『気持ち悪い』がキーワードの劇場版アニメ『ふれる。』観た。※ネタバレあり
(蛙๑╹ω╹๑ )<『不気味の谷』という言葉をご存知だろうか。
(蛙๑╹ω╹๑ )<てことで、観てきた。『ふれる。』
「面白い・面白くない」
の二択では主観的には「面白くない」
「良い・悪い」
の二択では、客観的に観て「良い」
というのを踏まえて書いていくのだけれど、
❑何を伝えたいかは最後までよく解らない
だから「面白くない」という訳ではなくて。
この作品を観た多くの人は「何なんだろうこのアニメは」という感想を抱くと思う。
謎の存在『FURERU』と接触した事で、相手との障害になる感情をフィルタリングして意思疎通が直接できる力を得た主人公3人。
フレルの真相がだんだんと明らかになっていく(最後まで何なのかは不明)なかで、これまで上手くいっていた3人の関係が悪化したり、3人以外との関わりで3人の関係性はさらにこじれていく。
そしてそれらのほとんどは解決しない。
パッと見解決したのは、ナナのストーカーが捕まったくらいか(その後の処遇は描かれてないので解決してないかもだけれど)。
つまり、日常生活の中で超常現象が起きたが、だからと言って何かが「万事解決」したという事は一切ない。
主人公3人の関係も、フレルを介さずに話せるようになった。
というだけで、関係性は『親友』から変わっていないし、互いに悪感情を抱く時もある、というごく普通の事が明らかになっただけで、だからと言って『親友』は『親友』のままである。
それを『本当の友達』とか言うのかもしれないが、客観的に見れば「だからどうした」の一言である。
何を伝えたいかは最後までよく解らない。
ただ、そこでカエルが主観的に感じたのは、
(蛙๑╹ω╹๑ )<このアニメーションは、私たちの現実と『アニメ』という非現実の境界線を限りなく曖昧にする事が目的だったのだろう。
という推察である。
❑キャラクターが『現実的』で嫌だ
だから「悪い」という訳ではない。が、
突然居候する事になったナナがキモい。
顔が良い高身長イケメンという『好みのタイプ』に惹かれつつも、良い雰囲気になれば低身長、コミュ障のファッションオタクという『好みじゃないタイプ』にも靡くナナ。
どういう経緯で次の家が決まる前に、前の家を手放す事になったのかは分からないが、そんな行き当たりばったりで主人公らの家に転がり込んで来るナナ。そしてそれを幇助するジュリ。
ハッキリ言って、どちらもキモい。
ジュリはジュリで強かで、主人公らが同性愛者であろうという推察のもと、この家に親友であるナナの身を置こうと算段し、自身も荷物を置いて居候する。
まあ「アニメだから」で説明してしまえる事ではあるが、端から見ていて「コイツら何考えてんだ?」という感想を抱くのはごく当たり前である。
また、主人公らがヘテロだと分かると、そのうちの1人と普通に付き合っている。
(蛙๑╹ω╹๑ )<ちなみに、秋がジュリに「好きだ」って伝えた時に障子越しから「俺の女に手ェ出すんじゃねぇよ」ってコイツが出てきた時、本気で気持ち悪かった。ぞわぁってクる鳥肌的な気持ち悪さ。
お前ら仲良しこよしの友達の振りしておいて一つ屋根の下でやることやってんのかよぉ……。ならとっとと出てけよ。
という。
ヤッてるヤッてないの問題じゃなくて、付き合ってる素振り見せずに、陰では「やってんねぇ!」なのがキツい。
まあ、フレルのせいで伝わってなかっただけで、諒は秋に前もって伝えていたワケだけれど。
そしてジュリ。
秋の事は「弟みたいなもん」として異性扱いはしていない。だが距離感は異様に近い。
そのバグった距離感で異性として何も感じさせないのは無理でしょ。
付き合ってんなら秋との距離をちゃんと取れよ。襖一枚越しの距離感で良いから。
(蛙๑╹ω╹๑ )<とは思った。
てことで、そのリアルさがキモい。
キモいが、現実世界では実際ままある事情と情事とも言える。妙にリアルだ。
そしてこのナナとジュリの2人は、「お互いの考えている事が解る。とかいうキモい設定」「隠し事もできないとか、怖ぁ」と思いながら主人公ら3人との関係性を構築している。破綻するまで構築し続けてきた。
(蛙๑╹ω╹๑ )<こわぁ……。
あぁ、あと、助けてもらった身とは言え、お礼のロールケーキを既に準備して、主人公が働くバーを2人で探し歩いて、探し当てたのも、普通に考えて怖い。
❑ジャパンアニメーションのメインストリーム『YOASOBI』が主題歌
一時期の『アニメの見せ場で "歌ありのアーティスト曲を流す" 演出』を明らかに意識している。
カエルの主観では、意図的にYOASOBIを起用している。
それは一般ウケを狙っているワケではなくて(無くはなかろうが)、「今のアニメの超現実的な主題歌はYOASOBIでしょ?」という揶揄的な演出の一環であると考える。
実際YOASOBIの『モノトーン』は良い曲だ。
楽曲を聴いてみると、メッセージ性があって、盛り上がりがすごく良い。
狙ってる感、という捉え方もできるようになっている。
※(蛙๑╹ω╹๑ )<あくまでカエルの主観です
❑その他色々な現実感と非現実感
・バーの準備中に店内に入ってきて、スタッフの賄い飯を2回も食い、新しいレストランの厨房に突然スカウトしてくるレストランオーナー
・「わざわざソレ今言う?」みたいな余計な一言が多いキャラクターたち(特にメガネ)
・突如家に押しかけてきて『フレル』の真相のサワリ部分を寝言で伝える恩師
・ストーカー行為に至っても学校を続けれていた講師
※ナナが自分の態度の後ろめたさから告発/通報してない可能性は高い
(蛙๑╹ω╹๑ )<と、まあ、ほとんど批判のような内容をつらつら書いてきたワケだけれど、上記の理由からカエルは、
「面白くない」だけど「良い」
という評価をつけた。
そんな感じで、
意図的に『気持ち悪い』を意識したアニメ
という考察のもと、作品を評価してみました。
(蛙*^ω^*)<作画、音楽、声優【ナナとジュリ、服飾学校の生徒3人の声】とか、基本的な所は劇場作品の水準をしっかり上回っていて良かったし。
オタクにありがちな、
みたいな願いが『ふれる。』で叶えられるのはけっこうデカい。ありがとうございます🙏😭ありがとうございます🙏😭‼️
というオタク的付け足しをした上での総括で、
「一回なら劇場で観ていいアニメ」
かな、って思います。
あくまで個人的に。
(蛙๑╹ω╹๑ )<そんな感じ。
❑メタな話
(蛙๑╹ω╹๑ )<蛇足ですが。
ブロック、とか。フィルター、とか。
だいぶSNSを意識してるセリフが多かったので、SNSを現実に投影させたらこんな風な見え方なのかもなー、とも思ったりしましたね。
明らかに、『フレル』=『Twitter的なSNS』
のメタファーですよね。
あ、ナナとジュリはInstagram的なメタファーかな。イケメンや他人から見た評価の様な『バエ』が重要視されていて、本人たちのいないクローズされたグルーピングで本音の暴露トークしてる感じ。
悪意を持たせるように描かれてますよね。
加えて、『触れる・触る』=『祟る』
という呪術的な意味も持たせてるんだろうな、と。
そもそもフレルは祀られていた「神様だか妖怪だか」の存在なので。
主人公らは、自動で嫌な事をフィルタリングして意思疎通を可能にしてくれる、『便利なチカラ』に祟られている。
っていう主人公のSNSに頭までとっぷりと浸かった現実をアニメで表現したかったのかな。
でなきゃフレルが暴走してあちらこちらで本音が勝手に相手に伝わって人が怒りでパニックになる、なんてクライマックスをわざわざ画で見せないよな。
(蛙๑╹ω╹๑ )<なんて。
❑批評として
そして。正直これらを、「本気でこれが面白いアニメ」と考えて作ったのだとしたら、
相当、気持ち悪い。
(蛙๑╹ω╹๑ )<と思う。二重の意味で『気持ち悪い』がキーワードだな、と。
みなさんはどんな感想抱きましたか?
面倒くさがらず、このアニメに抱いた感想を自己解釈してみると、面白いかもしれません。
(蛙๑╹ω╹๑ )<そんな感じでした。
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