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「底辺の仕事ランキング」騒動に見る日本の問題点

就職活動情報サイトに「底辺の仕事ランキング一覧」なるものが掲載され、大いに批判をあびていると報道があった。

この記事に関する一般的な問題点については東洋経済の上記記事の指摘をごらんいただきたい。

一方で、これは「職業差別」につながるという以上に、根深い日本社会の病理を反映しているように思ったので、独自の切り口から分析してみたい。

まずは感情的に・・・胸くそ悪い

と、論理的な分析に入る前に、わざわざこの記事をブログにまとめてみようと思ったのは、胸くそ悪い思いを抑えられなかったからである。

例えば、このランキングの中には「保育士」「介護士」というものが含まれているが・・・この記事をまとめたやつらは、これらの職業を「底辺」と断じる以上、子どもができても保育園には預けないんだな?自分が年老いても介護士の世話にはならないんだな!?

「底辺」と蔑ずみながら、ちゃっかりサービスを享受するなど、どういう神経をしているんだ??

このランキングに挙げられているものは、いずれもなければ社会が回っていかないものばかりである。社会に必要な職業なんだ・・・こんなつまらないランキングを作って雑誌を売っている奴らなんかより、よっぽど世の中の役に立ってるわ!!

一方で、ランキングをありがたがる国民性にも・・・

一方で、私を含めて、何でもランキング、ランキングと、ランキングをありがたがる国民性にも問題があるのだと思う。

美味しいラーメンが食べたかったら「ラーメンランキング」、観光地に行ったら「観光スポットランキング」など・・・

どのお店も魂込めてラーメン作っているはずだし、そもそも味の好みなんて人それぞれなのに、雑誌やネット情報の「ランキング」という1つの物差しに当てはめて世の中の価値判断をしてしまうことに、我々は知らず知らずのあいだに慣らされてしまっている。そして、我々もそういう尺度での情報を、求めている。

そもそも一定の需要があるから、こういった企画も生まれるのだ、と自戒を込めて指摘しておきたい。

「情報化」が生み出す問題点

インターネットもない昔。「子が親の仕事を継ぐのが当たり前」といった時代もあったと思うし、職業選択の価値判断なんて親や親戚、近所のおっちゃんや友達などを見て、だいたいその範囲の中でなされてきた。

「親が工場作業員だから工場で働く」
「親戚のおねえちゃんが保育士だから保育士になる」

こんなものだっただろう。
良くも悪くも、情報が制限されていたから、判断に迷うことも少なかったし、なったらなったで「まあこんなものか」と他の世界をあまり知らずに過ごしていくことができた。

ところが、インターネットの普及と情報の集積化が全てを変化させた。いまやググれば、一瞬でありとあらゆる職業の実情がかなり分かる。それらを集約して、「ランキング」なるものを作りたくなる(見たくなる)のは人のサガだろう。

「情報化社会」は、我々が情報を得る障壁を取り除いたが、その障壁はある意味では知ると不幸になる情報から我々を守っていたという側面もある。

「情報化」により我々はあらゆる情報を容易に取り寄せることができるようになり、それらを「比較」することが可能になり、その結果、1つの尺度に当てはめて「ランキング」なるものを作る。「ランキング」とは、社会の階層化でもある。その階層は、実はもともと存在したのであるが、それが情報化により簡単に見えるようになってしまい、その結果として「階層」がより強化されていくという流れになっている。

時代の趨勢から、もはや情報化の流れは止めることはできない。5G、6Gとなり、今後はもっと早いスピードであらゆる情報がやりとりされるようになるだろう。「情報化社会」は便利である一方、人間社会を本当の意味で豊かにしているのかどうかということについては、今一度検討の余地があるように思う。

もう一つの問題点「グローバル化」:日本文明VS西洋文明

情報化とリンクして進行しているのが、世界のグローバル化である。情報化社会により、情報は容易に国境を越えて拡散する。世界はますます繋がっていく。この大まかな方向性には、抗うことはできないだろう。

日本には、「汗水たらして働くことは美徳」という古典的価値観があった。これは恐らく、縄文・弥生時代からの協働文化が根っこにあるものと思う。日本神話では「神さまも働いている」という。こういう文化は他に例を見ない。

他方、西洋にはある種「労働は罰」的な思想がある。エデンの園の住民は、労働するのだろうか?分からないが、恐らくギリシア・ローマ以来、古代西洋には「他文明を征服して、肉体労働を奴隷にやらせる」という文化が根っこにあるためではないかと思う。

やや突飛かも知れないが、エッセンシャルワーカーを下に見る思想の根源を辿っていけば、究極的にはここに行き着くのではないかと思う。

グローバル化により、日本は伝統的文化・思考を失いつつあり、「汗水たらして働くことは美徳」という基本的な概念すら前時代的なものとして消し去ろうという時代になっている。そして実際に儲かるのは、投資資金を右から左に動かしたり、金を貸して利子を取ったりする「汗をかかない綺麗な仕事」である。

もちろん、こういう仕事を否定するつもりはなく、資本主義社会を動かしていくうえで必要な仕事であることは間違いない。けれどもクリック1つで数億を動かしたりする世界を知ってしまうと、汗水たらして働くことがアホらしく思えるようになってくるのも必然である。

けれども、我々日本人は今一度、日本文化のルーツを辿り直す必要があると思っている。グローバル化は自分たちのアイデンティティを放棄することではない。オンリーワンこそ、グローバルな世界で力を発揮することもあるはずだ。

今改めて求められる「教育」の重要性

そんな情報化社会・グローバル化社会の波に飲み込まれてしまわないために必要なことが、「教育」だと思う。

今回の「底辺の職業ランキング」の件に関して言えば、筆者はごく自然に「職業に貴賎なし」と思っているし、社会に不可欠なエッセンシャルワーカーにはもっと敬意を払うべきだと思っている。その根底には、たぶん「汗水たらして働くことは美徳」という古い日本人の価値観があるためだと思う。

それは、親に教わったのか、おばあちゃんに教わったのか、学校で習ったのか、何かの本で読んだのか分からないが、何らかの「教育」を通して筆者の中に培われた原理原則である。

こういう「教育」こそが、これからますます加速する情報化社会・グローバル化社会において、日本を過った方向に持って行かないために必要なことではないだろうか。

「世の人々や社会のためになる仕事に励みましょう」
「当たり前の仕事をしてくれる人に感謝の気持ちを持ちましょう」

前時代的と言われるかも知れないが、こういった当たり前のことを、学校教育の中(あるいは家庭教育、もしくは企業教育)で教えていくことが、世界に羽ばたく骨太な日本人を作っていくうえで大切なことなのではないかとも思う。

他方で、これらの職業の方がプライドを持って働けるようになるように、政府や行政は給与や待遇面での改善を図っていっていただきたい。とはいえ、結局のところ、政府や行政の偉いさんにも、こういった当たり前の教育が行き届いていないことが問題なのかも知れないが・・・


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