とまあ、人が知ってそうな知らなそうな情報をつらつらと書いてきましたが、懐古厨のカエルとしてはやっぱり昔の曲を聴いてた回数が圧倒的に多いなーって改めて思いました。
 近年の曲も好き[(蛙・ω・)<シン・ウルトラマン本当に良かった]と思いますが、ニコニコ動画というカルチャーにどっぷり浸かってた時期が長かったので、その頃に聴いてた曲のほうが馴染み深いし、曲に対する想い入れもあります。
 
『結ンデ開イテ羅刹ト骸(2009)』とか、異彩を放つ楽曲も、

 カエルにとっては【歌ってみた】界隈の住人である『腹話』の印象が大きく、

「ハチが作った楽曲」、というより「歌い手がたくさん歌った曲」みたいなイメージが強いです。

 それもこれも、米津玄師ハチが曲を作ってくれたおかげなんですけれど。
 
 カエルの「好きなもの」をさらに増やしてくれた米津玄師には感謝しかありません(o・ω・o)
 
 米津玄師を好きな人も、ハチを好きなひとも。
 米津玄師を聴いたことがない人も、ハチを今日初めて知った人も。
 
 良かったら一曲聴いてみませんか?

□ピースサイン(2017)


 
(蛙・ω・)<また、米津玄師の曲を聴いて回りたくなったなぁ。今日は米津玄師縛りで作業用BGMにするかぁ。


□余談

 米津玄師の楽曲をカバーしたり、それを引用して出来たコンテンツもカエルは大好きなんで、やはり『良いもの』や『好きなもの』は派生するんだなぁ。

 って思う。

■僕のヒーローサテンさん【佐天涙子×僕のヒーローアカデミア】:ふぉー_

■【女性が歌う】ピースサイン/米津玄師『僕のヒーローアカデミア』(Covered by コバソロ & 春茶)


(蛙・ω・)<「佐天さんを好きすぎる人」ことふぉー_さん、めっちゃ好き。

 3月10日は「佐天さてんさんの日! そして米津さんの誕生日!」とのこと。
 余談でした。

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